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北の大地、南の島々 先住民族の視点

 機会があって2022年秋、北海道を訪れた。
 空知地方の炭鉱遺産とともに、アイヌ文化を発信する国立の新しい施設「ウポポイ」、19年という短い生涯のうちにカムイユカラ(口承叙事詩)の記録と日本語訳を成し遂げた知里幸恵の記念館にも足を運んだ。

 縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町……。
 日本史の教科書や歴史の概説書には、たいてい、そういう時代区分しか載っていない。

 北海道は歴史が違う。縄文のあと、擦文文化・オホーツク文化(どういう民族かは不詳)を経て、12~13世紀にアイヌ文化が形成された。
 アイヌの人々は千島列島、樺太南部を含めた広い地域に住み、狩猟採集だけでなく、北東アジアの諸民族や和人と活発に交易していた。
 1593年から松前藩がアイヌとの交易権を独占し、経済的支配を強めた。1799年以降は徳川幕府が防衛上の理由で直轄地にしていくが、そこは蝦夷地であって、日本ではなかった。

 1869年、明治政府が北海道と名付け、囚人や軍人、入植者による開拓とともに、アイヌの同化政策を進めた。
 この間の1855年に日露通好条約(ウルップ島とエトロフ島の間を国境とし、樺太は混住地)が結ばれ、1875年には樺太・千島交換条約(樺太はロシア領、全千島を日本領)が締結された。

 日本政府は前者、日本共産党は後者の条約を主な根拠に領土の返還を求めている。
 いずれも国家間の交渉史から論じているだけで、勝手に土地を分割された先住民族の視点が欠落している。
 2008年に衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全員一致で採択され、国としての認識が確定しているのに、無視したままでよいのか。

 南に目を転じよう。
 沖縄では貝塚時代、グスク時代、三山時代を経て1429年に琉球王国が成立した。その後、奄美諸島、宮古、八重山諸島も支配した。
 1609年に薩摩の侵攻を受け、その従属国となるが、王国の体制と文化を保ち、清にも朝貢していた。開港を迫る米仏蘭と条約を結んだ。
 1879年、明治政府は琉球王国の廃止を強行し、沖縄県を設置した。

 北海道も沖縄も、以前の支配・従属はあったものの、日本に組み込まれたのは明治以降。
 これは領土の明確化というより、台湾、朝鮮、満州へと続く帝国主義的拡大の始まりと見るべきではないか。

 たしかに当時は欧州の主要国も帝国主義。中南米、アジア、アフリカ、オセアニアの多くを植民地にしていた。米国も先住民を踏みにじってきた国で、1898年には、もともと王国だったハワイを併合し、米西戦争でフィリピン、グアムも植民地にした。

 いつまでさかのぼるのか、これからどうするかは難しいが、植民地支配への謝罪を求める動きは各地で高まりつつある。謝罪した例もある。

 土地と人間の独自性、多様性、尊厳を大切にする観点で歴史の事実をたどり、胸に刻むべきだろう。長い人類史から見れば、国家という存在が一時的な事象だとしても。

(2022年12月10日 京都保険医新聞「鈍考急考36」を転載)

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