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Happy Women's Map 山形県鶴岡市 日本初フェミニズム作家 田澤 稲舟 女史 / Japan's Pioneer of Feminist Literature, Ms. Inabune Tazawa
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「男程おそろしくけがらはしきものはなし」
"Nothing is more terrifying and ugly than a man."
田澤 稲舟 女史
Ms. Inabune Tazawa
1874 - 1896
山形県鶴岡市鶴岡五日町川端 生誕
Born in Tsuruoka-city, Yamgata-Ken
田澤稲舟は樋口一葉と並ぶ明治の女性作家。近代的な女性の複雑な自己主張を表現している、フェミニズム文学の先駆者です。
Tazawa Inafune is a female novelist of the Meiji period, who admired as much as Ichiyo Higuchi. She is a pioneer to expresse modern women's desires or complex identities on literatures.
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「不良少女」
戊辰戦争での敗戦後、汚名を晴らそうと「刀を鍬にかえて」原生林を開墾して養蚕に励む庄内藩で、錦は医師・田沢清の長女として誕生。新聞や雑誌に投書をする文学好きで、朝暘小学校高等科を卒業後、同級生を頼って16歳で上京、共立女子職業学校(後の共立女子大学)図画科に入学します。『以良都女』への投稿をきっかけに新進作家・山田美妙に熱烈に師事します。学校にもあまり通わず、絵を描いたり小説を書いたりしながら過ごしますが、山田美妙との噂を心配する両親に所在を突き止められては郷里に連れ戻され家出するというのを繰り返します。
「医学修行」
山田美妙の指導を受けながら、錦子は『文芸倶楽部』に「医学修行」を発表。田澤稲舟として21歳で作家デビューを果たします。継母に育てられた娘が、女医のもとに弟子入りさせられ、医学予備校・救世学舎に入学させられるも、勉学に励むことなく絵を描いたりしてもんもんと過ごすうちに、地震が起きたある日に窓から逃げ出し、女義太夫となって身の上話を浄瑠璃として語って喝采を博す。まるで錦子の東京生活の一部分を吐露する様に書きあげます。
「小町湯」
相変わらず家出を繰り返す錦子は、田沢家で経営していた「桜湯」、そして当時上野美術学校で初めて採用された裸婦モデルをヒントに「小町湯」を発表。官吏の息子で商人になる事を拒んで勘当された画家志望の青年が、風呂屋の番台を守りながら女性の裸体を一心不乱に見つめて描き上げた絵が、展覧会で特選1等となって2万円で売れる。時代に敏感な内容ながら「不良」「不品行」と評判は芳しくありません。
「しろばら」
続いて貴族・華族の醜聞が広がる中で錦子は「しろばら」を発表。男嫌いの純真なヒロインは、頼りにする乳母の手引きで華族の放蕩息子にクロロホルムを嗅がせて犯された末に投身します。貴族・華族はじめ森鷗外や内田不知庵ら男性作家らからなる文壇を大きく揺るがし大非難を受けます。近代的自我に目覚めた不幸な女性を描いているとして『帝国文学』『早稲田文学』は稲舟を樋口一葉に次ぐ作家であると批評。「滝口入道」で華々しくデビューして文学評論で活躍する同郷の3つ上の先輩・高山樗牛は、『太陽文学』に「女性作家に告ぐ」を発表して「塁が及ぶ」「心配」としながらも錦子に深い関心を寄せます。
「月にうたふ懺悔の一ふし」
この年の暮れ、突然、山田美沙が郷里の錦子ならびに両親を訪ね結婚を取り付け上京。2人の合同作「峯の残月」を『文芸俱楽部』に発表。まもなく新聞『万朝報』で夫・山田美沙が結婚前から愛人に浅草で待合を開かせ入り浸っていたスキャンダルが発表されます。夫・山田美沙は小説を書く手段と発表、坪内逍遥は『早稲田文学』で小説家は人権を無視していいのかと反論。同居していた義祖母との大変な悶着を経てわずか2か月で離婚して郷里に連れ戻された錦子は、この騒ぎは自分が起こしたのであって妻の務めを果たし得なかったのだという内容の「月にうたふ懺悔の一ふし」を読売新聞に発表します。
「五大堂」「唯我独尊」
錦子が鶴岡に戻ったわずか1か月後、元夫・山田美沙は日本橋の芸妓と結婚。憔悴しきった錦は肺炎の病床にありながら「五大堂」「唯我独尊」を書きあげると、睡眠薬を過剰摂取して22歳で逝去します。自殺未遂として新聞で報道され、元夫・山田美妙は文壇から駆逐されます。同じ年に彼女の遺稿「五大堂」が発表されます。流行男性作家が子爵令嬢と逃避、クライマックスで男は我に返って迷うも可憐な箱入り娘が物の怪のように男を死地へ誘因、二人で投身します。さらに翌年に発表された錦子の最後の遺稿「唯我独尊」では、伯爵夫人となって自殺を図った女性が愛する外科医による「クロロフォルム」無しの開腹手術の末にハッピーエンドで結ばれるという「しろばら」の別の結末を描いています。「田澤稲船女史の訃音を聴く」という弔慰文を読売新聞に寄せたのは高山樗牛と言われています。
-「ある明治の青春 : 田沢稲舟女史について 」(鶴岡市立図書館1964年)
-庄内日報社 Shonai News
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