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Happy Women's Map 高知県高知市 2人目の女性事務次官で「人質司法」の被害者 村木 厚子 女史 / Nation’s Second Female Vice-Minister, and Victim of “Hostage Justice”, Ms. Atsuko Muraki 

-厚生労働省HP「厚生労働事務次官メッセージ」


「女というのは一生に一度は必ず理不尽な目に合わなければいけないものだ。今がその時なのだ。」
"A woman must face an unreasonable situation at least once in her life. This is that time."

村木 厚子 女史
Ms. Atsuko Muraki
1955 -    
高知県高知市 出身
Born in Kochi-city, Kochi-ken

村木厚子女史は、2人目の女性事務次官として「障害者自立支援法」「生活保護法案改正案」成立に奔走。「障害者郵便制度悪用事件」「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」による冤罪事件の被害者として164日間の勾留による身柄拘束を受ける。「共生社会を創る愛の基金」「一般社団法人 若草プロジェクト」の創設者。
Ms. Akiko Muraki served as the fourth female Director-General and the second female Deputy Minister at the Ministry of Health, Labour and Welfare. She worked tirelessly for the enactment of the "Disability Independence Support Law" and the "Welfare Law Amendment." She was also wrongfully detained for 164 days due to the "Postal Service Misuse Incident" and the "Osaka District Prosecutor's Special Investigation Department Evidence Tampering Case." She is the founder of the "Love Fund for Creating a Society of Coexistence" and the "Wakakusa Project". 

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「極度の人見知り」
 厚子は子どものころから本が好きで図書館に通い詰めます。シャーロック・ホームズはじめエラリー・クイーンなど推理小説と、近松門左衛門や井原西鶴また坪内逍遥の戯曲を熟読します。極端な人見知りで対人恐怖症の厚子は、ごく親しい友達以外のクラスメイトまた教師と話すのも挨拶するのも苦手。「干渉されることも、疎外されることもない自由な学校に行きたい。」厚子は親に頼み込んで塾に通い、自由な校風で知られる地元一番の進学校である土佐中学校・高等学校に進学。私立の学費で大変な家計を助けるためにアルバイトをしながら、図書館に通い詰めたり、名物教師の真剣で楽しい授業に夢中になったり、昼休み名物のフォークダンスに積極的に参加したり、先生また友人らと自主自律を尊重する落ち着いた人間関係を育みます。高知大学文理学部経済学科に進学すると、5人しかいない女子学生たちと仲良くなってアットホームな雰囲気で勉強会や読書会に邁進します。4年制大学卒業の女子を雇用する会社が高知には1社もない中、厚子は国家公務員と県庁の試験を受けます。県の面接官に「県庁の女の人の仕事はずっと庶務だ」と言われて悲しくなった厚子は、社会保険労務士に従事する父親に倣って労働省に入省します。

「障害者自立支援法」
 厚子は東京で見知らぬ人にびくびくしながらも、数年毎の新しい人間関係づくりにも前向きに取り組みはじめます。配属先では他の女性職員と同じ様に毎朝20人から30人の同僚にお茶くみをして、若手と同じ様に毎日部屋の掃除もこなします。「女性も高齢者も障害者も社会に貢献できる大きな力を持っている。」全国各地の現場に足を運んで当事者団体から話を謙虚に聞いては、精力的に説明会や勉強会を開いて部下を交えてワーワー議論します。やがて2女の母として仕事と子育てを両立させながら「障害者自立支援法」の成立に奔走します。「医療保険でも介護保険でも一定の自己負担がある。どうして障害者だけは別なのか。」就労支援を強化する確固とした財政基盤を作るために、障害者が福祉サービスを受ける場合に1割の自己負担を求める法律は、当事者団体から猛烈な反対にあいます。「飯を食うにも、排泄をするにも金を取るのか?」散々議論をやりあって当事者団体からも賛成の声が上がります。「自分の財布の中身と相談しながら今日何を食べるかを考える。それが自由というものだ。」2005年10月に「障害者自立支援法」を成立させた厚子は、厚生労働省4人目の女性局長として厚生労働省雇用均等・児童家庭局長に就任します。

「凛の会と郵便割引制度」
 2009年6月14日、厚子は大阪地方検察庁特別捜査部の検察官に虚偽有印公文書作成・同行使の容疑で逮捕され「あなたは起訴されることになるだろう、私の仕事はあなたの供述を変えさせることだ」と宣言されます。「実体のない障害者団体(「凛の会」)とわかっていて、証明書(郵便割引制度)の作成を指示したことはない」と否認する厚子に、遠藤裕介検事はあっさりと供述調書をつくり「今、逮捕状を請求しています」。厚子は検事の目を盗んで海外出張中の夫に携帯から「たいほ」とメール連絡して子供たちを託します。マスコミのフラッシュの嵐の中、大阪拘置所に移送された厚子は24時間カメラで監視される部屋に収監され、支給された灰色のトレーナーを着て寝ます。翌朝、手錠をかけられ、腰縄をしめられ、拘置所の車両に乗って、大阪地方裁判所に向かうと、裁判官から20日間の拘留と取り調べが言い渡されます。遠藤検事は厚子の話をメモにとりながら「裏ガネあるでしょ?」「否認をしていると罪が重くなります。」「どうせ執行猶予がつくのだから、大した罪ではない。」厚子は怒りで涙がこぼれます。7日目から加わった国井弘樹検事は厚子の話も聞かず「つまりこの事件はこういうことなんですよ。」「昔、担当した事件で、非常に有力な証拠を握っていながら、取り調べのときには明かさず、裁判でその証拠をつきつけて、有罪にしたことがあるんですよ。」「あの事件(和歌山毒物カレー事件)だって、本当に彼女がやったのか、実際のところは分からないですよね」そして勝手なストーリー内容の調書を作って「これにサインしますか」と迫ります。すぐに厚子は「しません」と拒否します。

「被疑者ノート」
 逮捕直後から連日接見に来てくれる弁護士はじめ支援者らに励まされながら、「あの時、お母さんも頑張ったんだし、大丈夫、私も頑張れる」と娘たちに思ってもらえるように、厚子は自分を奮い立たせます。毎日「被疑者ノート」に取り調べ内容を記録しながら、拘置所の独居房に張ってあるカレンダーを見て「今日も一日が終わった。あと○日だ」。ところが、厚子の弁護人による保釈請求を検察は反対し、裁判官も却下します。「サインをしていない調書があるから保釈を認めるな」「罪証を隠滅する」「逃亡する」拘束期間は約5カ月間に渡ります。「あなたの証言だけが浮いている」「あなたが嘘をついてないなら、他の人全員が嘘をついているということか。」検事から言われた厚子は勾留中の証拠開示をして3~40通に及ぶ関係者の供述調書を全て読んで「被疑者ノート」に記録します。上司の障害保健福祉部長・塩田幸雄は「国会議員の先生から頼まれて村木へ指示した」「障害者自立支援法案をスムーズに成立させるため、当時野党の大物議員だった石井一先生の言うことを聞くしかなかった」、部下の障害保健福祉部企画課係長・上村勉は「村木から指示を受けた」、「凛の会」会長・倉沢邦夫は「証明書は村木から受け取った」。「なんでみんなウソをつくんだろう」怒りを感じながらも、非常に整合性がとれている調書の束に「自分が記憶喪失になったのではないか」と不安になります。冷静になって添付資料の日付を調べるうちに、事件当時に自立支援法案はまだ影も形もなかったことに気付きます。厚子はただの一通も自白調書を作成することなく、検事の質問に丁寧に答えながら事情説明書の作成に応じながら、事実に反する記述についてはサインを拒否して粘り強く訂正を求めます。「これは、私と全然人格が違う人の調書です。」

「アリバイとフロッピーディスク」
 逮捕から164日後、厚子は保釈保証金1500万円でようやく釈放されます。捜査情報が報道機関に流出し、厚子を有罪とする報道が繰り返される中、2010年1月27日から開始した公判で検察官主張の矛盾が次々と明らかになります。「凛の会」会長・倉沢邦夫が公的証明書発行の口添えを依頼したとする民主党参議院議員・石井一は、面会場所の衆院議員会館には終日出入りせず千葉県のゴルフ場でプレーしていたアリバイが判明。検察側証人も次々と供述を翻します。部下の上村勉氏は「私が一人で誰にも相談せずにやった」、上司の塩田幸雄氏は「指示は記憶ない」、「凛の会」会長・倉沢邦夫氏は「村木とは名刺交換もしていない」。検察側は証人供述メモを紛失、担当主任検事・前田恒彦はじめ特捜部長・大坪弘道ならびに特捜副部長・佐賀元明が証拠物件のフロッピーディスクを改竄した証拠隠滅の容疑で逮捕される中、厚子は無罪を勝ち取ります。「調書に頼る裁判ということの怖さを今回実感しました。」「裁判に調書をお使いになるのなら、調書に書かれた言葉が誰の口から出た言葉かというのが分からないままで調書を使っていただきたくない。」「今回の調書はほとんど、取り調べられた人の口から出ていない言葉が相当調書に落とされていたというふうに確信をしております。」検察の在り方検討会議で厚子は意見陳述をします。

「受刑者の4分の1が知的障害者」
 「自分は支える側にいるという間違った優越感があったと実感した。」「誰でも支えてもらわなければならなくなることを実感した。」厚子は、国側から得た刑事補償金3333万円で「共生社会を創る愛の基金」を創設。受刑者の4分の1が知的障害者であることを踏まえ、知的障がいはじめコミュニケーション障がいがある人が犯罪を犯さざるを得ない状況に追い込まれない社会を目指します。職場に復帰した厚子は、内閣府自殺対策推進室長、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、待機児童ゼロ特命チーム事務局長(菅直人内閣総理大臣任命)を経て、2人目の女性の事務次官として厚生労働事務次官に就任、「生活保護法案改正案」の成立に奔走します。「自分を見てくれている人がいたら何度もここに来なかった。」生活困窮者支援の現場で、貧困、虐待、ネグレクト(育児放棄)、家庭内暴力など、家庭的に厳しい環境に置かれた少女たちと、拘置所で見た覚醒剤使用や窃盗また売春などで服役中の少女たちの姿が重なります。夜回りしながらお説教している間に、少女たちはスカウトマンにさらわれていきます。「日本の公的支援はすべての面でJKビジネスや性風俗に負けている」衝撃を受けた厚子は60歳で厚生労働省を退官すると「一般社団法人 若草プロジェクト」を立ち上げます。お金がない、住むところがない、信頼できて相談できる人がいない、生きづらさを抱える女性が犯罪に巻き込まれる、死を選ぶ、そうなる前に、少女たちと支援者をつないだり、支援者同士をつないだり、少女たちの実情を社会に広めたり、彼女たちの実態を学んで支援の輪を広めたり、社会に大きな応援団をつくることを目指します。「少女たちから信頼され、声をかけられる大人をたくさん増やしたい。」

-『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』 (村木厚子 著 / 中央公論新社2013年)
-『あきらめない―働くあなたに贈る真実のメッセージ』(村木厚子 著 / 日経BP社2012年)
-日本弁護士連合会 郵便不正・厚生労働省元局長事件(村木事件)
-共生社会を創る愛の基金
-若草プロジェクト: つなぐ、まなぶ、ひろめる

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