Happy Women's Map 群馬県富岡市 日米初の女性心理学博士 原口 鶴子 女史 / First Female Psychology Ph.D. in Japan and U.S.A., Ms. Tsuruko Haraguchi
「私は指図がましいことをさせられない時に、最も能く私の義務を果たすことができる」
``I am able to fulfill my duties best when I am not told to do anything.''
原口 (旧姓 新井)鶴子 女史
Ms. Tsuruko Haraguchi / Arai
1886 - 1915
群馬県富岡市一宮町 生誕
Born in Tomioka-city, Gunma-ken
原口鶴子女史は日米女性初の心理学博士Ph.D。精神疲労に焦点をあてた産業心理学の先駆け。心理学はじめ新しい家庭の実践について執筆活動を行って日本における女性権運動に影響を与えました。
Ms. Tsuruko Haraguchi is the first woman to recieve a Ph.D. in psychology, and a pioneer in industrial psychology that focuses on mental fatigue in Japan and the United States. Her writings on psychology and new family practices influenced the women's rights movement in Japan.
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「工女たちのための精神医学」
豪農でコメ・肥料・線路枕木・養蚕の商いを営む父・新井廣三郎と母・たねのもと4人姉妹の次女として生まれます。鶴子は富岡製糸場に集う工女たちの過酷な長時間労働・劣悪な労働環境を幼心に悲しむようになります。一ノ宮尋常高等小学校に入学すると「医学博士になってきちがいの学問をする」とまわりに宣言します。群馬県高等女学校(現在の群馬県立高崎女子高等学校)に進学すると、草履にたすき掛けと茶色の袴をつけてテニスを楽しみながらも飛び級をして、精神医学を目指して日本女子大学英文学部に進学します。
「心理学」
試験もなく成績表もなく落第もなく卒論だけという、自由を重んじた校長・成瀬仁蔵の自主自学の教育方針のもと、鶴子は水を得た魚のように教師また学友と滔々と弁論をして一歩も譲らず、運動会でバスケットボールのチャンピオンになって教師たちにしつこく体育教師に勧誘されます。日清・日露戦争と続けざまに戦争を経験して動揺する中、日本最初の心理学実験室を東京帝国大学に開設した松本亦太郎心理学教授が赴任してきます。鶴子はその魅力的な心理学の方法論に意欲をそそられ講義に欠かさず出席するようになります。
「M.A.(修士)から Ph.D(博士)」
日露戦争後の不況で女子高等教育が無用また有害とされる誹謗中傷が台頭する中、鶴子は研究を続けるために松本亦太郎教授ならびに学監・麻生正蔵の推薦を得ると、英国に帰国する英文学部教授ミス・フィリップに伴われて渡米します。コロンビア大学の著名な心理学者で女性心理学者の育成に力を注ぐソーンダイク教授をたずねた鶴子は、「M.A.(修士)」を「Ph.D(博士)」に書き換えられて恐る恐る入学手続きを済ませます。ソーンダイクはじめ、アメリカ最初の心理学者キャテル、新進ウッドワースらの発達心理学・実験心理学・生理心理学の講義また演習を受け、ゼミでは一生懸命に単語を聞き取ってノートを取ります。
「米国男性も失神するタフな疲労実験」
鶴子は5 年かけて博士論文「Mental Fatigue(精神的疲労)」を完成させます。4桁と4桁の乗算暗算を朝11時から夜11時まで12時間行うのを4日間続け、前後に疲労転移を調べる英語と同義の独語の記憶テストを行うというタフな実験を自ら被験者となって実施。問題を解くのにかかる時間の長さが徐々に増加する疲労曲線がきれいな曲線を描いて100%となり、被験者群に2時間行った同様のテストの24%と差異を提示。後に産業心理学の始祖と呼ばれるミュンスターバーグをも驚嘆させ、産業心理学の基礎を切り開きます。鶴子の追試実験を実施した研究者は疲労でしばらく意識を失った上に、4桁の計算が出来なくなると3桁と3桁の計算もできなくなったと結論します。
「日米初の女性心理学博士」
鶴子は厳しい口頭試験に合格して晴れて日米初の女性心理学博士となります(1912年)。卒業式に出席した鶴子は、コロンビア大学神学長のブラウン博士宅にて、学位論文を書き上げる途中で体調を崩した鶴子を献身的にサポートした神学留学生の原口竹次郎と結婚式を挙げます。イギリスを旅行してまわったのち帰国。腎臓結核を発病して療養・手術しながら、日本で初めて設立された心理学学会で講演を行い、母校で教壇に立ち、『心理研究』誌に「心的作業及び疲労の研究」を、『児童研究』誌に「精神薄弱児の心理学的研究」を、『女学世界』『新婦人』などに「楽しき思いで出」を、『婦人画報』に「日々の暮らし方の改良」を執筆。夫と2人の子供と一緒に新しい家庭像を提案しながら、帰国後わずか3年後の29歳で夭折します。
-「原口鶴子 : 女性心理学者の先駆」(荻野いずみ 編著 / 銀河書房1983年)
-日本女子大学心理学科 Japan Women Univ.
-Teachers College, Columbia University
-Psychology's Feminist Voices
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