見出し画像

インスタエッセイ

インスタグラムに写真とエッセイを載せ始めたのは、ある理由があってのことだ。
10年以上前に、「じゅんさんは写真と文がおにあいだとおもいますよ」と言ってくれた人がいた。
彼女は、褒め上手で、直感的にみるのが得意な人で、いいことはいいと言ってくれる人だった。
「じゅんさんのそのパスタの食べ方素敵です。いいとおもいます」などと褒めてくれたことを覚えている。
彼女のいう、写真と文とは、ある写真があってそれを題材にして文章にすればいいらしい。
写真からインスピレーションを感じ取ったことでもいいし、事実に関連したことでもいいという。
なるほどなっておもった。
彼女が通っていた大学を卒業してからは会わなくなったが、今でも覚えている一人だ。

文章を書くことを続けている。
2005年からはネットで表現しているし、それ以前はブックカバーの裏面に、コピー用紙に書いていた。
物は残っていない。
プラットホームも一つなくなった。

ぼくは、書いたものは流れていっていいとおもっている。
発表したなら、文章を読んでくれた人がその瞬間に思い感じたことがあればそれでかまわない。
本人も流したらいい。
もし、何かのヒントになったり、問題を解決するものになったなら、それはおまけだ。

書くことのスタンスは昔から変わっていない。
面白いことは一切書けない。
ためになるかは、読者次第。
ぼくが瞬間に思ったこと、感じたことを書く。
たった一人のために書くことは、日常である。
日記だとしても、読者にとって感じ入ることはあるだろう。

最近とても不思議なことに、もっと書きたいという衝動に駆られている。
売れもしないのに。
ただひたすら思い浮かぶことが多すぎて間に合わない。

思い浮かんだ瞬間に書き出さないと、流れていく。
急流に乗って、大河を渡り、ときに滝に落ち、ときに逆流して、最後は大海にのまれていく。
大海に混ざり合って、海流に乗って近くで気化したものが、またぼくの頭上に降ってくるまで、待つことになる。

思いついたことを書いたとしても、書いたもの自体が流れ、循環の中に消えていく。

人も物も何もかもが循環の中にあって、この瞬間生まれ出て、時間に流され、渦に巻き込まれながらあの世に向かう。
常に循環の中にある。

写真でとらえようが、作品に残そうが、それは永遠ではない。
循環の中の一瞬にすぎない。

だから好きなことをすればいい。
せっかくこの世という瞬間に生きているのだから。
やりたいことをすればいい。
せっっかくこの世に生まれたチャンスだから。

ただ、好きなこともやりたいことも、ただ大きな循環のほんの瞬間に浮かんだことにすぎないとおもっている。
それに固執しても仕方ない。
嫌いなこともしたくないことも同じ循環の瞬間なのだから、ちゃっちゃとやり過ごせばいいやとおもうようにしている。


活動のために使いたいと思います。みなさんの人生時間を幸せな時間で満たせたらと思います。読んでいただいてありがとうございます。