瀬戸内海でバカンスを過ごした記録
コロナで海外に行けなくなって、早三年。国内で過ごす理想的なバカンス見つけるべく試行錯誤してきた。
2020年は長崎市内と平戸へ、2021年は恩納村のコンドミニアムでそれぞれ10日ほど過ごした。これまでの学びを活かし(?)、熟考した2022年の夏休みについて記録する。
バカンスに必要な要素とは
今までの振り返りから自分たちが求める要素は以下4つ。
1. 適度にのんびりできること
2. 長期滞在に耐えうる宿泊施設があること
3. 地のものを楽しめる飲食店があること
4. 田舎すぎないこと
その場所で暮らすように過ごしたいので、大自然に囲まれるだけでなく、小さくても街が欲しい。何にもない場所なんてないけれど、その土地ならではの文化みたいなものを学んだ気分にもなりたいし、飲食店の選択肢も欲しい。こういった場所を見つけるのは、日本より休暇の長い欧米のの人々ではないかと仮説を立て、欧米人が好んで旅行をしそうな場所を探してみることにした。
しまなみ海道という答え
広島の尾道から愛媛県の今治市を海を超えてつなぐのがしまなみ海道だ。瀬戸内の島々をつなぐこの橋はサイクリングのメッカとなっている。世界的なサイクリングの大会も開催されており、国内外から観光客が集まっている。結果として、魅力的な宿泊施設や飲食店も増えているようだ。一方で、古くから築かれた瀬戸内航路を頻繁に行き来するフェリーには雰囲気もある。穏やかな海と小さな島々、適度なのんびり感。エリアはしまなみ海道が結ぶ瀬戸内海の島に決定した。
アマンリゾートに見出された生口島
泊まりたいホテルがある島を滞在先にしようと考えて、ヒットしたのは、生口島にある瀬戸田だ。あの世界のアマンリゾートが日本初の拠点としてこの場所を選んでいた。生口島は、かつては塩の貿易で栄え、複雑な潮流のある瀬戸内海の潮待ち港としても盛り上がりを魅せていた。塩の貿易で一財産を築いた屋敷を改築し、アマンリゾートが日本の文化を踏襲した初めての「旅館」をオープンさせていた。もちろん、ものすごく高級だった。
手の届くリゾートを見つけた!yubune
アマンリゾート初の旅館であるAzumi Setodaはもちろん素敵だが、我が家には高級すぎた。国内長期滞在に耐えられる価格設定ではない。でも、この高級旅館の向かいにリーズナブルな提携宿があった。その名もyubune。お風呂屋さんに泊まれるというコンセプトで、生口島に暮らす近所の人にもぜひ利用してほしいという心意気。瀬戸内海にはかつて、船で島々を渡る銭湯があったとかなかったとか。そんなかつての景色に思いを馳せるのも素敵だ。しかも、しおまち商店街という小さくも、魅力的な通りに面しており、食事や買い物にも困らなかた。
平山郁夫の生まれ故郷としての生口島
生口島は画家の平山郁夫の生まれ故郷でもあった。あの壮大なシルクロードの世界の原点はこんな小さくも美しい島だったのだ。もちろん素敵な美術館もあり、彼が小さい頃の夏休みを描いた絵日記も観ることができる。そこで印象に残ったのは、「海は流れるものだと思っていた」という言葉だ。生口島は瀬戸内の島らしく、すぐ近くに高根島という島が迫っている。その間は海というよりは川のように狭く、引き潮や満ち潮のときは、文字通り「流れて」いた。夕焼けに染まる空と、流れる海。平山郁夫も同じ景色を見ていたのかもしれない。
生口島での日々
熟考の末、選んで訪れた生口島での日々は、どこにも似ていなくて、月並みな言葉だけどとても楽しかった。9月に訪れたが、真夏のように暑く、サイクリングはハードになったけれど。少し離れた夕日の見えるこおげという懐石料理のお店でちょっと贅沢をしたり、Soilという新しい宿のレストランでは、東京に引けを取らないクオリティのメニューを頂いた。器も素敵で窯元まで買いに行ってしまったくらい。
しおまち商店街の桂馬寿司は、ちょっと入りづらかったけど、温かいおもてなしの中頂いた新鮮なお寿司はとても美味しかったし、古民家レストランの採れたてのアオリイカは今まで食べたどんなイカより甘かった。(要予約)
しおまち商店街を通り抜けるとそこは海で、毎日定期船が行き交う。しおまちという名の通り、潮が流れる時間帯以外はとても静かな海だ。
自転車の高校生や仕事帰りのお父さんが定期船から降りてくる。島の人たちの行き来を眺め、そこにただ身を置いて、5日間を過ごした。最終の定期船が来る頃には海からの風もだいぶ涼しくなっていた。求めていたバカンスがそこにはあった。