Happy Women's Map 北海道函館市 地震学の父ジョン・ミルンの妻 トネ・ミルン女史 / The Wife of Seismology Founder John Milne, Ms. Tomi Milne
「もっと広い視野で大きく物事を見たい。」
"I want to gain a broader perspective on the world."
トネ・ミルン(旧姓 堀川 トネ)女史
1860 - 1925
北海道函館市 生誕
Borin in hakodate-city, Hokkai-do
トネ・ミルン女史は、日本地震学の父ジョン・ミルンの妻。函館の自由で最先端な女を貫きながら、日本ならびにイギリスにおいて夫の地震学の基礎研究・耐震建築の研究・地震計の開発に助力。
Ms. Tone Milne is the wife of John Milne, known as the father of Japanese seismology. While embodying the progressive spirit of Hakodate, she supported her husband's foundational research in seismology, seismic-resistant architecture, and the development of seismographs in Japan and Britain.
「大火と文化大洪水の函館」
トネは願乗寺(現在 本願寺函館分院)の僧侶・堀川乗経の長女として誕生します。父・乗経は、青森から小樽・函館に渡った開教開拓者で、西本願寺本山ならびに函館官吏の許可を得て、新渠を開き亀田川の水をひいて港内に転注、通称・願乗寺川また堀川を完成させます。函館市内に飲料水を供給し、湿地の排水をよくして居住地を広げ、小舟運輸の便を助け、函館の発展の礎を築きます。トネ誕生の1年前には函館は国際貿易港として開かれ、各国の居留外国人との交流が盛んになり、衣食住にわたる西洋の風習が浸透します。トネは乳幼児から、近所に住むアメリカ人医師・ヘーツならびにロシア人眼科医・ゼレンスケの診療を受けすくすくと育ち、イギリス人貿易商人・鳥類学者・探検家であるトーマス・ブラキストン邸に通って英語・西洋文化を学びます。コーヒー・パン・直輸入のレコード・写真・更紗・翡翠・ダイヤモンドなど日本の流行を先取りしながら、強風と大火と文化の大洪水の吹き荒ぶる港町で函館戦争・廃仏毀釈運動をくぐり抜けた12歳のトネは、通訳を志します。ブラキストンのすすめにより、北海道の開拓を指導するホーレス・ケプロンが推進する東京府開拓使女学校に入学します。「文明開化の先端をゆく英語を学ぼう。」
「きかない函館女」
東京住まいの士族出身の女生徒ばかりの中、寺の娘で口数の多いトネは蝦夷の野卑な女とからかわれます。地理・天文・化学・植物学・世界史などで良い成績を修めるものの、「夫がどんな浮気をしようとも女は決して嫉妬心を持ってはならぬ、嫉妬は女の恥じ」といった修身学の作文を断固拒否して先生たちに異端視されます。函館の自由な女のありようを貫くトネは、「卒業後は北海道開拓者と婚姻すべし」「途中退学するには官費を返納すべし」という新校則に憤慨する女生徒をまとめてストライキを起こします。まもなく皇后皇太后の行啓を理由にストライキはうやむやにされます。西洋裁縫・編み物などの展示作品作りの中で裕福な士族の娘たちは、全国平均収入20円のなか300円と高額な退学金を払って次々と退学していきます。トネは芸子代わりに着飾ってお酌をするよう強要されたり、考えもしなかった荒野の街・札幌に移転した開拓女学校で気の進まない西洋裁縫・養蚕・開墾作業に取り組まされ、やがてチフスで体調と精神を崩し「脳の病」で退学します。1年後に開拓女学校は、開拓事業に教養ある女性は必要ないこと、開拓使官吏員が女生徒を襲う不祥事が後を絶たないことを理由に閉校になります。「もっと広い視野で大きく物事を見たい。」
「最先端の女」
トネは神経症を患いながらも郷里・函館で英語塾を開こうとブラキストンのもとで再び英会話を学び始めます。その矢先、開拓使官吏との縁談を断ったことを理由に寺に集まる人々にさえ「脳病の娘」と悪評を流されます。そんな中、ブラキストンの紹介でスコットランド人のジョン・ミルンに出会います。彼は本国イギリスでスコッチと軽蔑されながらも造船所で働いて夜学に通って地質学・鉱学を学び、日本の美しい風景を支える火山・地震の研究に取り組みはじめていました。翌年トネはミルンと東京・赤坂の雲南坂教会で式を挙げ事実婚をはじめます。日本語文献の翻訳、日本の地震の歴史調査など、陰ながらミルンの地震学の基礎研究・耐震建築の研究・地震計の開発に助力します。やがて、日清戦争の勝利に沸く中、イギリス領事官で婚姻届を提出、夫婦で南イングランドのワイト島シャイドに地震観測所と居を構えます。世界各地からひっきりなしに訪れる専門家・新聞記者たちをトネとミルンは仲睦まじく楽しくもてなします。「一人の男と恋に落ちたお姫様が蛇の国から死を恐れて英国に逃れてきた」小説をひそかに書き記していたミルンが死去すると、第一次世界大戦を経てトネはミルンの遺髪と遺産を携えて帰郷します。トネは美術好きな甥っ子を可愛がり「私が学費を出すから東京に出てデザインと建築を勉強しなさい。双方を勉強すればきっと建築学者として時代の先端を行くに違いないわよ。」
-函館市文化・スポーツ振興財団
-北海道新聞社
-『女の海溝 トネ・ミルンの青春』(森本貞子 著 /文芸春秋1981年)
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