「・・・?」
作品が語りかけてくる。
この景色が心に染み入る。
吸い込まれていくような感覚がこの建物にはある。
このような表現は、作品が自然が物が、コミュニケーションの一部を有しているからだと思います。人は感じ取るという能力があって、それもコミュニケーションの一つです。
自分はコミュニケーションするのが苦手だといいます。
それは、こちら側から出すものであって、相手から出すものを感じ取ることができれば十分だと思います。もちろん、感じられないとか場の空気を察知できないこともありますが、そのようなことは適切な質問を相手にすれば、解決できます。
もし、自分から出すものが、上手く伝わらないと感じたら、「上手く言えないんでいろいろ聞いてくださいね」と言葉で伝え、相手の質問に少しずつ答えていけばいいのです。
例えば作家さん、絵や陶芸や小説などのモノを作られる方の中には、自分はコミュニケーションが苦手だといういう人はいます。
ところが、ぼくが思うことですが、作品には十分すぎるぐらいの主張やメッセージ、そして彼(彼女)らの息吹を感じ取ることがあって、コミュニケートできていると確信するのです。
苦手なのは、多分「話す言葉」「聞く言葉」など言葉で表現し、言葉を理解するのが少しだけ人よりもできないからだと思います。
言葉で話すことだけが、コミュニケーションの方法ではありません。作品に乗せていくこと、そして態度や仕草、他には結果を出すことも、一種のコミュニケーションの方法です。
でも、実際には話し合う場面は多いです。
そのような場合は、わからなければ恥ずかしがらずに、「質問」をして聞くことです。上手く伝わらない場合は「質問してね」と言っておけばいいのです。
本当に相手の人が自分のことをわかりたいと思っているなら、丁寧に接してくれるものです。また、本当に相手のことをわかりたいなら、恥ずかしがらずに聞けるものです。そこから会話というコミュニケーションが生まれるのです。
「ママ、これなーに」「なんで」「どうしてこうなるの」と幼児は聞くものです。
幼児期のこの会話で満足されたなら、コミュニケーションの苦手は防げたかもしれません。
大人になっても、この「なぜ」から始まるので、幼児期のように聞けばいいです。
安心してください。大丈夫になります。