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父の日

6/16(日)の父の日
4歳になる息子にいろいろもらいました。

似顔絵
塗り絵
折り紙
手紙
小物入れ
箸袋

すべて手作り

いちばんうれしい
これが最大幸福ってやつだろうな。これ以上ないだろうな。

個人的には「父の日」って凄く苦手でした。
家庭内暴力、威圧や恐怖による征服をしていた父に

何を感謝することがあるのだろう?
なぜ感謝しないといけないのだろう?

こいつ何様なんだろう?
こんなやつ◯ねばいいのに。
いっそできることなら◯してやりたいのに。
この世からいなくなれ。

それくらい思っていた人間に
世間は感謝することが正義と言わんばかりの風潮を突きつけてきて
早くこんな日終われ。
誰だよこんな感謝を強制するような日を作ったやつは、マジ迷惑。

と思っていました。
母の日も同様。

日本人の良さでもあり、他国からすると疑問に思われる
謙虚さ?
みたいなものからくる
キッカケがないと感謝することすらできない
というのが仇となって、わざわざ設定しちゃった日。

この予定調和というのでしょうか。
世間の風潮というのでしょうか。

生まれた時からあるすでに存在する
「あたりまえ」
のできごとを思考停止で受け入れるようなマインドは
息子には備わってほしくない。

どうしてだろう?なんでだろう?
世界と自分の内面を照らし合わせたときに感じる
「違和感」
を大切に
考える習慣をつけていってもらいたいなと思っているのが
私の子育て。

その違和感を
一緒に考えてあげたり、ときには一緒に調べたりするような
寄り添う姿勢も
親としては大切なのかなと思っています。

親には感謝しろよ。
親は尊敬しろよ。
そんな同調圧力に負けない
強い意志を持った自分に育って欲しいなと思います。

とはいえ、父の日は日本からは無くならないと思うので、
この日をきっかけにでもなんでも
「ありがとう」と思ってもらえるような毎日を
父親としては積み上げていく所存。

父の日は、ありがとうを言う側の日ではなく
ありがとうをもらえるような毎日を積み重ねているか
その評価をもらえる
父親のための日なんです。

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