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Happy Women's Map 新潟県三条市 最期の長岡瞽女 小林ハル 女史 / The Last Nagaoka GOZE, Ms. Haru Kobayashi

-『次の世は虫になっても : 最後の瞽女小林ハル口伝』(桐生清次 著/ 柏樹社1981年)

「次の世には虫になってもいい。明るい目をもらって生きたい。」
``I don't mind turning into a worm in the next life. I want to live with bright eyes.”

小林 ハル 女史
Ms. Hru Kobayashi
1900 - 2005
新潟県三条市三貫地新田(当時の南蒲原郡井栗村三貫地) 生誕
Born in Sanjyo-city, Niigata-ken

小林 ハル 女史は、最後の長岡瞽女。5歳から瞽女修行を初めて、73歳で廃業するまで、新潟県全域と山形県の米沢・小国地方、福島県南会津地方を巡業してまわります。無形文化財「瞽女唄」の保持者に認定。黄綬褒章を授与。
Ms. Haru Kobayashi is the last Nagaoka Goze. She began training as a Goze at the age of 5, and toured throughout Niigata Prefecture, the Yonezawa and Oguni regions of Yamagata Prefecture, and the Minamiaizu region of Fukushima Prefecture until she retired at the age of 73. Recognized as the holder of the intangible cultural property "Goze-uta". Awarded the Medal with Yellow Ribbon.

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「寝間に閉じ込められた良い子」
 ハルは26件軒しかない小さな村の農家に生まれます。両親は田畑をたくさん所有する庄屋で小作人と使用人を抱え、船大工をする親戚は村の区長を務めます。生後3か月の時に白内障を患い両目の視力を失い、2歳で父親が逝去、喘息持ちの母親は大叔父と同居します。「お前は良い子だから寝間でおとなしくしているんだぞ。ハルと呼ばれなかったら声を出すんでないよ。」と言い聞かせられ、家の一番奥の寝間に閉じ込められ、年の離れた兄姉たちはハルを相手にしてくれず、家の者はどこへも連れて行ってくれません。祭りの太鼓の音が聞こえても、子供のお遊ぶ声が聞こえても、ハルは言いつけを守って寝間で大人しくしています。

「瞽女に弟子入り」
 やがて、瞽女宿をしていたハルの家族は、村を訪れる瞽女・樋口フジのもとへハルを弟子入りさせる段取りをつけます。5歳のハルは母親から礼儀作法や編み物、縫い物、着物の着方や風呂敷を使った荷造りの仕方、荷物の持ち運び方などを厳しく仕込まれます。7歳になると、瞽女・樋口フジから自宅で唄と三味線を習います。朝8時から11時まで、昼1時から4時まで、フジが後ろからおんぶする様にハルの指をしっかり押さえながら「岡崎女郎衆~岡崎女郎衆は良い女」と歌いながら3日かけて三味線を覚えます。歌の意味が分からないまま夢中で習います。「松がつらいとおおみなおしゃんすけど しのぶ松よな楽しみに せめて松よ二葉の松よ 中に小松と思えども ああそれそれそうじゃいな」12月の1か月間は朝晩の寒稽古が加わります。朝5時から7時までと夜6時から11時まで、さらしの下着1枚に赤い木綿の腰巻をつけ、ネル生地の単衣とカッパを着て、素足に草鞋を履いて、家の前を流れる信濃川の土手に上って、雪の中で杖につかまって唄います。「黒髪のむすぶ おれいたる想いには とけて寝る夜の枕とて 一人寝る夜のあだ枕 夕べの夢の今朝覚めて ゆかしなつかしやるせなさ 積もるとしらで 積もる白雪」

「厳しい子弟律」
 9歳になったハルは、母親と一緒に着物を着て子ども三味線を担いで杖をついて歩く稽古を始めます。表に出て村の子供たちと遊びます。「小鳥の鳴き声がいっぱいする」「空気がうまい」「表に出るのはいいもんだ」秋には、師匠の樋口フジと姉弟子のコイ25歳ならびにクニ21歳とともに初めて巡業に出ます。片目の見えるクニの手引きで列をなして村々で門付けをして回ります。道中も唄の稽古は途切れることなく続き、急な山坂を荷物を担いで登るときには一番難儀な唄を練習させられます。6月になると、八十里越と呼ばれる難所を越えて会津へ向かいます。両手で木や石につかまって這って歩き、はるか下でゴオゴオ川音のする橋を光明真言を唱えながら渡ります。会津は余り米が無いところで、師匠・フジの定宿では滅多にご飯は食べられず、芋やとうきびをもらったり、麻の糸揃えや蚕の葉もぎを手伝ってしのぎます。ご馳走に預かってもご飯とみそ汁と漬物以外のおかずに手を付けることを許されず、口答えをして杖で突き飛ばされたり、宿探しに失敗して独り村はずれの御堂で寝かされたり、師匠が教えない歌を歌って山中に置き去りにされたり、撥を踏んで三味線なしで町に立たされたり、師匠の教えられた通りに歌えないと手をついてあやまりあやまり、ハルは14歳で紙張りの二丁三味線と木の撥を許されます。

「長岡の瞽女組織」
 まもなく姉弟子のコイならびにクニは嫁入り、師匠・フジは目の見えるキイと組んで、ハルは巡業から外されます。その年の長岡の瞽女屋敷での妙音講に参加したハルは、2階建ての大広間に360人の親方衆が勢揃いする中、大親方・山本ゴイの許可を得て、実家がお菓子屋を営む盲目のハツジサワに正式に弟子入りをします。15歳のハルは瞽女名「チヨノ」を授けられます。「本当の親子だと思って心を合わせて暮らせられればそれでいいんだわね」
目が少し見える9歳のハツイを手引きに、師匠・サワと巡業に出ます。米を出して宿泊したり按摩の仲間宿に止まったりしながら、昼は門付け、夜は宿屋・芸者屋・飲み屋・女郎屋を軒付けをして流して回ります。サワの馴染みの富豪宅では立派なお膳とお菓子をみんなで楽しみます。越後では瞽女は縁起がいいめでたいとされ何人でもまとめて泊めてくれ、米沢では子供連れで歌を聞きに来て夜になると女の年寄りだけが残って宴会が始まり瞽女を大事にしてくれます。

「革張りの三味線とべっ甲の撥」
 やがて師匠・サワが体調を崩して寝込むようになり、18歳の時にサヨという男好きでろくに唄も歌えない目の見える瞽女と巡業を始めます。長岡組出身のサヨは、もと三条組出身のハルを下方下方と馬鹿にします。長岡組は男と酒の座に就いたり、男の盛る盃に口をつけることも許されず、三条組・白根組・新津組・新潟組の下方の組は金さえ出せば男を持つことも許されていました。旅中でハルはサヨに陰部を杖でめった刺しにされる暴行を受けても師匠に黙って唄い続けます。ハル22歳のときに師匠・サワが38歳で逝去。妹弟子で盲目のハナヨ12歳を抱えて途方に暮れるハルは、「親方無しのはみだし」「下方のあまり」と馬鹿にされる長岡の瞽女組織を出て、最初の師匠・フジの弟子で目の見えるキイに弟子入りをして巡業に出ます。まもなく23歳のハルは、師匠のキイから革張りの三味線とべっ甲の撥を許されます。

「搾取される親方」
 34歳のハルは独立して親方になります。かつての師匠・サワの友人で盲目の瞽女・長谷川スギと組んで、盲目のハルエとシズエ、目の見えるテルヨならびにミドリの妹弟子を伴って巡業に出かけます。ところが、仲間宿としていたスギの夫の60歳近い按摩仲間らがテルヨとミドリをそそのかし妾にします。ミドリが他所に嫁入りしたのを見届けたハルはテルヨを養子として、按摩師・仙吉と正式に結婚させます。スギらと巡業に出ては、夫の按摩仲間にご飯炊きをするテルヨのもとに稼ぎを運びます。仙吉の元妻に家を明け渡すと、仙吉の按摩仲間らとともに女川に移ってスギらと巡業に励みます。39歳のハルはテルヨとの同居を諦め、長岡に戻って天理教の教会に身を寄せます。天理教信者の瞽女と巡業して稼ぎを女川に送ります。やがてアメリカ軍の空襲で大工町の瞽女屋敷が焼失。廃業を余儀なくされる瞽女が相次ぐ中、ハルは盲目の瞽女セツと目の見える少女キミを引き受け、相変わらず稼ぎを女川に運びます。59歳のハルは出湯の華法寺に身を寄せ、女川の仙吉と正式に縁を切り、セツと一緒に家と畑を借りてキミを養女にして楽しく暮らし始めます。やがて74歳のハルは『葛の葉子別れ』を唄い納めて三味線を置きます。「ものの哀れを尋ぬれば  芦屋道満白狐 変化に葛の葉子別れを 事細やかには読めねども 粗々読み上げ奉る」(『葛の葉子別れ』)

-『次の世は虫になっても : 最後の瞽女小林ハル口伝』(桐生清次 著/ 柏樹社1981年)
-瞽女唄ネットワーク

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