読者の再開1 不思議な少年 第44号 マーク・トウェイン(アメリカ文学)
私は大学は、英米文学専攻でした。
もともと演劇が勉強したかったので、シェイクスピア、サム・シェパード、ユージン・オニール、テネシー・ウィリアムズなどの戯曲作家を中心に大学では専攻科目を選んだので、がちで、マーク・トウェイン勉強をしたわけではありませんでした。
が、私が在籍中、チャタレー婦人の恋人の完全完訳版が、世の中の翻訳文学の内容が解禁されたり、新たに原作が見つかったりと、解禁文学があらためて翻訳されて発売されはじめました!
マークトウェインの不思議な少年 第44号も、90年代後半に、マークトウェイン晩年の遺作としての原文が見つかり、発行されました。
もともとは、不思議な少年というタイトルで、角川文庫から出版されておりますが、こちらは、当時の出版社と関係者の意向で、勝手にマークトウェインの作品を辻褄会わせて、つくってしまった作品らしく、今回見つかった、晩年の不思議な少年44号とは、また違った内容です。
そのショッキングなニュースを知り、当時大学生だった私は、44号バージョン初版を本屋で購入し、読みました。
マークトウェインのトムソーヤの冒険のような、あっぱれ感はなく、なんとなく、暗く単調な作品の滑り具合にいまいち理解できなかった30年前の私。
時を経て、ふと再読しようと思いたち、Amazonでもう、すでに中古しか売っていない、絶版になった問題作を購入。
内容は、
びっくりだった!
真面目な話かと思わせたら、途中からファンタジーな感じになり、
恐ろしい流れになり、
最後は悟りの境地まで。
私たちは、存在しない存在だ。考えは残るが存在しない存在なんだと、難しい結末で終わるという、近未来か新しい発明のか、新興宗教の思想なのか、不思議な少年に騙されたのか、いやはや宇宙規模のすごい作品でした。
もう一度読むかといわれたら、今はいいや。
最後の不思議な少年の解釈だけは時代を超えてすごい解説でしたので、時期をおいてまた読んでみようと思いました。
マークトウェインの情報などは検索してみてください。
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