11月①リリーのすべて
アカデミー賞受賞作品は、ついチェックしてしまう。
今回の「リリーのすべて」もそうだ。アカデミー賞が、シリアスなトーンで実在の人物を描いた作品を評価しがち、というあるあるは分かっている。それでも、テレビなどで宣伝も多くされる、それらの作品をつい選んでしまうのだ。数多い映画の選択肢の中で、観る作品を選ぶひとつの安パイな指標だ。
そういう意味でも、リリーのすべては、いわゆるアカデミー賞が大好きな作品だ。主演のエディ・レッドメインのデニーロアプローチ的な役作り。もちろん素晴らしい。でも、彼が演じたホーキンス博士や性同一性障害を持つ画家は、役者の素とはかけ離れている、という意味において特殊だ。その役との解離性が大きいほど評価される、というのが少し好きじゃないなぁと思う。
だって、その辺にいそうな普通の人をリアルに演じることも、十分に演技力の証明になるんじゃないだろうか。
とはいえ、エディが繊細に表現した苦悩と解放はとても美しく、素晴らしかった。胸をうった。
そう書いて、映画の内容が自分の胸を強くうっていない事に、今更ながら気づく。そうだ、内容に感動していたら、わざわざアカデミー賞の話から入らないだろう。私には、2時間ずっと、「エディ、こんな難しい役よくやったねー。すごいねー。」と思うことしかできなかった。
正直、その役者の達成感(ドヤ感?)みたいなモノが表に出すぎて、感情移入できなかったのだと思う。エディ、ごめんなさい。嫌いなわけじゃないよ!むしろわりと好きな顔なんだけど。
性同一性障害、は今や日本でも一般的に知られる言葉になった。それでも、本当に理解されたり、何の偏見もなく語られるようになったか、というと疑問だ。私もここで「正しく」語れるか、自信がない。「正しく」発言しないと、ネットで炎上するようなデリケートな話題。そういう空気がある。
でも、この映画で学べることがひとつある。
夫の「本当は、自分は女性だ」という告白に戸惑いながらも、愛し支え続けた妻の姿。彼女は「正しく」あろうとはしていなかったはずだ。彼女の判断の基準は、「正しさ」ではなく、「愛」それだけだったと思う。
だから、私も、もし身近な人がリリーと同じ悩みを持っていたら、その人を変わらず愛すことを伝えたい。相手を受け入れたい。
LGBTフレンドリーです!と表明することより、個々の付き合いを大事にしていく、その方が偏見や差別をなくしていく助けになるような気がするから。
さて、エディは今後どんな役を演じていくのだろう。
本当に普通のサラリーマンをさらっと演じるのを、見てみたい。でも、そんな普通の男、映画にならないか。