【マイストーリー#3】山形自然暮らしの日々。自然体な自分から生まれるご縁と役割。
国際協力を実施する日本政府機関に勤めて11年目に突入。
「人の健康を支える仕事✖️世界で活躍する仕事」、「自己成長できる仕事」を志して大学院卒業後に東京へ上京、アフリカを中心とした世界への出張、日本国内も元気にするという、やりがいのある仕事をしながらも、キャリア一時休戦で、育休を長期間とり、実家の山形へUターンして自然の中での生活を送っているきっかけを、3部作にてお届けします。
前回のストーリー⬇︎
【マイストーリー#1】山形自然暮らしへの第一歩。きっかけとなる切符
【マイストーリー#2】 山形自然暮らしへの道のり。いざ、屋久島へ。
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山形自然暮らしでの豊かな日々
朝、鳥のさえずりと太陽の日差しで目が覚め、体を起こせば気持ちの良い緑色が視界に入ってくる。飼っている鶏の生みたて卵や隣の畑や裏の山から採れた新鮮な食材で朝ごはんを作ることができ、週の半分は温泉に入り、少し歩けば人生の大先輩である癒しのおじいちゃんおばあちゃんとの触れ合いが待っている。今は生まれ育った山形県の田舎町でそんな日々を送っています。シンプルですが、とても豊かな日々です。
そんな山形での生活も10ヶ月が過ぎました。屋久島でのステップを踏んだことで、ただの「故郷への帰省」ではない感覚を持ちながら過ごしています。
私と息子たちは山形、夫は東京の2拠点生活。過去、家族は絶対一緒がいい、と思ってきた私ですが、今は、夫と話し合いをして選択できた、このライフスタイルを受け入れ、楽しみ、「大丈夫、後悔はない」と言える自分がいます。
帰省についての話はこちら→いざ、田舎へ帰省!〜家族の覚悟〜
「子育て」ではなく「子育ち」を見守る
自分の直感と思いを大切にすることで、思いもせず、気持ちの良い子供達との生活が待っていました。
子供達が自然の中で好奇心のまま動き、学んでいる姿は、全ての瞬間が綺麗で愛おしくて正直目が離せません。でも、子供達は自然の中で勝手に遊んでくれるので、何かこちらから遊びを提供することはほぼなくなりました。気付けば、私は家事をする、子供達は遊びに夢中になる、が成立しています。向き合って遊ばなきゃ、と思っていた時期もありましたが、思い返せば、私が祖父や祖母の横にいた時も、そう育ってきたんだった。そして、私は今、元気に生きている。じゃあ、それでいいんじゃない?と思えるようになりました。
東京育児生活中に「べき」「しなければ」に縛られ、自分で苦しくしていた子育てから解放され、かつ、時間や空間に縛られる感覚がほぼなくなると、私の「まあいいか」レベルが上がり、それぞれの息子の好きなもの、熱中する時間をより尊重できるようになりました。子供達の行動をより観察するようになったし、熱中している時はご飯の時間が来ても無理に中断しないようになりました。以前よりずっと「子育て」するより「子育ち」を見守る、というスタンスで生活できていると感じています。
虫が大好きな子供達にはいろいろ驚かされます。走るのがあまり好きではないはずの長男が虫取り網を持った瞬間から、ハンターに変化し、永遠に走り続ける姿は爽快感すら感じます。全力で生きる、全力で遊ぶ、その姿を見ていると、すベて愛おしく感じられます。
ご縁、そして満たされる「食」への想い
そんな生活の中で、ご縁があり、帰省して数ヶ月経った秋頃からは子供達を通わせている森のようちえんで給食づくりを担当することになりました。入園して1ヶ月立たない中での園長からのお声がけでした。園長と出会ったきっかけが食のセミナーだったとは言え、まさか、私が子供たちの給食を作ることになるとは思いもしませんでした。園としても初めての試みで前例はなし。献立手作りから発注から調理まで一連の流れを一人で任せていただきました。給食作りと言ったらそれ相当の責任が・・・とは思ったのですが、それまたその責任の重さよりも家庭料理を作る感覚で楽しくできたことにも驚きました。
思い返せば、食のセミナーに参加した時点から、このご縁、流れは自然だったのかもしれません。幼少期は、畑や山で採ってきた野菜、山菜、きのこを処理したり、調理したりする祖母の隣で過ごし(畑が大好きだった祖母は、何十種類もの野菜を育てており、スーパーでほとんど野菜を買ったことがありませんでした)、お菓子を食べることはあまりなく(おやつはいつもおにぎりかバナナ)、食事は祖母の手料理が基本。おかげでとても良い食事をしてきたと思います。
だからこそ、一人目の育児休暇復帰後、駆け込むようにお弁当屋さんに入り、バタバタとお迎えに行って帰宅し、惣菜を並べる時は、心のどこかでモヤっとしていました。今度こそゆっくり手料理ができたらな、と思いながら二人目の育休に突入しましたが、今度はワンオペで疲れすぎてキッチン時間が楽しいとは言えない状況。このご縁をいただいてようやく、その時間と思いが実現した、という満たされる思いでした。
自分と向き合う時間、自然体な私から生まれる役割
この満たされる時間を経て、自分とゆっくり対話する時間もできました。
農家の祖父・祖母から影響を受けた高校生までの自然暮らしの中で、自然は私の体の一部となり、友達からも「自然の申し子」と言われてきた一方で、自営業を営む両親の背中を見てきたこともやはり私には大きな影響を与えていると感じました。地域行事にはすべて顔を出し、役を任され、社会貢献活動を行う奉仕団体に所属し、外で活躍する華やかな両親。常に社会や人とのつながりを大切にする両親。「努力する」「ご縁を大切にする」「人とつながる」「一生懸命に動く」「豊かに生きる」「楽しく生きる」そんなことを常々実践する両親の存在は、今もなお、大きいと感じます。
国際協力という今の仕事は、「人の健康を支えたい」、「世界に携わることがしたい」と志した仕事ですが、最後に「自己成長できる仕事」を決め手として選んだのは、そんな両親の背中を見てきた私らしい決断だったと思います。
そして、仕事を通してアフリカでの地で出会った、みなさんに繋いでもらった「森のようちえん」「屋久島」、そしてこの「帰省」。この、ご縁から始まる流れは、心の拠り所となり、間違いないものだと安心することもできます。
東京育児生活から始まり、屋久島行き、Uターン、自然暮らしを重ねる日々から得たもの・・・それは、自然での生活はやっぱり気持ちがいい、自然派なママでありたい、ということ以上に、
「自分の気持ち(直感)を大切に、伝え、そして、行動する」大切さだったと思います。直感を信じて行動できれば、ありのまま自然体な自分で気持ちよく過ごすことができる、そして、自然と役割も出てくることを体感しました。
これまでも、無理をして自分の本当の声を聞き忘れて体を壊してしまうたびに、支えてくださる方々に「Let it be(ありのままでいいよ)」と教えてもらってきたものの、それに一番抵抗してきたのは誰でもない私自身でした。ありのままとはいえ、頑張りたいし、頑張らないと見たい景色が見えない、とずっと思い込んでいました。これからもきっと頑張ることはやめられないと思います。でも、その前に、自分の気持ちを大切にすることが先で、自然体であること、自分らしさを忘れないようにしたいと思います。
体感したこの思い、そしてこれから感じていく思いを発信しながら、同じように悩んだり、考えたりしている方に少しでも勇気をお届けできたらいいなと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。