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#7.5『明日は明日の風が吹くが、たまには留まっていたい時もある -①』

今回はドイツでの暮らしから離れて少し過去の自分のことについて少し…

今年の3月に卒業してはや2ヶ月が経ち自分は社会人に

今でもあの時の思い出やら何やらが色褪せることなく鮮明に思い出せる

なぜだろうな〜って考えるけど、それだけ楽しかったからでもあるけど一番は

何にも縛られることなく自由に自分らしく生きてたから

というのがしっくりくる。

まぁ〜よくこんなクサすぎるセリフ言うねー

カバンの中でぶちまけたシーブリーズくらいクサすぎる

でも理由付けするとこれに落ち着くんすよ

それまではサッカーに縛られて生きてきた人間だったんで

楽しい思い出もあるけど、自分の場合はだいぶ苦しめられた思い出の方が印象強く

なんなら高校生の3年間のほとんどに辛さが凝縮されてて今でもよく乗り越えられたと思いまくってる

今の自分を作ったのはサッカーによる影響がほとんどだったので



ハラダタクミ   12歳  中学1年生  



高校サッカーといえば元日の全国高校サッカー選手権

それに出場することに小学生の頃から憧れて中学受験しサッカー名門校の桐蔭学園に入学

最初のセレクションに合格できず、Gチーム?7軍?一番下の立ち位置から始まったサッカー部のスタート。

一番下なので扱いはそんなに良くなく、サッカー同好会みたいな雰囲気でした。
もちろん練習なんて四隅で時間も1番遅くとかで、上のチームが試合でいないときとかに使わせてくれるような扱いでした。

まぁボール触れるだけマシだったし、何より目標が上に登るしかないと分かりやすく決まっていたので、短い時間でもがむしゃらに頑張ってました。

それからはたまーに上のチームの練習に混ざってテストされたりと日々セレクションみたいな状況が続き、やっと試合に出れたのは2年になっての春のときでした。

GWの時だったかな?Bチームに呼ばれ連休の1、2日目がフィジカルトレーニングでしこたま走らされて、酸素を取り込めないあの肺が乾いてヒューヒュー音が鳴る感じを永遠に味わった記憶が…

その2日目のラストに紅白戦をしたとき、あれだけ走って意識も飛びそうになってたからか試合の開始のホイッスルを聞いてからほとんど無意識でプレーをしていたらしく、ゴールを決めたのですが全くどういうシュートだったかも覚えていませんでした。

そのとき見ていたコーチから後日

「あの時のシュート狙って打った?だとしたらお前Aチームいける素質あるぞ」

と言われ嬉しかったのですが、残念ながら無意識ミラクルシュートだというのを自分は分かっていたのでめちゃめちゃ悔しかったなぁーと同時に、『黒子のバスケ』が当時流行っていて、作中にゾーン状態に入って能力が格段と上昇する表現があるのですが

「これがゾーンかぁ〜くぅ〜」

とか思ってましたね。

だいぶキモイですね。酔いまくってましたね。

その地獄の二日間の次の日に練習試合があり、その日が初試合&初ゴール

これだけ長く試合に出れてなかったことから爆発してたんでしょう

YouTubeでスーパーゴール集を見ながら試合会場に行ったからでもあるな

しかし、その年はGW期間中だけBチームに昇格して行ったその練習試合と年末に行った市民大会の計2試合しか試合に出場しておらず

中学2年を終えてたったの2試合のみ

プロだったら出場機会求めて移籍しちゃうくらい出られなかったね

それでもめげずにやってこれたのは目標に “選手権に出る“ というのがあったから

中学から桐蔭学園に受験して入学しいていた私は高校受験をする必要が無いことからサッカーに目一杯打ち込める環境にいたっていうのもあり

その当時、Aチームにいなくても高校サッカー部に入ったときにAチームに上り詰めて選手権に出れる力をつければいいだけだと思っていたことから、そんな現状に悲観していなかったですね

その甘い考えが後々自分の人生を大きく動かすなんて想像もしていなかった…

-②に続く…

それではまた


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