Happy Women's Map 神奈川県小田原市 八百半デパートの創業者 和田 カツ 女史 / The founder of Yaohan, Ms. Katsu Wada
「感謝と奉仕と愛の祈りの商人の道」
"A Merchant's Path of Gratitude, Service, and Love Prayers"
和田 カツ 女史
Ms. Katsu Wada
1906 - 1993
神奈川県小田原市 生誕
Born in Odawara-city, Kanagaw-ken
和田 カツ 女史はスーパーマーケット業界初の国外進出を果した八百半デパートの創業者。TVドラマ「おしん」のモデルと言われています。
Ms. Katsu Wada is a founder of Yaohan, the first Japanese supermarket industry to expand overseas. She is a model of Oshin.
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「子供のために生きる」
カツは小田原の八百屋「八百半」の長女として生まれます。店の台所仕事を引き受けるかわりに、高等小学校から小田原高等女学校(後の神奈川県立小田原城内高等学校)へと進学、当時では数少ない女学生となります。教員に就職するか会社員や銀行員の妻となることを夢見るも、父親の一存で従業員の和田良平とカツを結婚させられ、夫妻で八百屋を継ぎます。カツは泣く泣く子供を立派に育てることを生きがいにすると決意、子供を大学に行かせたい一心で、朝5時に起きて夜12時まで働きづめで積極的に働きます。24歳の時に熱海市銀座の旅館の軒先を借りて「八百半熱海支店」を開店。リヤカーを引いて得意先の旅館への野菜を卸しに行きます。熱海には町一番の八百屋があってトラック1台分の野菜を収納できる冷蔵庫を備えているのに対抗、カツは夜間も野菜を店に並べたままにして夫と交代で販売を始めます。夜露で野菜の新鮮さは増す上に、映画館やダンスホールなどで遅く帰宅する人々が店に寄るようになり、芸妓を連れた男性が見栄を張って高級な物をたくさん買うなど大繁盛します。平均睡眠4時間の生活が、十数年続きます。店もようやく軌道に乗り始め、生活も安定してきた矢先に夫が倒れ、長女が2歳で早世、息子達の子育てに苦悩します。カツは新宗教団体「生長の家」に入信して熱心な信者となります。
「感謝と奉仕の商人道」
「熱海大火」で20年かけて築いた八百半商店が一夜にして全焼。得意先である旅館の好意で、店の再建まで旅館の軒下を売り場として借りながら、さらに仕入先の好意で勘定をツケにしてもらいながら商売を継続します。カツは考えます。旅館相手の野菜卸事業は売上の割に資金繰りが苦しい。御用聞き・配達の手間の割に未回収金も板前への賄賂も負担が大きい。夫を引き連れて、現金正札販売で有名なベニマル(現在のヨークベニマル)を福島県郡山まで見学に行きます。そこでは八百半の10分の1の広さの店舗に客が押し寄せ2倍以上も売り上げていました。早速、株式会社八百半食品デパートとして再出発、主に一般消費者相手に食料品の現金正札販売を始めます。品物を安く販売して世界一物価の高い熱海の住民たちの大評判になります。仕事が多忙を極める中、一部の従業員がストライキを起こして旅館に立てこもる事件が発生。カツは新宗教団体「生長の家」を取り入れた社員教育に力を入れて社員を一つにまとめあげようとします。退職した女子社員の再雇用・育児休業・育児短縮勤務を業界でいち早く導入する一方で、信仰を受け入れない従業員は解雇していきます。まもなく長男に事業を譲ると、カツは日本流通業初の海外進出を果たしたヤオハン社員の教育のために精力的に、シンガポール、コスタリカ、アメリカ、香港、マレーシア、タイ、中国、マカオ、イギリス、など16か国450店舗を飛び回ります。バブル崩壊と時を同じくしてカツが死去するとヤオハンも1997年に倒産します。
-『ヤオハン・祈りと愛の商人道』(和田カツ 著 / 日本教文社1988年)
-静岡新聞 Shizuoka News
-NHKテレビ小説 おしん NHK TV drama OSHIN
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