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Happy Women's Map 宮城県大崎市 直心影流薙刀術第15代 園田 秀雄 女史 / The15th Master of Jikisinkage-ryu Naginata-jyutu, Ms. Hideo Sonoda

-みやぎの先人集 第2集 『未来への架け橋』(宮城県教育委員会2018年)

「私は薙刀では古今第一だと自負しております」
"I believe I am the best naginata master of all time."

園部 秀雄(本名 たりた) 女史
Ms. Hideo Sonobe
1870 - 1963
宮城県大崎市(旧岩出山町) 生誕
Born in Ozaki-city, Miyazaki-ken

園部 秀雄 女史は、天下無双の女性武道家で直心影流薙刀術第15代宗家。大日本武徳会薙刀術範士。大垣理吉、北島辰一郎、久保俊雄、折田謙、戸張滝三郎、高野茂義、渡辺昇などの剣豪と対戦しながら生涯無敗を誇る。
Ms. Hideo Sonobe is an unrivaled female martial artist and the 15th Master of Jikishinkage-ryu Naginatajutsu. She is also a Naginatajutsu master of the Dai Nippon Butokukai. She has never lost a single match in her life, despite facing such masters as Rikichi Ogaki, Tatsuichiro Kitajima, Toshio Kubo, Ken Orita, Takisaburo Tobari, Shigeyoshi Takano, and Noboru Watanabe.

「たりた」
 たりたは、仙台藩馬廻役・日下陽三郎の六女として誕生。跡継ぎの誕生を望んでいた父親から「もう女は足りた」という嘆きから「たりた」と名づけられます。父・陽三郎は馬術・弓術は藩随一と言われながらも、廃藩置県で600石の禄を失い、岩手山麓で百姓を始めるも生活は困窮。幼い時から馬を乗りこなすたりたも、代言人の家や旅館の奉公に出されます。17歳の時、奉公先の使いで町に出てきた秀雄は、剣術興行で薙刀を自在に操る女剣士・佐竹茂雄の薙刀術に魅了されます。柏木とほら貝と太鼓の音に続いて現れた、絵師・国輝の「撃剣興行」錦絵にも描かれた美貌の茂雄は、夫で座長・鑑流斎が筋肉隆々とした袴の股立ちを高く取って切り込む真刀を薙刀で鮮やかに払います。息をのんで見守っていた大入りの観客は大喝采。たりたは猛反対する父を何とか説得して3年間の暇をもらうと、座長・佐竹鑑流斎と佐竹茂雄夫人の一門に加わります。

「今様武蔵」
 たりたは荒くれ者たちが集まる剣術興行の一行に混じって、津々浦々町から街へと日本国中をさすらい歩きながら、炊事・洗濯・掃除・縫物など家事一切を任されます。たりたは、みんなが起きる前と寝静まった後に500本ずつ薙刀を振います。どんな場合でも勝たねばならない撃剣興行で全国を巡業しながら、賞金また名声目当てに飛び入ってくる幕末生き残りの剣豪たちが繰り出す剣・鎖鎌・槍と対戦して鍛え抜きます。不断の修練で忠実に仕えたたりたはわずか2年半で直心影流薙刀術の免許皆伝を許されます。「男を凌ぎ男より優れた者」になるように「秀雄」に改名。まもなく秀雄は、師を仲人として一門の花形・吉岡五三郎と旅の空で祝言をあげると、北海道で娘を出産、青森で夫と死に別れ、千葉で乳飲み子を宿屋のおかみにたくし、悲しみを振り払うように剣術興行に明け暮れます。やがて剣士たちが警察の剣道教師などに奉職して抜けていき剣術興行の人気が陰る中、老境に入って地方巡業が難しくなった佐竹夫妻は、26歳の秀雄に直心影流薙刀術第15代を継がせ、神戸の光武館道場主・園部正利の後妻として嫁がせます。

「天下無双」
 秀雄は姑と子供7人はじめ、夫の内弟子・食客・下宿人のために炊事・洗濯・掃除に客人のもてなしと、家事に家計のやりくりをしながら、薙刀を持ち出しては他流試合を申し込んでくる修行者また道場破りの相手をします。直猶心流の奥義を極めた夫との手合わせでも全勝する秀雄は、発足したばかりの日本武徳会の大会に参加するやいなや、大垣理吉、北島辰一郎、久保俊雄、折田謙、戸張滝三郎、高野茂義などの全国から集まる名だたる剣雄をなで切りにして無敗を誇り、5年連続優勝。武徳会に煙たがられる秀雄は30歳のとき、小松宮彰仁親王の御前で、武徳会会長・渡辺昇との番外仕合に臨みます。剣豪の昇は60歳をこえるも6尺(180cm)の巨体に5尺の長竹刀を上段に振りかぶり仁王立ち、対する秀雄は4尺8寸(148cm)の華奢な体で薙刀を中段に構えます。秀雄がジリッジリッ間合いを詰めると、昇は間合いを計って竹刀を打ち下ろします。「やあっ!」秀雄が右に外すのを待ち構えて双手突きを繰り出します。「とうっ!」秀雄は目にも止まらず早業でこれを外すと手元に飛び込んで面・銅・頚を薙ぎ立てます。昇は竹刀を投げ捨て苦笑しながら引き下がります。

「薙刀精神」
 秀雄は武徳会から教士に続いて範士の称号を受けます。秀雄は休みたがる子供たちを道場に引き出しながら、夫と道場「光武館」で弟子たちに薙刀術を教え、姫路師範学校や大阪女子師範学校でも薙刀教師を務めます。高野佐三郎の東京神田「修道学院」の道場開きに参加して薙刀術を披露した49歳の秀雄は、成蹊学園・実践女学校・女子体操学校・女子学習院・女子商業学校・二階堂塾などで薙刀指導を、竹田宮恒久王妃・昌子、山之内侯爵夫人・禎子、諏訪子爵夫人などの邸宅に出張して個人教授を始めます。「薙刀の精神は薙刀を使う時のみのものであってはならぬ。箒をとるときでも、道を歩くときでも、この精神を以てするようでなければならぬ。」57歳で大日本武徳会から範士の称号を受け、67歳で山之内侯爵家の援助により東京世田谷に薙刀道場「修徳館」ならびに薙刀教員養成所を創設します。敗戦後のGHQによる武道廃止を経て、日本薙刀連盟の結成に参加した秀雄は、93で逝去するまで薙刀稽古のために連日汽車に乗って日本全国を東西奔走、普段は少しヨボついて居ても、薙刀を握って構えるとしゃんとして一分のすきもなく、全国で老雄の妙技を披露しては全参観者を感嘆させます。「あたくしが一度でも手合わせに負けていたらこの年まで生きているものですか。」

-直心影流薙刀術
-みやぎの先人集 第2集 『未来への架け橋』(宮城県教育委員会2018年)
-「梢風名勝負物語 [第9] (花の講道館,秩父水滸伝,女侠剣豪伝)」(村松梢風 著 / 読売新聞社1961年)
-「日本武道大系 第7巻」(今村嘉雄 [ほか]編 / 同朋舎出版1982年)
-「日本剣客物語」(藤島一虎 著 / 人物往来社1967年)
-「成蹊学園六十年史」(成蹊学園1973年)

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