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Happy Women's Map 福岡県福岡市鳥飼 冬季富士山頂上で気象観測 野中 千代子 女史 / The First Female Weather Observer at the Top of Mt. Fuji in Winter, Ms. Chiyoko Nonaka

-野中至(到)・千代子資料館

「この度の登山は深く思ひさだめたる上のことなり。いかほどのお叱りをうくるとも命にかけて下ることはし侍らじ。」
``This time I am climbing a mountain, I have deeply regretted it.No matter how much scolding I receive, I will risk my life to go down.''

「岩角のつらら下向きにたれもせで、風の向きのまにまに横様に岩角にすがり、或時は空に向い立揃ひたる様、実に剣の山もかくやあらんと見えて恐ろしうなん。なべて頂上は空に向ひ吹くこと多ければかくぞかし。」
"The icicles at the cliff’s edge did not hang down as usual, but, responding to the direction of the wind, grew sideways from the rocks, and at times, stood aligned, pointing skyward. They truly resembled a mountains of swords, giving an awe-inspiring and fearsome impression. In general, the summit is often exposed to the winds from the sky, which is why it appears this way."

野中 千代子 女史
Ms. Chiyoko Nonaka
1871 - 1923
福岡県福岡市鳥飼(旧 早良郡鳥飼村) 生誕
Born in sawara-gun, Fukuoka-city, Fukuoka-ken

野中 千代子 女史は女性初の冬季富士山での気象観測者。夫・野中到とともに日本で初めて富士山頂での冬季気象観測を実施。富士山越冬観測82日間の記録を『芙蓉日記』に執筆。
Ms. Chiyoko Nonaka is the first female weather observer on Mt. Fuji in winter. Together with her husband, Itaru Nonaka, she conducted the first winter weather observation in Japan at the summit of Mt. Fuji. Wrote a record of 82 days of winter observation of Mt. Fuji in the "Fuyo Diary".

「背振山」
 千代子は、黒田藩に能楽・謡曲の師範として仕えた父・梅津只園と母・糸子のもと生まれます。お城で一緒に山を見ていると「背振山に登ってくる」と言って、翌晩11時頃に帰宅する無鉄砲な従兄・野中到と千代子はやがて結婚します。福島中佐によるシベリア単騎横断、郡司大尉らの千島探検が世間を感動させる中で、千代子の夫・到は大学予備門(東京大学教養学部)を中退、中央気象台の和田雄治技師と知り合いになって富士山頂に気象観測所を設けようと奔走します。「天気予報が当たらないのは、高層気象観測所が無いからなのだ。天気は高い空から変わってくる。富士山頂に気象観測所を設置して、そこで一年中気象観測を続ければ、天気予報は必ず当たるようになる。」そう宣言するやいなや到は富士山の冬季初登頂を果たします。

「富士山」
 到は父親からの財政支援を、中央気象台から観測装置の貸与を、気象学会から嘱託会員の身分を、浅間神社から富士山頂の土地の貸与を取り付けると、登山者向け旅館の経営者・佐藤与平治の家を根拠地に、富士山麓の御殿場に建設事務所を構えます。23歳の千代子はようやく片言を話すようになったばかりの長女・園子を連れて夫の事務所にやってきて会計を担当。頂上への建設用材の荷揚げを手配する仕事を手伝いながら、ひそかに冬の間の燃料や食料を多めに買い込み、気象観測に関する本を読んで夫の観測作業を覚えます。秋になって工事が完了して到が富士山に登り始めると、千代子は園子を連れて実家に戻ります。背振山に登って足腰を鍛え、綿入りの下着と着物そして羅沙の外套で登山服を整え、両親を説得して園子を預け、反対する和田技師に手紙と気象学会入会費を添えて送り、御殿場に引き返します。

「芙蓉日記」 
 千代子は義弟・清はじめ与平治の子息・吾郎、3合目の主人・重三郎とともに雪中登山を敢行します。機械室・薪炭室・居室が2坪ずつの小さな小屋である野中観測所に到着すると、疲労困憊で受け入れざるを得ない到と千代子2人だけの富士山頂・剣が峰での気象観測生活が始まります。千代子は身の回りの世話だけでなく観測を手伝って到を驚かせます。まもなく厳寒がやってくると、頭痛はじめ体のだるさに悩まされながら、2時間おきに気温・気圧・風速・風向き・天気を交代して観測します。零下20度を下回る怒涛の吹雪に揉まれ測機が故障、はじめに千代子が扁桃腺炎で続いて到が壊血病で倒れます。「俺が死んだら...」「私が死んだら...」あはやという12月半ば、危険をおかしてやってきた慰問客らに説得され、救助隊に背負われながら2人で下山します。千代子は女性初の富士山越冬記録『芙蓉日記』を執筆。世間の感動を呼んで小説またTVドラマになります。千代子は到と正式な気象学会員となって、国内外の冬季富士登山隊を先導しながら本格的な富士山気象観測所の設立に向けて奔走するなか52歳で逝去。

-『富士案内・芙蓉日記』(野中至・野中千代子 著/平凡社ライブラリー、2006)
-『気象百年史 資料編』(気象庁1975年)
-『たかねの雪』(落合直文 著/ 明治書院1896年)
-『富士山頂』( 橋本英吉 著/ 株式會社鎌倉文庫1948年)
-『芙蓉の人』(新田次郎 著/ 文芸春秋1971年)
-野中至(到)・千代子資料館

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