Happy Women's Map 岡山県井原市 伝説の女刀工 大月 源 女史 / The Legendary Female Swordsmith, Ms. Gen Otsuki
「一、鉄の善悪を選ぶべし。悪しき鉄は鍛へんに何返打かへして鍛はればとて悪所変して善とならんや。二、気を選び炭とすべし澄人なしてまた選ぶべし。三、火を選ぶべし尤も清浄を用ゆべし假にも不浄汚穢の火を以て鍛うべからず。四、土を附泥をかけて焼刃を渡す其の土尤も吟味すべし。五、水を以て成就す是を湯加減という陰中の陽陽中の陰とて是相州正宗伝にして家事極秘伝なり。・・・」
大月 源 女史
Ms. Gen Otsuki
1733 - 1808
岡山県井原市(後月郡江原村) 生誕
Born in Ihara-city, Okayama-ken
大月 源 女史は刀剣史上唯一の女刀工。女国重と呼ばれる。
Ms. Otsuki Gen is the only female swordsmith in the history of sword making in Japan. She is called the "female Kunishige."
「国重」
「国重」の工銘で名高い備中国・水田鍛冶は、備中松山城主・三村家親に招かれた大月三郎左衛門尉国重、毛利元就に抱えられた大月左兵衛尉国重らが、呰部、水田、荏原を発祥の地として戦国期に活躍、江戸時代までに60余名の刀鍛冶を世に送り出して大いに繁栄を見せます。源は、5代目・大月伝十郎国重の一人娘として生まれます。幼い時に母親を失い、16歳で父に死に別れ、夫・甚兵衛にも若くして先立たれ、叔父・大月伴十郎のもとに身を寄せます。家宝の秘宝を授ける間もなく病床についてしまった叔父は、ある日、21歳の源を枕元に呼び寄せます。「我が家は遠い昔から高越城主・北上家に仕えて15代。名高い国重の家を今に及んで断絶刺すのはご先祖様に申し訳が無い。お前は女の身ではあるが全霊を込めて鍛え打て、そして家名を上げてくれ。」
「女国重」
源は叔父の遺命に基づいて、束髪に袴姿で端然と座して一槌一槌魂を打ち込んで難行苦行を重ねますが、女の細腕では思うに任せず幾度も仕事場で深い溜息を漏らします。そして氏神天満宮に百度参りをします。100日目の満願の日、南北朝時代の山城国を発祥として黒田長政に仕えた刀工派・筑前信国が諸国行脚の旅の途中で源のもとに立ち寄ります。この一日の対談で10年の進歩を遂げた源は、腕前を目覚ましく磨き上げ、優れた日本刀を鍛え得るようになります。太平の世ながら、奉納刀や短刀などにより世に女国重といわれるまでになった、刀剣史上唯一の女刀匠は奥義を養子・伴七に伝えて家名を継がせると76歳で逝去。養子・伴七が狩野信喬に描かせた肖像画に、小柄ながらも腕は太くがっしりとした体格で鋭い目をして鍛刀に打ち込む源の姿が伝えられています。源から数えて4代目、廃刀令によって国重の秘伝は途絶えます。
-『郷土先哲後月の人人』(後月郡教育会1944年)
-『刀剣と歴史 (414)』(日本刀剣保存会1963年7月)
-『崑山片玉集』(井原市教育委員会1969年)
-『岡山県後月郡誌』(後月郡役所 編 /名著出版1972年)