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Happy Women's Map 福島県田村郡三春町 女性初76カ国最高峰登頂 田部井 淳子 女史 / First Female 76 Summit Climber, Ms. Junko Tabei

-時事通信 / Jiji Press Ltd.

「女子だけで海外遠征を」
"Overseas Expeditions for Women Only"

田部井淳子 女史 Ms. Jyunko Tabei
1939 - 2016
福島県田村郡三春町 生誕
Born in Tamura-gun, Miharu-machi,Fukushima-ken

田部井淳子女史は女子登攀クラブを設立し、女性達だけで世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功しました。生涯で76か国の最高峰・最高地点に登頂しながら、安全で楽しい登山の指導・山岳環境保護の啓蒙活動に力を注ぎました。
Ms. Junko Tabei is the founder of the Women's Alpine Club and the first woman in the world to successfully climb both Mount Everest, the highest peak on Earth, and the highest peak on each of the seven continents. Throughout her life, she climbed the highest peaks and points in 76 countries while dedicating herself to promoting safe and enjoyable mountaineering, as well as environmental conservation efforts in the mountains. 
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 「ワァー登ったんだなぁ。」
 淳子がはじめて山に登ったのは小学校4年の夏休み。山好きの担任の先生に引率されて学友4人と一緒に2泊3日で栃木県の茶臼岳1915mを大冒険。歩くうちにだんだん草や木がなくなって砂と岩だらけ。硫黄の変なにおいがして、地面がぶつぶつと煮たっている。病気がちで運動も苦手にも関わらず、わくわくどきどきしながら、先生また学友と励まし合ってゆっくり一歩一歩進んで頂上に立ちます。淳子は頂上から見下ろす風景の美しさに感動します。順位を競うこともなく選手の交代もなく、体育が得意な友だちと苦手な自分も一緒になって登り途中の風景も頂上にたどり着く達成感もともに味わう。淳子はすっかり登山に魅了されます。中学・高校の山岳部は女子禁制で入部を断念、年の離れた兄と一緒に安達太良山・磐梯山・吾妻山に登ります。

「どうしても白い山へ登りたい雪の山を歩いてみたい 」 
 上京して昭和女子大学の英米文学科に進学すると、寮生活のストレスで体調を崩します。ふさぎこんでいた淳子は友人に誘われて奥多摩の御岳に登ります。 ただ ひたすら一歩一歩登りながら頂上に立つと、確かな満足感と山を取り巻く自然の広がり・空気・あらゆるものが体中の臓器にしみわたります。それから友人2人で東京周辺の山々からはじめ、谷川岳・中央アルプス・八ヶ岳・北アルプス・南アルプス・北海道の山々を歩き回ります。雪山を登りたい淳子は、女性を受け入れている社会人山岳部を雑誌で探しだして入部。日本物理学会に就職して論文編纂に従事しながら、毎週末ヘルメットを被りロープを体に巻きつけて岸壁にへばりつきます。「白嶺会」では富士山での雪上訓練からはじめ冬山の五竜岳・谷川岳一ノ倉沢を目指し、「龍鳳登高会」では日本最大の岩場、谷川岳一ノ倉沢の奥壁・衝立岩、穂高岳の屛風岩を目指します。

「女同士で衝立山を登ろう」 
 本格的な登山にのめりこんでいく中、ヨーロッパ三大北壁の一つアイガー北壁をドイツ人女性が初めて登頂した話を聞きます。早速、淳子は佐宗ルミエと女性ペアを組んで谷川岳一ノ倉沢の衝立岩に雪期登攀します。女同士の登山では、歩く速度も岸壁をつかむ位置も同じ、着替えやトイレなど気を遣う面倒もない。淳子は今までにない満足感を味わいますが、数か月後、谷川岳で仲間を助けようとして転落死したルミエの訃報が届きます。淳子は登山家・田部井政伸と出会い結婚・出産。淳子は退職金で夫・政伸をヨーロッパのマッターホルンに送り出します。政伸はヨーロッパ三大北壁のグランド・ジョラス北壁・マッターホルン北壁の登頂に成功するも凍傷で足の指4本を切断します。淳子は夫とザイルを組む一方、女同士で何度も登攀合宿を行い、猛烈な勢いで山に登り続けます。

「女だけでヒマラヤへ行こう」
 1969年「女だけでヒマラヤへ行こう」を合言葉に、淳子は宮崎英子、関田美智子とともに「女子登攀クラブ」を設立。気兼ねのない女性だけの海外遠征の登山隊「アンナプルナ日本女子登山隊」(隊長:宮崎英子、副隊長:田部井淳子、 隊員:平野栄子、漆原知栄子、平川宏子、佐藤礼子、真仁田美智子、山崎茂利江、 医師:大野京子)を結成。女性には登れないという世間の偏見に向き合いながらスポンサー集めに奔走、猛者達の統率に苦心しながら選出メンバーとトレーニングや登山計画を練ります。1970年、高山病・スリップ事故・荷揚げでメンバーが紛糾する中、アタックメンバーに選ばれた淳子はヒマラヤ山脈アンナプルナⅢ峰(7555m)に登頂を果たします。さらに、「エベレスト日本女子登山隊」(隊長:久野英子、副隊長:田部井淳子、 隊員:真仁田美智子、奈須文枝、渡辺百合子、 平島照代、三原洋子、中幸子、種谷由美、塩浦玲子、永沼雅子、荒山文子、北村節子、藤原すみ子、ドクター:阪口昌子)を結成。1975年、雪崩に巻き込まれ胸部圧迫・打撲を負いながらも下山を断固拒否、アタックメンバーに選ばれた淳子は世界最高峰エベレスト(8848m)の女性世界初の登頂を果たします。

「一緒に富士山に登ろう」
 さらに淳子は女性登攀クラブを率いて、1992年女性世界初で7大陸最高峰登頂。さらに、アイガー、マッターホルン、グランドジョラスとエネルギッシュに登り続け76か国の最高峰・最高地点の登頂を記録。還暦前には、キルギス共和国のポベーダ峰(7439m)・イスモイル・ソモニー峰(7495m)、レーニン峰(7134m)、コルジェネフスカヤ峰( 7105m)、ハン・テングリ(7010m)の天山・パミール高峰五座に登頂を果たし、現地で「雪豹」の称号を贈られます。東日本大震災後、淳子は故郷福島はじめ東北の高校生たちを連れて富士登山をはじめます。仲間同士で日本一の富士山に楽しく登れるように、内気な子には声をかけて疲れた子は励まして、勇気や元気を持って前に進めるように頂上に立たせます。

-田部井淳子基金 Junko Tabei Foundation

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