19. 選ばなかった方の世界 ーheavy bass soundー【マジックリアリズム】
「めずらしい選曲!」
「なかなかいいでしょう、たまにはね」
「クラブみたい」
「人混みはどちらかというと苦手だけど」
カフェ・マゼランはライブハウスやダンスホールさながらの熱気に満ちていた。
といっても、客でいっぱいで暑苦しいのではなく、音楽だけで活気が漲っていた。
「なんか、鼓舞されるというか、突き上げるようなパワーがあるね」
「お酒を中断しててね」
「え、関係ある?」
「濃い珈琲を飲んで、こういう曲に身を浸すと、酔ったみたいになる」
「健康的には大丈夫なの?」
「アルコールを摂り過ぎるよりはいいと思うよ」
「マスターも、脳内にブースターが欲しいタイプだね」
「ブースター、そうかもしれないね」
「わりと淡々としてるから、ちょっとだけ意外」
「レシピに合った音楽とか、あるよ」
「…っていうことは、今晩のご飯は」
「春巻きだよ」
「よくわからない、EDMと中華料理の相性」
「ご飯の味じゃなくて、料理するときのBGMね」
「マスター独自の感性かな」
「そうかもしれないね、なんにせよ美味しいよ。豚挽き肉とピーマンはどうしてこんなにも合うんだろう」
「3本くらい食べてもいい?追加で払うから」
「まだまだあるよ、遠慮なくどうぞ」
確か前にも、クリスマスと中華という組み合わせの晩があった。マスターのなかでは、中華の汎用性がかなり高いみたいだ。胡椒が強めで、塩味が効いていて、おかずにもおつまみにもぴったりで、どれだけでも食べられそうな、今夜の春巻き。味のついた肉と野菜なんかをくるっとまるめて包んだ食べ物が、僕は好きだ。
「美味しいよ、まじで」
「春巻きって、皮も旨いよね」
「具の味付けも圧倒的」
「どうも、お褒めいただいて。ありがとう」
「自分が褒められたっていう感じする?」
「うん?妙なこと確認するねえ」
「たとえばさ、マスターと敵対してるシェフとかが、絶対に仲良くなんて喋らないんだけどマスターが作る料理は好きだとしたら、それも嬉しい?」
「純粋に嬉しいかもしれない」
「敵対してるんだよ?」
「その設定が想像しにくくて」
「そうだよね、変なふうに聞いてしまった」
「いや、全然構わないけど。なにかあった?」
「ううん。敵とかも今はいないし、なにもない」
「つくったものは自分の一部のこともあるし、遠いところにあるものを見えない手を伸ばして捕まえて形にすることもあるね。イメージ的には、そう思う」
「どちらも自分の一部のような気がする、僕は」
数少ない休日の晩の客は、もうほとんど帰っている。
春巻きをもぐもぐしながら、マスターはいつになく澄んだ瞳で続けた。
「なにもなくても、気分的にはじゅうぶんいろいろある日もある」
「うん、そうかも」
カウンターの向こうのカウンセラーみたいな人に、僕は素直な気持ちで答えた。
「不自由そうには見えないけど、そこはかとなく自由さが足りない?」
「自由だよ、かなり。好きに生きてる。それの極みといってもいい。でも、いつだってここじゃないどこかのことを考えてしまっているような気がする」
「青年期らしいじゃない」
「簡単にまとめないでください。それに、青年期も終わりかけだし。何歳までかよく知らないけど」
「ごめんよ、でもそういう悩みって嫌いじゃないよ」
「どうも、お褒めいただいて」
「褒めたわけじゃないけど、どういたしまして」
「いやなことは最初から選んだりしないから、不満はないんだ。ただの夢想家なのかな」
「それもまたひとことでまとめてるような。思いを馳せるのが好きなのかもしれないね」
「きれいな表現」
「見たことがない世界を見られるなら少々の苦労は厭わないよね、トニーくんは」
「うん。挑戦するのは立派な目標のためとか、はっきりとした目的とか、そういうんじゃないんだよね。見たい、知りたいってなったら、止めようがない。それに、ただの天邪鬼でもないと自分では思ってる。」
「わかるよ。選ばなかったもう一方のものごとや、対極にある世界観を思ってしまうのは、トニーくんが、その両方を行き来する力を持ってるからかもしれないよ。アナザーワールドに行けるパスポートを失うのを恐れて、常に揺れて、動き回ってる」
「なんて生きづらそうなんだ」
「ここではない世界を渇望して、身体中の感覚器を全て使って張ったアンテナが、音を立体に見せたり、色にリズムを与えた形で見せてくれるのかもしれないね」
「それなら、まあいっか」
「意外と軽い」
「だって、どうしようもないからさ。本当、マスターの言う通りかもしれない。すっごくいい曲に出会うと、その世界の住人になれないのがあまりにももどかしくて、精一杯ことばにすると、前に話したみたいな感想になるんだよね。デザインでも、ことばでも、熱が入れば入るほど、たいていの場合はもどかしさが尋常じゃない。好きすぎて」
「その苦しさと憧れの欠片だね、作品はみんな。行き来するときに溢れる欠片」
「いつも、そこを労われたみたいな気分になってるのかもしれない。よくできましただけじゃなくて、お疲れさま、みたいな」
「言うほうは、感想言ってるだけだったりするけどね。いいね、ってシンプルに」
「言われるほうの、受け取り方だね」
「どういうふうでもいいね。異世界を希求してもがいて飛び散る、狂おしいくらいの憧れの欠片が拾った人にいい作用としてはたらくなら、すてきでしょう」
「その考察に救われます」
「こちらこそ。中身の濃い、有意義な考察の時間に感謝」
喋りながら、気がつけば春巻きを5本も食べてしまっていた。
フクロウの鳴き声が、また遠くから聞こえている。
腹の底に響くBGMの重低音に混じって、空間にただよう幻想性を助長する不思議な鳴き声。
雑然とした都市の煌煌たる活気と、ひっそりとした郊外の薄暗い静寂が交差する。
To be continue..