Happy Women's Map 東京都 太陽黒点科学記録の巨人 小山 久子 女史 / Giant of Sunspot Scientific Records, Ms. Hisako Koyama
「自然界は不思議なもので、何時どんな現象がみられるか分からないと思えばなかなか観測はやめられない。」
``The natural world is a mysterious, and if you don't know what phenomena will be observed at any given time, it's hard to stop observing.''
小山 久子 女史
Ms. Hisasko Oyama
1916 – 1997
東京都 生誕
Born in Tokyo-to
小山 久子 女史は日本の天文観測者で、ガリレオに始まる400年の太陽黒点科学記録を支える巨人。およそ40年にわたって、二十世紀最大の黒点また白色光フレアを含む、1万枚以上の詳細な太陽黒点を記録します。東洋天文学会学術研究奨励賞を受賞。「小山ひさ子の太陽黒点スケッチ群」は日本天文遺産に認定。
Hisako Koyama is a Japanese astronomical observer and a giant behind the 400-year sunspot scientific record that began with Galileo. Over approximately 40 years, it will record more than 10,000 detailed sunspots, including the largest sunspots and white light flares of the 20th century. Received the Academic Research Encouragement Award from the Oriental Astronomical Society. ``Hisako Koyama's Sunspot Sketches'' has been recognized as a Japanese astronomical heritage site.
「東日天文館プラネタリウム」
久子は22歳の霜月、日本で2番目のプラネタリウム施設として開館した、東京有楽町の東日天文館プラネタリウムを訪れます。ツゴイネルワイゼンのバックミュージックに星々の輝きが消えていくと、プラネタリウムの夜が明けていく。久子はすっかり星のとりこになります。家に帰って見上げた夜空はプラネタリウムも及ばぬ程素晴らしいことに今さらながら気付きます。1年に1度の七夕の夜にしか見えないと信じ込んでいた天の川は、夜毎に頭上を横切って白雲と見間違うばかりにくっきりと南の地平線に流れ込みます。久子は、村上忠敬氏・村上処直氏による「全天星図 (1958年) 」を手に入れると、プラネタリウムで覚えた真っ赤なアンタレスを起点として星座観察を始めます。「自然ははるかに美しい。」
「学生の科学」
続いて久子は「科学的に星を覗いてみたい」欲望にかられて、街で1組50銭の青レンズを購入、ボール紙を説明通りに組み立てて、筒口を一番星に向けて覗きこみます。ぼーっとした丸いものが視野の中を走りぬけます。倍率変化かと思ってアイピースを伸ばしたり縮めたりして喜びますが、やがて焦点内外像だと知るように、天文知識は少しづつ増えていきます。『学生の科学』誌に老眼鏡で天体望遠鏡ができる記事を発見すると、望遠鏡好きの眼鏡屋店主の指導を受けながら、ボール紙でカチカチの美しい筒をつくり上げると墨を塗って蝋でピカピカに磨き上げ、スルスル滑らかに動かしながら倍率40倍足らずの月面の噴火口を観察します。
「凹面鏡の磨き方」
折も折で、とも座に新星現るニュースを耳にした久子は、全天星図と筒を抱えて、人っ子一人通らぬ音一つない真夜中に新星観察に出かけます。新星が見つけることができない久子は「反射望遠鏡を作ろう」。鏡が手に入らないままで、ゴリゴリ木工工作を始めて三脚・架台・四角筒を組み立てます。反射鏡がなかなか手に入らない中、木辺成磨氏の「天体望遠鏡の作り方と観測法」の中に「屈折望遠鏡の作り方」の項目を見つけて感激。しかし「凹面鏡の磨き方」で挫折。父親にねだって口径36mm倍率60倍の完成品を手に入れ、ようやく土星の輪を目にします。太陽・月・火星・木星・星団・星雲・二十星と手当たり次第に筒鏡を向けます。「自然現象について正確に話し合いたい」
「東亜天文協会」
夜毎増す月の噴火口に感激していた時、京都帝国大学理学部に勤務する山本一清らが設立した「誰でも参加できる東亜天文協会」の存在を耳にします。早速、月面部の伊達栄太郎氏に手紙で問い合わせると「月面観測には最低でも口径7㎝が必要でしょう。」久子は望遠鏡を太陽に向けて黒点を探し始めます。1か月近く根競べしてようやく黒点らしいものを発見、胸ときめかせてスケッチすると太陽部の山本一清氏に送ります。「観測報告有難う。これが黒点です。」これを機に、久子は黒点の毎日報告への参加を始めます。小さな望遠鏡を窓の前に置いて接眼レンズの後ろにある太陽の像を紙の上に投影、太陽の黒点とその他の注目すべき観測情報を記録、それをハガキに描いた直径10cmの南北極の切れた円内にその日の黒点をスケッチして毎日報告します。第二次世界大戦中の空襲の激しい夜でも、庭に引っ張り出した布団の下に隠れて、観測部の小牧孝二郎氏によるガリ版手引きを頼りに夜空を観察します。「がまんくらべならさしずめ優等生」。
「東京科学博物館」
変光星の観測ノートを持ってモンペ姿で東京科学博物館(今の東京国立科学博物館)天文研究室の古畑正秋氏を訪ねた久子は、そこで口径20cmの赤道儀式天体望遠鏡と初対面を果たします。まもなく黄道光も天の川も輝くばかりに見られる焼け野原の東京で、これまでの渇きを潤すように繁々と通う久子に、専門職員観察員の話が舞い込みます。「一生の仕事にしよう。」主任天文学者・村山定男氏の研究室の一員となった久子は、毎日30分歩いて通勤すると、ドーム内の望遠鏡部屋を掃除してから、乱気流を気にしつつ、鉛筆を持つ手を凍らせたり、滴り落ちる汗を拭ったりしながら、接眼鏡を通じて直径30 cmの円として紙上に投影される太陽光球映像に黒点の詳細なスケッチとともに観測環境・観測時刻・特記事項等を書き込み、毎月の報告書をチューリッヒ天文台やベ ルギー王立天文台などの世界各地の天文台へ送ります。それから来館者に1日2回望遠鏡の構造や動きの実演、投射板に移った太陽黒点の説明する「星と太陽の先生」になります。およそ40年間に渡って、凍てつく寒さの冬もうだる暑さの夏も、毎日連続して同じ望遠鏡で一貫した観測方法で久子が残した黒点スケッチは1万枚を超えます。久子のスケッチをバックボーンとして、ガリレオ・ガリレイ、ピエール・ガッサンディ、ヨハン・カスパル・シュタウダッハー、ハインリヒ・シュヴァーベ、ルドルフ・ヴォルフら約400年にわたる太陽黒点活動の歴史が見直されています。
-『太陽黒点観測報告―1947‐1984』(小山 ヒサ子 著 / 河出書房新社1985年)
-『天文月報 1972年8月号』( 公益社団法人日本天文学会)
-『女性教養 12月(287)』(日本女子社会教育会 / 1962年)
-『季刊自然科学と博物館 48(3)』(科学博物館後援会 編 1981年)
-『女性と天文学』(ヤエル・ナゼ著 / 北井礼三郎・頼順子 訳 / 恒星社厚生閣2021年)
-「The woman who stared at the sun(太陽を見つめた女性)」
Share Your Love and Happy Women's Story!
あなたを元気にする女性の逸話をお寄せください!
Share your story of a woman that inspires you!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?