楽しめるように、生きていく。
その仕事が楽しければ、生産性や売上は上がる。
その人が好きならば、コミュニケーションや助け合いは活発になる。
その勉強が面白ければ、興味深くなり成績も上がる。
好きで、楽しくて、面白いことは、そう多くはない。仕事だって、人だって、勉強だって嫌いなものはたくさんある。仕事、勉強、人そのものが好きじゃない人もいる。
嫌なこともしなければならないのが、生きているという証でもある。
生活の証、関係の証、収入の証、向上の証だとぼくは思う。
運転免許を取るまでの苦痛は、取得後の運転を楽しくするかもしれない。
国語の勉強の苦痛は、ものを書く楽しみを生み出すかもしれない。
肉体労働の苦痛は、体力を作る楽しみに変えられるかもしれない。
嫌いな人物と関係する苦痛は、好きな人をはっきりさせるためにあるのかもしれない。
様々な嫌なことから、時には逃げることも必要で、完全否定はしない。逃げるが勝ち、そばに近寄らないことが精神衛生上いいこともたくさんある。
でも、ちょっと待ってみて、冷静に向き合った時に、これ、面白いかもしれないと思うことがある。好きになってしまうこともある。これって楽しいぞと気づくことがある。
対象をよく見て、よく感じて、よく掘り下げて、よく体験してみる。対象を実は楽しめるぞと思えた時、グンと自分の中の何かが変化するはずだ。
楽しめる環境を作りながら、嫌なことも好きに変えていくことは、可能だとぼくは思う。
しなきゃいけなことほど、楽しんでする工夫が必要だろうと思う。
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