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僕がトマト農家になったワケ 〜社会人編3〜

◆これまで
 大学を卒業した僕は東京のIT企業に就職しましたが、3ヶ月の研修期間を終えて配属された部署は、過去5年間で配属された新人がみんな1年以内に辞めているという、ブラックな臭いがプンプンしてくるような場所だったのです。


 7月の始め、ドキドキしながら配属されたシステム開発部へと向かい、直属の上司となるプロジェクトリーダーのもとへ挨拶に行きました。
 山田さんという20代後半の女上司は見た目は小柄でかわいい感じの人で、僕はラッキーと内心思っていましたが、中身はバリバリ体育会系で小中高と剣道をやっていたそうで姿勢が良く、いつも背筋がピンと伸びていました。
 そのさらに奥の窓際が課長のデスクで、吉川晃司に似た彫りの深い40過ぎのイケおじが座っていました。
 後に知ることになりますが、この女上司と課長は所謂デキていて、課長は妻子持ちだったので不倫ということになるのですが、システム開発部内では公然の秘密になっていたのでした。
 二人は一応バレないようにコソコソと隠れていて、僕も直接二人の逢瀬を目撃したわけではないのですか、飲み会終わりに少し離れた所から二人してタクシーに乗り込んでいたり、日曜日に二人で目黒川の近くを歩いているのを見たという先輩がいたりという証拠から、あの二人はデキているというのが部署内で囁かれていたのでした。
 そして、5年連続で新人を辞めさせているというブラック部署の元凶も、どうやらこの2人のラインが作り出していたようなのでした。

 「いたようだ」、という書き方になったのは、会社にいた3年間で僕はパワハラで詰められたり長時間の残業を命じられたことがあんまりなくて、どちらかと言うと飲みに連れていってもらったり、休みの日に会社の草野球チームに誘われて野球したり、ゴルフの練習場で一緒に打ちっぱなしをしたりとむしろ可愛がってもらっていたのであんまり悪く言いたくはないのですが、やはりチラチラとブラックな側面が顔をのぞかせる瞬間もあったりしたのでした。
 飲みながら、「俺も昔は怖かったんだぜ。」とか締め切りに遅れた部下の椅子を後ろから蹴り飛ばしてたとか、今だったら一発アウトな話を得意げにしてくるので、僕は「ヤバいっすね。」とだけ言って笑って受け流していました。

 そんな上司達のブラックが影を潜めていたのは、新入社員を5年連続で辞めさせたりしたのを社長や役員達に問題視されていたのもあったようで、新しく配属された「入社2日目で遅刻してくるヤバい新人」はキツくあたったらまたすぐ辞めてしまうんじゃないかという恐れもあり、僕はどちらかというと腫れ物でも触るようにおそるおそる扱われていた感じなのでした。
 社長や役員達からすると、入社2日目で遅刻してきて平気な顔をしている図太い奴ならこのブラック部署ても大丈夫だろうというもくろみもあったようです。

 僕のデスクはそんな上司達のすぐ目の前で、隣の席は清原さんという40過ぎくらいの事務のおばちゃんでした。
 何かにつけて僕のことを気にかけてくれて、会社に提出する書類を僕の代わりに作ってくれたり、システムの設計書を作るのに僕が四苦八苦してたりするとそれも手伝ってくれたりと、あんまり僕の面倒ばかり見てくれるものだから、女上司から「あんまり清さんに頼ってばかりいないように。」と釘を刺されるくらいなのでした。
 それでも手伝ってくれようとする清さんに「女上司に怒られちゃうからダメです。」と言うと、「じゃあこっそりね。共有フォルダでファイルちょうだい。」とその後もこっそりと手伝ってくれるのを女上司が目を細めて横目で見ているのでした。
 僕はひいき目にもあまりできの良い社員とは呼べなかった筈ですが、清さんだけはなぜか異様に高く評価してくれていて、「次の社長には坊っちゃんがなったらいい。」とまで言ってくれていました。

 言い忘れていましたが、この部署では社員をあだ名で呼ぶという変な慣習があって、おそらく新入社員が軒並み辞めていってしまうブラックな風土を変えようという上司達の試みだったのでしょうが、外見だけ取り繕っても意味ないしそんな中学校みたいなあだ名なんて何だよそれと薄ら寒い感じがしていましたが、僕は無事「坊っちゃん」というあだ名をつけられたのでした。
 理由はいつもノンビリしているからで、どこぞのお坊ちゃんに違いないということで、僕は両親とも公務員のバリバリ中流家庭ですと反論しましたか、「いや君は坊っちゃんだ。」と決められてしまったのでした。
 ブラック全開の本来の上司達であれば、本当は「クソゆとり」とかつけたかった所でしょうが、一歩マイルドにして「坊っちゃん」というところで落ち着いたのでしょう。
(ちなみに僕はゆとり世代の先頭を走ってきた頭の先から足の先までバリバリのゆとり人間です。)
 他の先輩社員達にも変なあだ名をつけていて、ロボ先輩とかアンドリュー先輩なんかがいて理由はどれもへんてこなものばかりでした。

 そんな感じで、おそるおそる入ったブラック部署からは意外にも優しく迎えられて、配属初日の夜には、僕の歓迎会を開いてくれるとのことでした。
 近所の居酒屋の大広間で同じチームの5、60人が集まった前で僕が自己紹介と「早く仕事を覚えられるよう一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします。」と元気いっぱい挨拶を終えると、「よっ遅刻魔。明日は寝坊すんなよ!」と野次がとんできました。
 僕は面倒くさい先輩がいるなと思って、聞こえなかったことにして自分の席に戻ると、課長の乾杯の音頭とともにビールのジョッキを仰いで飲み会が始まりました。
 僕は女上司や課長と同じテーブルでしたが、上司達は2人ともお酒好きで「君けっこう飲めるね〜。いいじゃん。」とざっくばらんに話をしたり飲み進めていると、僕らのテーブルに一人の先輩がやってきました。
 さっき野次を飛ばしてきたその先輩は野獣先輩というあだ名で、「君でしょ〜。入社2日目から遅刻してきたのって〜。聞いてるよ〜。」とウザ絡みしてきたので、「違います。それは同期の〇〇です。」とそこにいない同期の奴に罪を被せて逃げてやろうと思いましたが、あきれ顔の女上司から「いや君だよね。」とツッコまれてしまったのでした。
 「こいつ全然反省してませんよ。」と野獣先輩は食い下がってくるので、僕は当時流行って?いた冬のオリンピックのスノボーの人を真似て「チっ反省してまーす。」と頭を下げると、野獣先輩は「あっそれスノボーの奴だ!」と大笑いしてくれてなんとか事なきを得たのでした。

 最初、面倒くさそうな先輩だなーと思っていたこの先輩とは、その後なぜかとても仲良くなって、自分が入っているフットサルの社会人サークルに誘ってくれたり、僕が会社を辞めて長野で農業をやることになった後もちょくちょく遊びに来てくれたり、手伝ってくれたりするようになったのでした。


つづく
次回、「初めての辞表提出!」

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