欲望にも賞味期限があるらしい。ハム挟み放題サンドの限界。
ハム挟み放題のサンドイッチ。なんて魅惑的なフレーズだろう。それは遠い昔の、少年の頃のささやかな憧れだった。
母親がこさえてくれたハムとチーズにマヨネーズ、その他はせいぜい薄くスライスしたきゅうりが挟まった程度のごくシンプルなサンドイッチを齧りながら、一平太少年はいつもこう思ったものである。
「ハムってつくづくうまいなあ。どうせならこんなペラッペラの一枚だけじゃなくて、パンと同じ厚みぐらい挟んでくれたらいいのに」
そう、あのパッケージから取り出したままの1cm程の厚みのまま、デンッとハムを挟んだら、さぞおいしいだろうにと夢想するのであった。
しかしそれから数十年の歳月が流れ、いくつもの背伸びと身の丈に合わない欲張りと、それと同じ数だけの失望と挫折を経て、気づけば少年はつまらない大人になっていた。どんな行動にも無意識のうちに自分の限界を定めて、日々身のほどをわきまえて暮らすことに何の疑問も抱かなくなってしまった。
当然、ハム挟み放題サンドイッチのことなんか、すっかり忘却の彼方に。
だが遠い日の憧れがふと、河川敷で練習している草野球チームの後逸球のように、コロコロと足元に転がってきたのだった。
トレーにみっちみちのパストラミポーク、129円。
きっかけは商店街で、週末に向けての買い出しをしていたときだった。
食卓のレパートリーに変化をつけるため、食材の買い出しはできるだけ(時間や気持ちに余裕がある限り)駅の向こう側にある商店街まで足を伸ばすことにしている。というのも皆さんご存じだと思うけど、イオンみたいな大手チェーンはどうしても流通規模の関係上、店頭に並ぶ品のラインナップが決まってきているところがあるのだ。買うほうとしてもつい冒険せずに同じものばかりを買ってしまう。
それに対し商店街の個人商店(あるいは支店があるにしても数店舗)の八百屋さんや魚屋さんはときどき「え、これ何?」というものを並べてきてこちらを驚かせてくれる。それが刺激になって「ようし、じゃあこの食材でアレ作ったろやないかい!」と、新たなレシピに挑戦するきっかけが生まれる。まあ、文字にするほど大層な話じゃないけど、だから商店街の八百屋さんや魚屋さんが好きなのよね。
大雨が続く予報でもあったし、そうでなくても今は買い物の回数を減らした方がいい。商店街であれこれ見繕って、週末は家でデスクワークに集中しようという算段だった。
野菜は冷蔵庫にパンパカパンに詰まっている。必要なのは魚や肉などの動物系の食材である。何かいい動物はいないかなと品定めしていると、あるお店で食品トレーにみっちり詰まったパストラミがなんと258円の半額、129円で叩き売りされているのを発見した。
そのお店はどういうコネクションを持っているのかわからないが、大手食肉加工メーカーの規格外品をお徳用パックで底抜けの価格で売っていることがよくあるのだ。この日もそれで、「この国の名前がついたハム会社」のパストラミポークの訳あり品が、昔で言うと辞書ぐらい、今で言うとニンテンドースイッチぐらいのサイズのトレーにこれでもかと詰め込まれて、たったの129円という破格で並んでいるのであった。
思わず目を疑った。そして脊髄反射で手に取った。
いやこれ、買うでしょ。258円だってまあままお値打ちなのにましてやその半額なんて。
ハム挟み放題サンド、こうして思いがけず実現。
その足で商店街のおいしいパン屋さんに向かい、焼きたてバタールを230円でゲット。踵を返してスーパーに立ち寄り、小分けパックのグリーンレタスの見切り品68円も購入。
うちにある玉ねぎときゅうりを刻んで、からしマヨネーズを溶き、バタールを切って炙る。ようし、準備万端整った。今こそ少年の日の欲望を解放するときである。ハムを好きなだけ挟み、本能のままにかぶりつき、ガツガツと貪り食うのだ。
って、思ったけど。
ああ、少年はつまらない大人になった。
見て、このちゃんと想定内におさまった小賢しい感じ。
なんとか大ぶりのパストラミを4枚(映ってないけどもう一枚奥に隠れている)挟むのが精いっぱい。これ以上はおいしく食べられないな、って理性がブレーキをかけちゃった。
そもそも野菜も切っている時点で知らずのうちにバランスとっているのだ。常識がジャマをしている。あの日の自分ならきっと野菜なんかハナから用意しまい。情けないのう。
妻とふたりでがんばったけど、パストラミは半分も残ってしまった。
欲望にも、きっと賞味期限がある。
もしもタイムマシーンがあったなら、昔の自分に思う存分食べさせたい。今回もそうだけど、そうしみじみ思う機会が最近よくある。若い頃よりいくらか財布の中身に余裕ができて、少なくとも「食い逃げor DIE」という事態はさすがに免れる経済状況にはなっている。その一方で明らかに胃袋の限界が来ていて、ようし腹いっぱい食うぞー、と決意したところで高が知れているのである。
なんということだ、欲望にも賞味期限があるのだ。いや、あったのだ。いつかの憧れはそのいつかのうちに叶えなければ意味がなかったのだ。
とくに食べ物の場合は。
ちぇー。
でも、おいしかったなあ。顎をめいいっぱいアガーッと開いて頬張るのはやっぱりいくつになっても、なんかケダモノっぽくて爽快だ。訳ありの規格外品で安売りされてたから過剰な期待はしていなかったけど、品質には何の問題もなかった。きっとフードロスの削減にも、微力ながら貢献できたんじゃあるまいか。
それに、妻も笑ってた。
そう、少年の頃ともうひとつ決定的に違うのは、もう10年以上一緒に、同じごはんを食べてくれて、おいしいものも、もひとつのものも、経験を共有できる人がいるってこと。
ふたりの食卓が楽しければ、まずまずそれでいいか。
でも、それにしてもまだ半分もあるパストラミ、どうしよっかなあ。すんごく安くてお得だったけど、ちょっと多過ぎた。