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Happy Women's Map 山梨県甲府市 日本初女性通訳者 古屋 登世子女史 / Japan's First Female Interpreter, Ms. Toyoko Furuse
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「識るや識らずや天地に通じる此の想い!聴くや聴かずや地籍天籍に和して奏する此の鼓動!国土をしろしめす大地の大御神よ!ご照覧あれ!」
"This feeling, whether known or unknown, is connected to the heavens and the earth! This heartbeat, whether heard or unheard, harmonizes with the heavens and the earth and resounds! O great deity of the earth who governs the land, behold this!"
古屋 登世子女史
Ms. Toyoko Huruse
1880 - 1970
山梨県甲府市桜町
Born in Kohu-city, Yamanashi-ken
古屋登世子女史は、日本女性初の通訳で女子英語教育家。1902(明治35)年文部省による日本初英語検定の女性第1号合格者。1917(大正6)年大阪に古屋英学塾を創始。近親者の裏切りによる塾乗っ取り・精神病院収監を乗り越え、25年間の英育事業の間に、国賓の英語通訳をしたり、英語劇の舞台に立ったり、ラジオで英語講座を始めたりしながら女性の社会進出を引っ張ります。
Ms. Toyoko Furuya is the first female interpreter and a pioneer in English education for women in Japan. She became the first woman to pass Japan's first English Proficiency by the Ministry of Education In 1902 (Meiji 35) . In 1917 (Taisho 6), she founded the Furuya English School in Osaka. Overcoming the takeover of the school and confinement in a mental hospital by close relatives, she led the way for women's social advancement throughout her 25-year English education career. During this time, she served as an English interpreter for state guests, performed in English plays, and even initiated radio English programs.
「新選組参謀長の娘」
登世子は新選組参謀長からキリスト教伝道師に転じた結城無二三の長女として誕生。3・4歳ころから分厚い大学の書を抱えて兄と一緒に寺小屋の漢学講義に通います。「天の命ずる~之を性と謂う~」昼間は先生について子守歌でも歌うように漢文を読み上げ、夜は二尺差しを構える母の横で声を張り上げ復習と予習を詰め込まれます。6歳から通い始めた村の小学校ではキリスト教を叩き込まれます。「神は天地の主催者にして、人は万物の霊長なり。」夜は父が話す古今の武勇伝に熱中します。9つになると、登世子は次々に子供を産み育てる母を手伝って流行りの編み物の内職をはじめます。登世子の両親は甲府で放牧を手飼いして牛乳屋を営みながらキリスト教に帰依、兄弟は宣教師の支援によって山梨英和学校・女学校ならびに東京の東洋英和学校・女学校に入学を許されます。
「白蓮と村岡花子の先生」
登世子は東洋英和女学校で厳格なピューリタン生活をしながら、寄宿舎で怪談話に興じたり、週末は兄と一緒に様々な著書を読み漁ります。卒業後、兄は国民新聞の記者に採用され、登世子は金沢市のミッションスクール、母校の東洋英和女学校、高知県立高等女学校で教鞭を執ります。教え子に若き日の白蓮・村岡花子が並びます。1902(明治35)年、文部省中等教育検定英語試験に挑戦した登世子は唯一の女性合格者に。英国夫人矯風会ストラウト女史の通訳で東京・関西・九州を回るなど、華々しく充実した日々を送るも結核に伏します。医者からも見放される中、療養中に訪れた木曽福島の森の中で、私塾を開いて育英事業に余生を捧げようと決意。病身を押してまだ英語熱の低い大阪天王寺の破れ工場を改修、「古屋女子英学塾」の看板を掲げます。外国人への日本語教授、雑誌への寄稿を運営費にあて、中学教頭を務める夫に家計を支えてもらいながら、英語の他のあらゆる科目を受け持ち、タイプライター、編み物、聖書、春の七草摘み、すき焼き実習など膝を交えながらの寺小屋英語塾から最初の6名を送り出します。
「日本初の女性通訳者を襲う悲劇」
まもなく登世子は大阪新聞社から依頼され、基金募集で来阪した熊本回春病院のミス・リデルの講演通訳を、さらに米国女流飛行家ルース・ロー夫人の同時通訳を依頼され阪神中を回ります。続いて大阪放送局といっしょにラジオの英語講座を全国に先駆けて開始。さらに坪内逍遥の高弟で気鋭の演出家・古川利隆氏を招いてシェイクスピアの英語劇の指導を始め、自らも塾生たちと共に舞台に立ちます。すると大阪でも英語教育が過熱、「古屋女子英学塾」は夜間部を設ける盛況ぶりに、登世子は無理が高じて入院します。それでも登世子は新校舎を建て、「雙葉英語会」を市内の各所に設立、教え子を教師に派遣します。ある日、歴史家グリフィス氏の夫人と会場に移動する走行中の車から転げ落ちた登世子は、仕事を全うできなかったことを恥じて通訳業を引退。再び結核はじめ内臓の病で倒れ闘病する中、夫が逝去。登世子は体に鞭打って、再び英国飛行家ブルース夫人の通訳はじめ英語塾での指導を始めます。その矢先、信頼する兄妹ならびに理事会のメンバーに「古屋女子英学塾」の財政を掌握され、登世子は大阪大学石橋分院精神病室に強制収監されます。
「北京へ」
登世子は毎日薬を投与され朦朧としながらも、病院内外に味方を見つけます。精神病院を退院した登世子は、設立者変更届の不正な公正詔書・塾長交代の捏造文書ならびに証人を探し出し、大阪地方裁判所に契約無効と貯金通帳・校舎物件・学生名簿また成績表などの引き渡し請求の民事訴訟を提起します。日を経月を淳々と重ねた法廷尋問の末、和解朝調停により「古屋女子英学塾」を3年ぶりに取り戻します。登世子は丸髷をバッサリ切り、国際都市・神戸に進出、ガイド・通訳者養成の方向に転換を計ります。思わぬ人気を呼び、夜間は銀行会社員のためのビジネス会話、アメリカ日系2世のための日本語教室を開講するも、英語の先生が升で計れるほど増えてきた神戸を後にします。登世子は手に心に日章旗を振りかざし、北京へ飛び立ちます。
-『苦闘10年』古屋登世子 著 / 古屋女子英学塾同窓会1926年)
-『闘病三十年間の私の事業と信仰と療病法 』(古屋登世子 著 / 古屋女子英学塾同窓会1952年)
-『狂乱から復活へ』(古屋登世子 著 / 人間医学社1955年)
-『女の肖像』(古屋登世子 著 / アサヒ芸能出版出版事業部1962年)
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