焼くだけの日 〜春から夏へ、卓上の衣替え〜
そろそろ、煮物も限界か。
数日前、ル・クルーゼで鶏の手羽元をじっくり煮込みながらふと思った。気温が日に日に上昇してきて、あんまりこっくりした煮物なんかを進んで食べたい季節じゃなくなってきたなあ、と。
もうすぐ夏のごはんにスイッチする頃なのかな。
夏のごはんの手軽さというのは少し服飾関係、ファッションにも共通するところがあると思う。冬はいろいろアイテムも多く、さまざまな要素を重ね合わせることの面白さがあると思うけど、夏は一転してワンアイテム勝負だったりとか、素早くサッと決める技みたいなものが求められる気がする。
と同時に、旬の食材はときに禅の境地というか(適当)、もはや焼くだけぐらいの方が素材の生命力みたいなものを最大限に活かせていいんじゃないかなあとも思うわけです。
きのうは業務スーパーでブリが異常に安売りされていて、それもまた季節の移り変わりを意識せずにおれなかった。夏野菜のナスやキュウリ、トマトが山積みされる傍で、白いお腹を見せて2匹398円なんて値段で投げ売りされるかわいそうなブリたち。個人的に脂の乗ったブリは何番目かに好きな魚で、自分の財布でお相手できる冬の魚としては帝王だと思っている。フグやクエなんか庶民にはお正月ぐらいしか無理だし。このタイミングを逃せばしばらくブリには巡り合えないかも。そう思い飛びついた。
やあ、久しブリ、なんてダジャレはマスクの奥でぐっと飲み込んだ。
その一方で、店頭に並び出してからずっと食べたかった空豆の値段がこなれてきたので、ようやく購入。今夜は冷蔵庫の中のタケノコと合わせて、「焼くだけディナー」にしようと決めた。
タケノコ、絶賛在庫処分中につき。
妻からのリクエストで、この春はまだ一度も作っていなかった焼きタケノコを一品目にスタンバイ。これはもうものすごく単純で、フライパンで両面にほどよく焼き目をつけたあと、めんつゆ(+お好みで醤油)を回しかけ、ジューっとさらに焼くだけ。
タケノコがまあまあ大きかったので銀杏切りにしたけど、小さめなら輪切りにしてもOK。鹿の子に隠し包丁を入れるとそこにめんつゆが染み込んで見た目にも美しく味も決まるけど、今回は省略しちゃった。
結果、こんなのがいちばんおいしかったりするんだなあ。お好みで黒コショウをガリガリ散らしても洋風に転んで面白いかも。
空豆はサヤのまま焦げるまで。
空豆のおいしい食べ方は、サヤのまま魚焼きグリルに並べて、両面黒焦げになるまで焼くこと。たったそれだけ。下ごしらえ一切不要。サヤの中の水分で豆がほどよく蒸し焼きになるので、あとは豆を取り出して、塩をちょっとつけて食べる。シンプル・イズ・ベスト。
うーん、プリップリの艶っつや。薄皮は剥いたほうが断然口当たりがよくなるけど、ワイルドにそのまま口に放り込んでも食べられます。
剥いてみた。なんか、かわいい。繊維質を感じなくなるのでこっちのほうが口溶けよく、ほくほくしつつもクリーミー。でもあんな大きなサヤからこれっぽちしか食べるところが取れないなんて贅沢な豆だなあといつも思う。その点、キヌサヤやスナップエンドウなんかはサヤごと食べられて優秀。
でも空豆には空豆の魅力があって、毎年この時期になると食べたくなるのは否めないんですよねえー。
めぐる季節の食卓。料理も「衣替え」。
これでしばらく、ブリのお刺身ともお別れかも。代わりに夏の食材が少しずつ出回ってきています。こうして食卓にも季節がめぐっているんだなあと実感する日でした。
そして人生はつづく。