途上国の力になりたいという想いで一歩ずつ
こんにちは。私は国際協力機構(以下、JICA)でタンザニアの企画調査員に従事予定の福田健児と申します。
2020年4月からJICAで働く予定だったもののコロナの影響でタンザニアに渡航できていない状況ですが、この仕事を選んだ理由やこの仕事にいきつくまでの足跡をお話できればと思います。
子供の頃に感じた「かわいそう」
通っていた小学校では毎年、余った文房具をカンボジアの小学校に無償で寄付していて、私もその慈善事業に携わりました。
カンボジアは日本と同じ小中高6・3・3制の義務教育ですが、当時はまだポルポト独裁政権下の影響が色濃く残っている貧困国。自分たちと同世代なのにかけ離れた生活をしている人たちを知り「かわいそう」と衝撃を受けました。
またこの頃、父の仕事の関係で阪神大震災後の悲惨な現場を目の当たりに。「大変な事態に陥っている方々の力になれないかな」という想いが湧いてきました。
大学は環境情報学(都市開発)を専攻。「災害に強い都市とは」というテーマを模索しつつ、卒論では地方観光地のマーケティングについて研究。就職活動では途上国に関われる仕事を探しました。
入社したのは、鉄道や道路などの管制・制御システムを国内外へ供給している交通インフラメーカーでした。
同社は国内市場をメインとしつつも東南アジアや中東の国向けにもシステムを輸出し、同国の安全性や快適性・渋滞の緩和等に貢献している企業でした。
最初の配属は生産管理部で、ここで鉄道制御システムの工程管理や原価管理に4年ほど携わり、次の3年は経営企画部門で中長期の経営計画(とりわけ設備投資の促進・原価改善や在庫の適正化の仕組みづくりなど)を担いました。
もどかしさから「中小企業診断士」を取得
「自分がエンジニアではなく、お客様のご要望に対して直接的に応えられない」
というもどかしさを生産管理部で働いている後半から感じはじめました。
お客様から「こういう製品が欲しい」や「ここを修理してもらえないか」と要望をもらっても、自分にできることは開発部門や設計部門にそれらの要望を伝えることだけ。自力で応えることはできません。
「夜学で理系の大学院に通って自身がエンジニアになるか!」
と考えつつも、何だかしっくりこない…。
これまでの自分を振り返り、自分が好きなこと・得意なことは「仕組みづくりに関わること」で、「開発コンサルタント」にスキルチェンジすれば、もっと主体的にお客様や国をサポートできるはずだと、思うようになりました。
身近に開発コンサルタントのロールモデルはおらず、家族や友人さらには転職エージェントにも(少なくとも当時は)あまり認知されていない職種で、どういう道筋で辿り着けるのかもわからず、情報不足で悩ましいところでした。
そこで開発コンサルタントが紹介された雑誌や参加するイベントをハシゴして情報を集めながら、「資格ガイド」を買って隅から隅まで読み漁りました。
開発コンサルタントは深い専門性が求められ、若手が何の武器もなく挑戦できる職種ではありませんが「中小企業診断士」という道をみつけ、まずは資格取得を目指しました。
この資格を取得するために、仕事のかたわら「資格の学校TAC」という士業専門の学校に通いながら勉強しました。
平日は仕事し、土日はTACへ。試験直前は仕事後もカフェに閉店時間まで籠る日々。体力的には楽ではなかったし、勉強中に業務用携帯が鳴ったり、着信履歴が溜まっていてイライラや恐怖を感じたこともありました(笑)。
勉強を始めた当初は、そのことを職場に伝えていなかったので(転職を早とちりされて人間関係に溝ができることを避けたかったため)、言い訳できない辛さもありました。その中で、カフェの隣で勉強している高校生達からも勝手にモチベーションをもらいながら、勉強を続けて試験へ。
試験は年に1度なので、不合格になると次は1年後。届いた結果通知が不合格だった瞬間は、”奈落の底へ突き落とされる”レベルの挫折感でした。
「挑戦できる環境にあるだけ恵まれている」
と言い聞かせ、何度も挫折しそうになりつつもなんとかモチベーションを保ち、4年後の2015年に中小企業診断士の試験に合格しました。
ちなみに挑戦終盤は職場にも診断士挑戦を話しており、応援していただいたり、試験直前に優先的に休みを取らせていただいたり。たくさんサポートしていただいたことや合格を祝ってくださったことは、今でも感謝と嬉しさでいっぱいです。
部署が海外営業部に異動になってからの3年間は、インド・タイなどアジア新興国へのシステムの提案や入札、海外現地法人の設立手続きなど網羅的に携わりました。
入札から始まり2016年ほぼ1年かけて担当した地下鉄プロジェクトの受注が12月末の残業中に決まり、部署を超えたメンバーとハイタッチしたことは、いま思い出しても最高の瞬間の1つです。
こうして10年間勤めてきた会社は、仕事のやりがいも同期同僚との人間関係も良好で恵まれた環境でしたが、「もっと主体的に、診断士・コンサルタントとして途上国に携わりたい」という想いが勝り、転職を決意しました。2017年6月のことでした。
開発コンサルタントとして経験を積むため公益財団法人へ
退職後の2ヵ月間は国際大学に入学して英語のレベルアップを図るかたわら、転職活動も進めました。
途上国への支援にはさまざまな分野があり、大別すると鉄道や道路敷設などインフラを創り上げる「ハード系」と、産業振興や医療、農業ノウハウを伝承する「ソフト系」と呼ばれる分野があります。ハード系はエンジニアの方々が中心となりますが、ソフト系であれば人材育成や仕組み作りがひとつの軸となるため、文系でも主体的に携われると感じました。
目に留まったのは、途上国支援に貢献しているソフト系の開発コンサルタント(公益財団法人)で、この団体では社会経済システムや生産性に関する調査研究を行うと共に、ODA案件も行っていたので、自分が目標とする途上国での開発コンサルタントの経験が積めると確信。2017年10月に入職しました。
国際協力グループ専属の嘱託コンサルタントとして、主にアフリカに対するJICAや省庁の委託事業、各国からの研修生が集まる訪日研修や東南アジアの日本センター(カンボジア等)の講師を担当しました。
準備や教材づくりが大変なときもありますが、コンサルや講師として関わった方から「説明わかりやすかった!」「やるべきことが見えたよ、ありがとう!」と言われると、その苦労が吹き飛びました。
その純粋な嬉しさに加えて目指していた「主体的・直接的に携わっている感」も感じられ、この仕事の醍醐味でした。
小学生のころ「かわいそう」という想いから途上国支援に興味を持ちましたが、今では日本と途上国の文化の違いやその面白さ、そのなかで見つかる共通点に対する感動や学びが、途上国に関わる大きな原動力のひとつになっていきました。
文化の違いの例をあげると、「教室を掃除する」「日直を設ける」という私達にとって当たり前にある学校のルールが存在しない国もあります。
彼らいわく、「だから日本では5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)が定着しやすいんだと思う。僕達の国ではどうしたら定着するのだろう?」と。
そのテーマを彼らと議論していくなかで、一朝一夕には成し遂げられない課題の多さを痛感しました。その一方で、
「同じカレーでも各家庭で味が少しずつ違い、栽培している果物も少し違う。それを持ち寄って、雑談しながら食べるのが楽しいんだよ!」
昼食を少し多めに持ち寄り、シェアしながら食べるというインドの文化を体験して素敵だと感じました。
現地に行ったり海外の方々と関わる度に、このような発見やワクワク感があり、「せっかく仕事をしていくなら、その中でこんな発見やワクワク感を1つでも増やしていきたいなぁ」と思っています。
自分の引き出しをもっと増やしたい!念願叶いJICA駐在員(予定)に
「もっと現地に根差した存在になって、自分の引き出しをもっと増やしたい」
経験を積み重ねていくうちに、そういう想いが強くなっていきました。
キッカケは同僚でした。みなさん海外経験が豊富な方ばかり。なかにはアフリカに20年間駐在し、1本の電話や知人のつてで現地のキーマンと面会が叶うほど、信頼感のあるネットワークを築いている方もいました。
自身が現時点で持っている診断士や製造業のバックグラウンドは、きっと途上国の支援に役立つ。
けど、それに加えて現地のネットワークがないと、活躍できる範囲は限定的でいつか頭打ちになってしまう。
現地のネットワークは、長期間駐在して、長く深い付き合いのなかで信頼関係が育まれ、地道に創り上げていく必要がある。
開発コンサルタントとして活躍するためには、やはり現地にどっぷりと浸かる経験が自分には足りていない。
その経験を積むためJICAの企画調査員を目指そう!
JICAの企画調査員は途上国に2~3年駐在してプロジェクトの支援等を担う役割で、いわゆる「現地に根を張る」ことが可能な仕事です。
アフリカ在住20年の先輩たちに近づく経験ができると確信。
3度目の挑戦でタンザニア案件への応募が通り、それまでお世話になった公益財団法人を2020年3月末で円満退職しました。
JICAの一員としてアフリカ・タンザニアで待っている仕事とは
私が担当する予定の「タンザニア企画調査員(民間セクター開発)」の役割は、主に中小製造業の育成と振興の支援です。
タンザニアと聞いて思い浮かべるのはキリマンジャロを代表とするコーヒー産業ではないでしょうか。実はこのコーヒーに代表されるように農業立国であるのが実情で、農業依存のみでは付加価値を高められず、また雇用の拡大が限定的になり、貧困から脱せないという問題点があります。
そこで農業以外の産業、とりわけ中小の製造業を育てていくタンザニア政府の取り組みを支援するのが役割です。
・日本からのODA(政府開発援助)をどのように用いれば、製造業やその他の産業が隆盛するのか?
・必要なモノはインフラ等の「箱もの」なのか?ヒトを育てることなのか?育てるとしたら、どのようにアプローチすればいいのか?
など選択肢はたくさんありますが、現地でのネットワークやリアルな情報なしでは机上の空論になってしまいます。
そのためにも一日も早く現地入りして根を伸ばしていく予定でしたが、新型コロナウイルスによる海外への渡航制限の影響を受けてしまいました。
延期が決まった時は悔しさともどかしさ、そして温かい壮行会を開いてくれた前職や学生時代の仲間・診断士仲間の方々に対する申し訳なさでいっぱいでしたが、いまはこの状況を「新しい経験を積むチャンス」と捉えています。
いまは中小企業診断士のスキルを活かし、個人事業主として区役所でスポットの企業アドバイザー(飲食店を中心とした事業者の方々に対する、新型コロナ関連の補助金・融資の窓口相談)などに従事しています。
仕事を通じて企業の方々から伺うコロナ禍の状況はあまりに気の毒で、辛い部分も多いですが、「少しでも診断士としての助言や情報提供ができて、力になれたら嬉しいな」と。また、公的機関での業務は自身にとって初で、その点においても発見の多い日々です。折角なのでここでも経験値に加えて人脈を増やしてレベルアップを図りながら、タンザニア渡航の再開を心待ちにしています。
新卒の就活時に知っていた世界や仕事の選択肢は限定的だった
新卒の就活時は、開発コンサルタントも中小企業診断士も知らず、業務の経験や人との出会いを通じて、新たな世界や仕事が見えてきました。
登山に例えると、麓で見える景色と2合目で見える景色、5合目で見える景色が変わっていくように、これから初めて知ることもきっとたくさんある。
大切なのは、自分に正直になって「想い」「やりたいこと」「実現手段」を模索し続けること、見つけたらそれに向かって一歩ずつ準備することだと思います。
取材・執筆:吉村裕之 (@オフィスADON)
編集:chewy編集部 はら
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