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Happy Women's Map 長崎県平戸市 バタヴィア最後の日本人 ジャガタラお春(ジェロニマ・マリヌス) 女史 / Batavia's Last Japanese, Ms.Hieronima Marinus

-長崎県平戸市観光協会

「こちらにはどんな物でもいつでもあります。片方の枝に花が咲き、もう一方の枝には実が成るぐあいに。」
``Everything is here at all times. While flowers bloom on one branch and fruits appear on the other.''

じゃがたらお春(ジェロニマ・マリヌス)女史
Ms. Hieronima Marinus
1625 - 1697
長崎県平戸市 生誕
Born in Hirado-city, Nagasaki-ken

じゃがたらお春(ジェロニマ・マリヌス)女史は、バタヴィア(ジャカルタ)へ追放された最後の混血女性。オランダ東インド会社の家族としてバタヴィアのオランダ人社交界で夫はじめ日本人を支えながら、「じゃがたら文」また舶来品のやり取りはじめ私貿易を介して鎖国下の日本と交流を保ちます。
Ms. Jagatara Oharu (Jeronima Marinus) is the last mixed-race woman exiled to Batavia (Jakarta). As a member of the Dutch East India Company's family, she supported her husband and other Japanese people in the Dutch society of Batavia, and maintained contact with Japan during the country's isolation through ``Jagatara Bun'' and private trade, including the exchange of imported goods.

「鎖国令」
 お春は、ポルトガル商船のイタリア人航海士ニコラス・マリンと、長崎の貿易商の娘・マリア(洗礼名)との間に生まれます。父親とは早くに離別し、お春と4つ上の姉・まんは、筑後町の親類・小柳理右衛門の養女となります。長崎・西坂でキリスト教徒たちが処刑され、島原の乱が鎮圧される中、お春と姉のまんはキリスト教の洗礼を受け、ジェロニマならびにマグダレナの受洗名を授かります。まもなく徳川家康の鎖国令によって、15歳のお春と母姉3人は、他のオランダ人とその混血児また日本人妻ら32名とともに、平戸からオランダ船ブレタ号に乗せられ故郷を追われます。東シナ海を出ると、北風に乗って3か月の航海のあとに、オランダ人がバタヴィアと呼ぶインドネシアのジャカルタに入港。ジャカルタ総督アントニオ・ディーメン以下、現地で伴侶を求めざるを得ないオランダ東インド会社社員たちに大歓迎されます。「あなた方は私たちの同胞です。家族です。元気を出してください。後からたくさんの日本人がこの地にやって来ます。」本国オランダからは孤児院また売春宿の女性達が搬送されてきていました。

「王冠に輝く東洋の真珠」
 大きい帆船やジャンク船が何隻も錨を下ろす海のすぐそばに、漆喰で固められた城壁の中に、石と煉瓦と木造で築かれた頑丈な要塞と高い望楼、バタビヤ市の中央を流れるチリウン川は周辺の川また扇状地から流入する水を水路網全体で貯水して内港を保ちながら海に流れこみ、オランダ東インド会社の積荷が倉庫に各地の商館にオランダにと行き交います。「実直勤勉で、勇猛果敢で、低賃金で雇える」オランダ軍に雇われた日本兵は付近の島々の攻略や守備に手柄を立て、オランダの契約移民として来た日本人は船員・大工・左官・馬方として働き、契約期間が切れると退職金を手元に煙草・森林開発・不動産・金融・果樹園栽培・奴隷売買などの実業界で活躍。奴隷を含めてジャカルタには数百人もの日本人が暮らします。防衛・船運・灌漑・排水・貯水の機能を担う水路は、チリウン川の氾濫で毎年のようにバタヴィア中心部に水害をもたらし、過酷な気候とあいまって感染症が猛威を振るういます。それでも、灼熱の太陽が西海に沈むと南十字星が輝く涼しい風の立つジャカルタに落ち着いて数年後、お春は郷里長崎のお辰に手紙を送ります。

「ジャガタラ文」
 「千はやふる 神無月とよ うらめしの嵐や まだ宵月の 空も心もうちくもり 時雨とともにふる里を 出でしその日をかぎりとなし 又ふみも見じ あし原の 浦路はるかに へだつれと かよふ心のおくれねば おもひやるやまとの道のはるけきも ゆめにまぢかくこえぬよぞなき」「松かさ このてがしわのたね すぎのたね はうきぐさのたね 御ゐんしんたのみまゐらせさふらふ かへすがへすなみだにくれてかきまゐらせさふらへば しどろもどろにてよめかね申すべく候まゝ はやはや夏のむしたのみ入候 我身事今までは異國衣しやういたし申さず候 いこくにながされ候とも 何しにあらゑびすとは なれ申べしや あら日本戀しや ゆかしや 見たやみたやみたや じゃがたら はるより」

「オランダ居住地区」
 2年後に姉・マグダレナまんは、ジャカルタ日本人社会の最有力者で長崎出身の実業家・武左衛門と結婚、2お春は21歳になってから、平戸生まれの混血児で東インド会社社員シモン・シモンセンとジャカルタのコタ地区シオン教会で結婚式を挙げます。お春は受洗名ジェロニマと父姓マリノを重ねてマリヌスと署名します。夫婦はオランダ人居住区ユンケル通りの漆喰で固められた白壁の二階家に住居を構えます。夫のシモンセンは商務員補から下級商務員・商務員・上級商務員・港務長兼許可証発行官・税関長・カンボジア王接待役と大出世。「日本人夫婦のルーツに近いバタフィアに滞在することを熱望する」オランダ本国転勤を断って自由市民として手持ちの貿易船を動かして財産をつくり、ジャカルタ市の教会長老として日本人のために奴隷解放にあたったり遺言状の証人を務めます。お春は夫を支えながら7人の子育てに、社交界に、30人以上の奴隷と貸家6軒に、裕福に充実して過ごします。お春の長女マリアはオランダ本国からきた裁判官と結婚します。

「ジャガタラ文 お春」
 お春はオランダ船便のある度に、故郷の叔父・峯七兵衛はじめ親類縁者へ手紙と膨大な品物を届けます。「今度出島へ渡る商館長は私どもと親類付き合いをしているような間柄です。」「毎年、長崎の御奉行様からは大きな御慈悲と便宜を計らつて頂き、去年はオランダ船と唐人船を介して手紙と品物の数々をやり取りできました。」「お送りするもの、上等白木綿91反、白綸子61反、浅黄繻子2反、猩猩緋最高級品など。染物の注文として白縮緬1反、白綸子半反、木綿6反。」「島原に居る七郎右衛門の女房きくへの品物を間違いなくお渡し下さい。きくは私が幼い頃から世話をしてくれた乳母です。今でも昔を恋しく思い出しています。」「七兵衛どのに丁銀450目、おはつ方へ50目。」「七兵衛殿の妹方へ、去年はお願いした数々難しい誂え物を全て整えてお送り下さり大変有り難く思います。」「七兵衛殿へ、乗り物(女駕籠)を送って頂き何とも嬉しいですが、このような大変な物は何とも迷惑でもあります。」「二郎右衛門夫婦方へ、唐船に頼みました毎年のお便りと色々な面白い草紙は嬉しいです。」「去年、大根を土に生けて送って頂きましたが船中で無くなってしまい受け取る事が出来ませんでした。野菜類はこちらにはどんな物でもいつでもあります。木の実も、片方の枝に花が咲くともう一方の枝には実がなるという具合で、ないものは栗と椎の実ぐらいです。お願いしないものはいりません。」「珍しい菊がありましたら少し大きな鉢に植えて送って下さい。家の前の道に植えればきっと目立つ事と思います。昨年送って頂いた菊は来客のために全部使ってしましました。」「スイカの若芽を植えて送ってください。」「酒の小樽を2重にしたものを2つ頼みます。水夫たちに飲まれないように、出島のニコルスに出航直前に言付て下さい。 シンモンス後家 お春より」

「ジャガタラ文 マリア」
 日本で3代将軍家光から4代将軍綱吉と変わり元禄文化が花開く頃、鎖国政策によって貿易船に乗り込んで日本へ密航をする神父たちが途絶え、日本人渡航者が来なくなったジャカルタの日本人町は衰退。夫また子供6人に先立たれたお春67歳は公証役場に赴いて公証人ダビッ ト・レギュレツトの前で証人の立ち合いのもと、身体強健、判断明瞭、言語明確に宣誓した上で、遺言状をしたためます。「只一人残った娘のマリアはじめ亡くなった子供たちの遺族に遺産を4等分すること。お春の奴隷12人とその家族を解放すること。土地・家屋・奴隷4人を娘のマリアに寄贈すること。 ジェロニマ・シンモンス」「彼女の埋葬執行人および遺産管理人として、バタヴィア城の司法委員であった故フランシス・ファン・デル・ レーの寡婦である彼女の娘マリア・シモンセン夫人、ドクトルテ オドリウス・サス牧師、商務員ウイルレム・サベラールらを指名する。」お春はジャカルタ最後の日蘭混血児として72歳で逝去。お春の死後、残された娘マリアはお春に代わって日本に手紙と品物を送ります。マリアが書いたオランダ語の手紙は長崎奉行所西役所で日本語に訳され、手紙を受け取った叔父は返事と書物と贈物をオランダ船に託します。やがて幕府によってやり取りを禁じられ音信が途絶えます。

-『バリ島奇談』(正延哲士 著/ 山下出版1987年)
-『日本史探訪 第17集』(角川書店1976年)
-『平戸オランダ商館の日記』(永積洋子 訳 / 岩波書店1969年)
-『バタヴィア城日誌』(村上直次郎訳 / 平凡社1989年)
-『じゃがたらお春の消息』(白石弘子 / 勉誠出版2001年)
-『井口正俊 - ジャワ探究 南の国の歴史と文化』(井口 正俊 著 /丸善プラネット2013年)

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