母ともう2年も会っていないのか

東京での生活は、穏やかなものだ。

8時に起きて、昨日の残りのおかずをタッパーにいれる。
ZIPが終わるとヨーグルトをかきこんで、
彼氏とビデオ通話で「今日も一日頑張ってね」「あゆむも頑張ってね」とあいさつをする。

電車は、最寄り駅が発車駅なので座る位置も決まっている。少ししたらスマホから目を離して外の紫陽花の葉っぱを見つめる。

午前中は気づいたら終わっていて、お昼ご飯はだいたい1人でもくもく食べる。

15時あたりから長く時間を感じられるが、だいたい定時に上がれる。人を掻き分けながら歩き、晩御飯のことを考えながら歩く。スーパーに行くとだいたい買いすぎる。納豆は、家の奥のスーパーの方が安い。
家に帰ったら座らずシャワーを浴び、晩ご飯をゆっくり作り、テレビを眺めていると眠たくなるので、寝る。

母のことを思い出すタイミングも明らかに減った。
きちんと消化しているということなんだろうか。

岡山には、1ヶ月に1度帰省する。
1番最初に帰った時、父がなんとも嬉しそうな顔をしてくれた。
少し母にも会いたかったな、とも思う。

家族と会話をするとなると、妹しかいなくなってしまった。
定期的にかかってくる電話での話と帰省した時とあまり変わらないが、寝る直前妹とあまり話をしなかったと思うと、分からない罪悪感で少ししんどくなる。
父とは目の前のバラエティ番組の話しかできない。
こんなもの何だろうか。世の中の父娘関係を教えてほしい。

妹と父は、楽しそうに話している。
私がいない時に2人で乗り越えた時がいくつもある。
私にはもう取り戻せない時間だ。
私のいる意味を意味もなく考える。潜在的な意識の中で、あんなに大きな家で、ふたりぽっちで暮らしているという事実が、私の帰省の義務にすることにしたみたいだ。

以前、母への親孝行が出来ていないと書いたが、その後悔は、今はしっかりとした呪いに変わっている。
優しくてつらい、私へかける呪いだ。

世の中がハロウィンでうきうきし出すと、もう私はうきうき出来ないという淋しい感覚に襲われる。
私の中のハロウィンはない。10月の最後の日は、母の命日だ。

「ハロウィン楽しんでるの?」と直属の上司に聞かれた。渋谷駅の人混みをどんなものか少し見てみたいと話したらこうだ。
なんて答えたらいいのか分からなくて変な笑いで返した。
その拍子で、ふと気になって一昨年と去年のnoteを見返したら、記憶のそこにあった感情と、その時の忘れたくないと思っていた事実がながれてきた。
涙が鼻水になった。仕事中に気になって読むものではなかった。

でも1年に1度、ここに向かって書くのもいいかと思って、ここを開いた。
ここに文が溢れて止まらない時は、悲しかったり、苦しかったりする時だ。

祖母も死んで、おじも死んで、母も死んだ。
私は穏やかに東京に生息している。

母の三回忌はち26日だった。
三回忌からの帰りの夜行バスで涙が溢れて止まらなくなった。
泣くことは、これからおそらく少なくなると思うし、もう当分は、ここに悲しい文章を書きたくない。

もう2年も経ったんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?