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僕が不登校になった理由、そして今思うこと。

このnoteを書いている僕は19歳なのですが、実は3年前に不登校を経験しています。
僕が不登校になるちょっと前から今を時系列に並べて、なぜ僕が不登校という選択をしたのか、そして3年経った今何を思うのかを記録として残したいと思います。長いですがお付き合いください。

このnoteは特に、
・学校に行かない!という決断をしたみなさん(僕は「勇者」とよびます)
・学校に行きたくない、学校に行きたいけれど行けられない状況になっているお子さんのおうちの方
・不登校は悪いことだと思っている方
・教育関係に興味のある方

に読んでいただきたいと思っています。

初めは世にあまり出回ることに恥ずかしさを感じていたので有料noteにしていましたが、これだと本当に苦しんでいる子たちには届かないと感じました。
より多くの方に届いてほしいと思っていますので、このnoteを読んでくれた勇者のみなさんやおうちの方からのフリースクールや不登校に関する相談や不登校は悪いことだと思っている方との議論に乗りたいと思います。

高校入学、はじめは順調だったけど…

2016年4月。僕は高校に入学した。
行きたかった高校には行けず、自分がこの高校に入るとも思っていなかったから入学するまで存在すら知らない高校に自分がいるのはかなり苦痛だ。

成績はそんなにいいというわけでもなかったが、上位にいた。
学力的には特に問題がなかった。

しかし、学校生活に慣れてくるであろう時に僕はこの高校の事実を知ることとなる。

水泳訓練

僕が通っていた高校は「水泳訓練」という謎の行事がある。全国的にも珍しい行事、これがあることは僕は全く知らなかった。

クロールと背泳ぎはできるけど平泳ぎなんてしたことがない僕に毎日2時間の水泳の授業は苦痛だった。

次第に体も悲鳴を上げはじめ、いままでめったにでなかった喘息が出た。

このころからもう僕は学校に行くのがいやになったが、先生が怖くてなかなかそうもいかなかった。

いよいよ水泳訓練。
1日目は海に入らず、先輩と身体を動かしたり、親からもらった手紙に返事をするなどしていたのでさほど苦ではなかったと感じているが、それでも体は正直で、限界を超えていたのだろう。

2日目の朝、朝食を食べていたら気分が悪くなってしまった。
熱を測ると39度。かなり高熱だ。
結局この日は午前中は部屋で療養し、午後には少し体温が下がったので熱はあったが会場である海水浴場のテントで見学することにした。

ここで僕は「ヘタレ」の一員として学年中の全教師から目をつけられる、そんな始まりを迎えたのだった。

体調は良くなり3日目。いよいよ泳ぐぞ。

しかし、水慣らしをする2日目に僕は休んでいたので、この海水浴場の深さも水温もわからない。
海で泳いだことのない僕にはまさに「ぶっつけ本番」という感じだった。

水に入って、「意外といけるかもしれない!」と思っていながらも水温の冷たさに身体がついていかない。
泳ぎ始めて20分、僕はおぼれかけてしまい、先輩のホイッスルで船にあげられてしまったのだ。

2日目に看病してくれた看護師さんは「仕方がないよ…」となぐさめてくれたが、あとの教師というもの、僕をにらみつけていたのを感じた。
僕の見方は教師ではなく看護師さんになった。

不登校の兆候

あれから電車で家に帰る中で、「もうこんな学校には行きたくない・・・」という気持ちが次第に大きくなった。

終業式くらいは短縮授業だし通知表も見たいからでてやろうと思い、なんとか頑張って出た。
そのころの僕の楽しみはお昼の弁当タイム、そして放課後の部活だった。

8月の出校日、本当は行きたくなかったけど部活は好きだったから仕方なく出た。

これからは部活だけが僕の生きる糧になるんだろうな~と思いながら、夏休みの部活にはしっかり出た。

宿題が終わらない・・・

9月、いよいよ2学期のはじまり。
しかし、宿題は何一つとして終わっていなかった。
宿題をやって学校に行く姿を想像するとなんとなく宿題をやりたくなくなる。

自称進学校、多すぎる宿題。
「こんなに宿題を出して何の意味がある?」と思った。

それでもどこかに「やっぱやらなきゃ!」という心の声があり、徹夜して宿題を終わらせようとがんばってやってはみたけど・・・

やっぱり終わらなかった・・・。

僕は読み書きが苦手で、パソコンやスマホならなんとか書くことができるのだがペンで書くのは苦手だ。
ものすごく時間がかかるからそんな一晩じゃ終わるはずがないのだ。

朝になり、学校に行く時間になったが、行きたくない・・・。

宿題が終わってなくて学校に行きたくない・・・というのもあるが宿題が終わっていようが終わっていまいがそもそも学校になんて行きたくなかった。

そう考えるとお腹が痛くなってきた。

ついに学校を休む

母にお腹が痛いから学校を休むと伝えるとすんなり電話連絡を学校に入れてくれた。

なんとかその日は学校を休めた。
ただ、明日からどうやって学校に休めばいいんだと思った。
まあ、それは明日決めればいいや、そんなことを思って終業式当日は終わった。

負の連鎖

次の日。

学校に行くことを考えただけでお腹が痛くなり、動きたいけど動けない。
時間になっても動きがない僕に母は尋ねる。

「どっか悪いの?」

僕は正直に「お腹が痛い。今日も休みたい」と伝えた。

やはり母はすんなり了解した。

あれ?この方法行けるかもしれないと思い、これから毎日そうしていこうと思った。

次の日も、その次の日も、朝を迎えるたび僕はお腹が痛くなり、やはり動けない。

「お腹が痛い。今日も休む。」の毎日。
そうしているうちに母から「病院に連れていく。」と言われた。

その頃の自分は腹痛とともに下痢と吐き気をもよおすようになったので病院に行ければ学校も納得するだろうと思った。

病院に行くと「入院してください」ということだったので、入院することになった。

ただ、5日間しか入院できない。
もう終わりは見えているんだ。そう思った。

見えている終わりが近づくほど、病院にいておいしい食事はとれるし学校のことから解放されるからよかったがお腹は痛くなる。

そんなこんなで予定通り5日後には退院。

学校に行かねばならないのかと思うと気が重い。
とりあえず家に帰ってその日は寝た。

学校も心配するかと思いきや全く電話はかかってこない。
ついに見捨てられたな、と思った。

その次の日も、学校に行くと考えるとお腹が痛くなり動けない。

そんなことを繰り返しているうちに学校祭の季節がやってきた。
不登校10日目のことだ。

学校に行ってみようかな・・・

高校の文化祭は気になっていたので、1日目の芸術鑑賞は出た。
友達は心配してくれていたが、担任は「なんで来たんだ」と僕をにらみつける。

2日目の文化祭は本当は行きたくなかったが部活の発表があったので行かなければ穴ができる。
迷惑をかけるわけにはいかないから、行った。

クラス展示は僕がいないまま事が進んでいて、わけがわからなかった。今でもよくわかっていない。

やっぱり、ダメだ・・・

3日目、体育祭。
学校に行っていないときに体育祭の練習も進んでいただろうし、体力のない僕には体育祭は苦痛だ。

それを考えるとお腹が痛くなり、結局行かなかった。

すると担任から電話が鳴り響く。
「なんでお前、体育祭だけ来ないんだ。卑怯だ。」と怒鳴られた。

担任からは今すぐにでも来い、そう言われたが僕はそれを無視した。
意地でも行きたくないのだ。

結局昼過ぎまで電話の嵐で僕はとても困ったが、なんとかしのげた。


その翌日も学校があったが、体育祭のことを言われるのがいやだったから行かなかった。

また「お腹痛い。休ませて。」の連鎖は続いた。たぶん1週間は続いたと思う。

クラスメイトからのLINE

それは突然の出来事だった。

クラスメイトからのいきなりLINEが来た。
ただでさえ通知音に敏感だった僕はびっくりした。

恐る恐るLINEを開き、内容を確認。

「情報の授業で教えてほしいことがある。来てくれ。頼む!」との内容。

僕はパソコンが得意だし、そのことはクラスのみんなが知ってくれていた。

情報の授業は一番好きだし、それなら行こうかな… そんなことを思い始めていた。

再び、学校へ。しかし・・・

その授業の当日。僕は学校へ向けて足を踏み進めた。
1学期のころと同じ時間、同じ電車に乗ってみるが…

学校の最寄り駅について同じ学校の人を見たとたん、お腹が痛くなる。
ちょうどその駅にトイレがあったので、トイレにこもった。

しかし、トイレに入るなりスマホの着信音がトイレ中に響いている。
おそらく学校に行くと友達に伝えていたのでそれをしった担任が電話してきているのだろう。

怖くて出られない。そしてトイレからも出られない。


トイレでうずくまること2時間。
その間、何回外側からノックされたことだろうか。

ノックされるのも怖くなって、学校へ足を踏み進めた。


いつもは15分で行ける通学路、この日は1時間近くかかった。

学校が見えた瞬間、僕はまたお腹が痛くなり、靴も履き替えずに保健室へ直行した。

ただ、僕は宿題のことはとうの昔に忘れている。
そして情報の授業はすでに終わっている。

宿題主義

そんなことを思い出そうとしたとたん、担任登場。
真っ先に言われた言葉は「宿題は終わっているのか。出せ」。

宿題の存在すら忘れている僕が、宿題をわざわざ学校まで持ってくるはずがない。

この日はカバンに情報の用意と部活の用意しか入れていない。
あとは保健室で休もうと思っていたから・・・。

やはり自称進学校、僕の体調より宿題なのか。と思った。

当然、学校に来てしまったから放課後も部活に参加することなく職員室の横にある密室に3時間閉じ込められた。
担任に怒鳴られ、さらに学年主任まで出てくる始末。

当然、僕が読み書きが苦手ということは学校は知らない。というか誰も知らない。
このことで先生や友達からいじめられるのが怖かったのだ。

これ、もう絶対休めないじゃん・・・と思った僕、帰りの駅で泣き叫んだ。電話に出た母もさぞかしびっくりしただろう。この日は一晩中泣き崩れていた。

宿題と闘う日々

でも、泣き崩れている場合ではない。
実は閉じ込められている時、各教科担任へ「1週間以内に課題を提出します」という誓約書を書かされたのだ。

これっぽちは拒否できなかった。
2対1で圧倒的に不利で、拒否できるはずもなかった。

ということは、課題は絶対にやらないといけない。そう思った。

ロボット人間

あれから学校を休みたくても先生たちに怒られるから嫌でも学校に行き、課題も怒られるのが嫌だから答えをなんとなく写してそれとなく終わらせた。

『学校って、自分が行きたくて、自分のために言っているはずなのに、なぜ僕は、「人のため」だけに学校に行っているのだろう?』

ふとそう思ったが、行かなければ怒られる。
それが怖くて、結局3月まで1日も休まず学校に行き続けた。

不登校の僕にクラスで相手してくれる人はもういない。
一人ぽっちの飯なんて楽しくない。
授業でも僕がおもしろいからか僕のことばっかり当ててくる。
無理難題を押し付けてくる。

居場所を求め・・・

それでも何とか耐えた。

実は僕が学校に行き出してから、部活に僕の学校生活のすべてを頼るようになった。

不登校だったときでも授業は進んでいるから勉強も追いつかなくなり、成績はがた落ち。

もう部活しか頼るところがないのだ。

無事に進級!しかし・・・

なんとか1年生は終え、進級できるか危うかったけど赤点をとることもなく進級できた。

2年生のクラスはなんとなくおもしろいけど僕が不登校だった噂はすでに広まっていた。


修学旅行の班決め。だれも僕を入れてくれなかった。

だが余りがもう一人いたからその子と同盟を組んで人数が足りないところに入らせてもらったけど・・・

その班は最悪だった。また後で話すことにする。


勉強は・・・
やはりわからなかったが赤点はまだとらなかった。

まだ弁当は一人で食べているし部活への依存はさらに高まった。

体育祭も文化祭も楽しかったし、修学旅行も楽しく行けると思った。

でも、違った。班内分裂が起きた。

班内分裂!?

修学旅行の班は僕ともう一人の子、そしてもともとのグループで班が構成されていたが、なぜかお互い別行動。

嫌な奴と一緒にならなくてよかったが、2人だけの修学旅行はどこかさびしかった。

結局はその子と今でも連絡を取り合う仲になったし、それから僕が不登校にならなかったキーパーソンの1人になったのでよかったのかもしれない。
まさに「運命の出会い」だと思っている。

赤点

修学旅行が終わったあたりから勉強もよくわからなくなり(そもそもやる気がなかった)、赤点をとるようになった。

赤点をとった人は居残り指導があったが、その時は苦痛だった。

めちゃくちゃ怒鳴られた。赤点をとりたくてとったわけじゃないのに。
平均点の半分でもそれはないだろ。と思った。

また学校に行きたくないという気持ちが芽生えたが、弁当の時間が楽しかったし、部活でも仕事を任されるようになったからなんとか行った。

苦手な読み書き

医者から診断はされていないが、僕は紙に文字を書くのが苦手だし、読むのも苦手だ。いわゆる「読み書き障害」というものらしい。
それもあってかなかなか英語のつづりが覚えられないし単語も覚えられない。

英単語テストはいつも不合格。いのこりしてもなかなか合格にならない。
しまいにはこなせない量の課題を渡される。もうそれがいやだった。

耐えるに耐えられず、ついに僕はその後、部室で泣き叫んだ。

後輩の計らいもあってプライベートで勉強会をしてくれたのでなんとか落ち着けたが、それでも不合格の日々。もう僕はあきらめた。

「嫌でも課題をやるしかない」と。
そうして泣きながら絶対に1日じゃおわらない課題をせかせかやった。

当然ほかの勉強はできないからどんどん成績は駄々下がり。赤点をいっぱい取りましたww

刺激があればいけるんじゃないか?

なんだかんだで英語の課題漬けだった2年生も終わり、ついに3年生に。
受験が控えているからなんとか頑張りたい!そう思って国公立大学をめざすクラスへ。

もともと国公立大へ行く予定もなかった。だって学校が嫌だから。

でも、頭のいい人たちのやる気に刺激されたら僕も勉強やるんじゃないか、と。

とりあえず1ヵ月はがんばってみたけど… やっぱり駄目だった。
効果がありそうだと思ったが、それは逆効果だったのだ。
そしてこの時、最高に学校に行きたくない、と思った。

でもそのころの僕は部活の三役としてやらせてもらってるし、弁当も2年生のころのメンバーといろいろ息が合う人たちも増えて最高!!
だからそのために学校に行くようになった。

ただ、授業もよくわからず、クラスの雰囲気もあまり楽しくなかったので、クラスに居場所はもうなかった。

部活も三役になって正直つらくて自分の中ではいっぱいいっぱいでたくさん迷惑をかけた。
なので僕は三役をやめる決断をした。

いや、そうすると部活がなくなってしまう・・・そう思った。

2年生の終わりごろから生徒会の手伝いはしていた(生徒会メンバーは全員僕と同じ部活だから)から生徒会の手伝いに全力を注いだ。
でも、1年生から部活でやってたことを後輩にせっかくだから継がせたいと思ったから、後輩に継いだ。これまたやっかいで、夏まで続いた。

そうでもしないと僕の学校での居場所がないのだ。

クラスのことにはあんまり介入せず、文化祭の日の模擬店のシフトをすっぽかし、ひたすら生徒会の手伝いをしていたくらいだ。

学力貧乏

ちなみにこのころは全く勉強ができず、赤点をとりまくる。当然大学なんて無理だろう。
ちなみにそのころの偏差値は「32」。もうダメだ。

そもそも家庭の事情もあって、もともと大学に行きたいとは思ってなかった。
が、誰にも言っていなかった。でも、言わなきゃならない。

そして12月の懇談会、僕は担任に大学には行きたくないことをカミングアウトした。言うならもうここしかない、そう思った。

親に言ったときはすんなり受け付けてくれたけど、担任は認めない。
次第には認めてくれた親の考えがおかしいとまで決めつけてきた。

結局は「しょうがない。認めてやるか。」みたいな感じで話は終わったけれど、1時間くらい話し合った記憶がある。

もう勉強なんかしない!

その後から僕は、頭に来たからなんとしてでも大学には行かない、もう勉強なんかしない、そう決意した。

結局勉強しなかったから赤点はとりまくったけど、なんとか卒業に必要な点数はクリアしたみたい。
あとは卒業するだけだな、そう思った。

クラスで一人だけ大学に行かないから、やはりクラスからの視線は冷たい。そして頭のいい大学に行かせたい教師から見たらそのクラスにいるのに無礼なものだなと冷たい視線を感じた。

センター試験、その後・・・

センター試験当日。申込はしたけどインフルエンザっぽいと言っていかなかった。実際インフルエンザは偽陰性だったようだ。
やはり身体は正直だな、と思ってしまった。

もちろん学年主任には相当怒られ、しまいには大学に行かない人用の特別授業を受けさせてもらえず、勉強したくないのにさせられるところだった。

結局はその特別授業に参加させてもらえることになり、頑張って勉強しているクラスメイトをよそに僕はひたすら本を読んだり、ファイナンシャルプランナーや税理士の方のお話を聞いていた。

弁当を食べている子と席が前後だったから、そんなに苦じゃなくて、むしろ楽しかった。
そしてむしろ、こっちのほうが学校の授業よりも学ぶことが多いと感じた。
今までの授業はなんだったのだろうか。

卒業

そんなこんなしているうちに自由登校の期間に。他のクラスメイトは学校に来ていたが、僕だけ来ていなかった。

そんなことはさておき、いよいよ卒業式当日。
全然泣かなかった。むしろ自分、よくここまで耐えたな。と思うと同時に、この先何しようかな、ともふと考えた。

社会に出る、ということ

卒業して1週間は何をしようか悩む毎日。なかなか決まらない。

ある日、ふと「パソコンを教える仕事をしてみたい!」と思うようになり、近くのパソコン教室をひととおり応募しまくった。
でも、18歳、高卒、フリーター、何も資格を持ってない僕を採用してくれるところなんてなかった。

と思いきや、面接さえ引っかからなかったのに1社だけ面接をしてくれるところがあった。

そして採用。とある大手電機屋がやっているパソコン教室だった。

教えたことがなかったし働くのも初めてだったから、最初はいろいろ怒られたりしてきつかったけど、人と接するってなんか楽しかった。
自分なりにこの仕事、なかなか行けそう!って思った。

でも、6月。子供向けのクラスが始まることで、僕が木曜夜間と土日昼間に出勤をずらすことになった。もちろん生徒は1人もいない。なんとか子どもたちを呼び込もうと訴えた。
でもダメだった。暇すぎる。僕は暇というのが苦手だったのだ。どうしよう。

8月、新しい生徒さんが入ってくれたので暇は耐えられたが、1ヵ月でやめるらしい。
また暇になる。それはもう耐えられなかった。

ちょうど9月が契約の更新月だから、やめるなら今しかない。
この先ずっと暇だと思ったから、僕はここでやめる決断をした。

9月15日付で退職して、翌日から倉庫で働くことになった。
でも体力がなく、元不登校の僕には到底合わず、体調を崩したので結局1日でやめた。

おわりに

僕が高校を卒業して、フリーターになってからいろいろな人と出会う機会がとても多くなりました。
その中で、僕と同じ元不登校の人にも出会ったし、障がいを持った方にもたくさん出会ってお話をさせてもらっています。
もちろん、今まさに不登校になっている中学生の男の子にもお会いしました。

そして不登校から3年が経ちましたが、僕はこんなことを夢見ています。

★僕と同じように、学校に行きたくない、そう思う子は表に出ていないだけで実はいっぱいいると思うので、その子たちに「学校へ行かなくてもいいんだよ」と伝えてあげたい!

★学校へ行かない、その選択をしてくれた子たちの居場所を提供したい!

★きっとそういう選択をする子たちはするどい頭を持っているから僕が最近ハマっている「ボードゲーム」を通じて語り合いたい!

ということで、現在不登校の子たちの現状をよく知り、ボドゲーをしながら語り合う日々を送っています。

学校なんて行かなくても、社会そのものが学校なんだから。
行きたくないのに無理していかなくてもいいんだよ。

僕はいつでも、学校に行きたくない、学校に行かないと決断したみなさんを応援します。

【このnoteを読んでいただいたみなさんへ】
このnoteを読んでいただき、ありがとうございます。
せっかく読んでいただいたので、不登校に関する相談に乗ります!
TwitterのDMに「noteを読んだ」ということを伝えていただき、そのうえで相談内容を送信していただければと思います。

内容を確認させていただき、返信するのにふさわしくない内容(いわゆるスパム)については返信しないことがありますが、なるべく多くの方の相談に乗りたいと考えていますので僕に悩みをとことんぶつけてください!

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