4.音に酔いしれる、ライブは夜 【マジックリアリズム】
西の空にほんのりと残るオレンジ色。
古びた木の手摺のある登り坂には、アンプから流れる音が響く。
バーのテラスには、形の揃わない椅子が、並べられているとは言えないような配置で適当に置かれている。
ぬるい風に揺らされる松明の炎。
火の入った野菜とスパイスの混じるディナーの香り。
「いつもより人が多い」
僕は言った。
「そりゃ、ライブだもの」
マスターが言った。
「誰が歌うの?」
「初めて来るアーティスト」
ひとり客が多い。歌う人のファンなのか、夕飯を食べに来て、たまたま今晩がライブと知った人たちなのか。老若男女。
僕は和風のタコライスとジャスミンの焼酎を注文して、店の入り口に近い席に座った。簡易のテーブルのペンキは剥がれかけで、少し傾いでいる。
細かめの豚挽き肉に浸みた和風だしの旨味に満足して、焼酎の澄んだ後味に酔いしれていると、ライブは始まった。ライブというのか、ステージ付きのカフェというのか、なんともいえない雰囲気で、居心地がいい。
アジア系の顔立ちが印象的な歌い手。その控えめな表情と力強い声量にはギャップがある。大地に根ざした逞しい声に載る、水分を含んだような瑞々しい詩と、幸福の要素。そして、かすかに混じる哀しみのエッセンス。
具体的な情景も、歌詞の解釈もなく、音が触れる粘膜よりも深い部分。その器官はたぶん第3の眼?
すべてを内包する曲を、音の組み合わせをいくつも繰り広げ、酔いがいっそうまわったせいなのかもしれない。
僕は、ある人物から目が離せなくなった。
対角線上の、海際の席に座る青年。
流れ落ちる涙を拭くこともせずに、聴き入っている。
七分袖のTシャツから出る腕はほどよく陽に灼けていて、首筋には英字のタトゥーがのぞいている。筋肉質の背中にかけて、それほど派手ではないデザインで、しかしそれなりの主張をするように。
「いいよね、彼女」
1部が終わったときにマスターに話しかけられて、やっと視線をアーティストの方に戻すことができた。
「うん、すごいね、なんだかオーケストラを聴いたときみたいだった。いろんな楽器の音色が混ざってるみたい。音が繊維みたいに織り込まれて、カラフルで、それなのにごちゃごちゃしてなくて上品で、不思議な感じ」
「おお、いいね。話しただけ言葉に色がつくみたいで、すごくいい」
「酔っ払ってるのが悔しいよ。でも、へんに飾らずに表現できて楽しい」
「メモしときなよ、スマホでもいいから。自分の店だし、わりと好きに歌ってもらえるように、出演のハードルは上げてないつもりなんだ。メジャーかどうかとか、経歴とか、そういうので決めてしまうと出会いにくいタイプのアーティストかもしれない」
「社長だから自分で決められる」
「店長のほうがしっくりくるな。うん、自分で決めたいから店をしてるのかも。それにしても、いいよね彼女」
「英語話せるの?」
「片言よりは、もう少し話せるかな」
バーの入り口あたりに立つ歌い手は、照明から離れるとなぜだかとても親しみやすく、店の外装に馴染んでいる。現地に暮らすほかの客たちよりも、その土地に昔から棲んでいる民族のようにも見える。
涙を流す青年は、そのまま海際の席に座っている。歌い手のほうをちらりとも見ずに、漆黒の凪の海を見つめている。
2部に移るまでの十数分、島から島へと渡る橋の上にいるような、宙ぶらりんの時間。心地よい風に吹かれる、移行の旅。憩いのとき。
次のステージまでのトランジットで、運命が動いたと知るのは、きっともっとずっと、後のこと。
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