光と影
かなり久しぶりにとある友人と話をしました。
その際、「きのさんは重い話が多すぎるから話すと疲れる」と言われました。「もっと楽しい話だけしてほしい」と言われたのです。
その時、私はこう言いました。
「光と影は同一のもので、光だけを求め、影を拒否するのは自然なことではないし、私の闇を否定し、一緒にいることがつらいならそれは、友達として続けていくことはできないのではないか」
「光と闇との捉え方は人それぞれなのだから」
と。
確かにポジティブシンキングは大切なことですが、物事には両面があります。今までその友人に自分は本音でぶつかったことがなかったと思います。
あなたには本当に感謝をしている。あなたは私に多くの気づきを与えてくれている。でも、それが一方的なもので私だけ良くて、あなたが私の話を聞くのが苦しいだけなら我々は友達を続けていくことはできないのではないかと。
そこで2人でルールを決めました。話は2時間程度、どちらかが辛くなったら話をやめるようにしようと。
つまり、折衷案を見つけることができたのです。
彼女は自分のネガティブな話を話すのは好きですが、人のネガティブな話を聞くと、ものすごく疲れてしまうのだそうです。スピリチュアル系信者の人はとくにこのタイプが多いように思います。
でも、人はいつもポジティブシンキングで生きられるほど人生甘くありません。山あり谷あり、落とし穴ありです。
むしろ闇がなければ光は生まれることはありません。
彼女と話すとき以外、話が重いと誰かに言われたことはありません。普通に日常の会話をしているだけなのです。
人は他者に自分の姿を映してみるものです。
彼女は私の話は「最近の報告と、これでよかったと思う」という自己満足ばかりだ。と言いました。それを聞いて、久しぶりに会った友人に、この人は一体何を求めているのだろうと思いました。近況報告とはそんなものです。
私の中で引っかかるものがありました。
あなたが私の話に、苦しいと感じるのは私の家族の話ばかりなんだけど、私とあなたの家族には共通点がある?
と聞いてみました。
それで、話をよく聞いてみると家族も同じようなことが起きていました。そして、私たちが抱える課題もよく似通っていました。これは完全に近親憎悪だなあと思いました。
私たちが再び出会った理由は
「他人を尊重し、自分の力を過信しすぎないこと。謙虚に自分の課題に取り組むことと、正論に偏りすぎないこと」
なのではないかと、思いました。いろんな年代の人の言葉に素直に耳を傾け、日々自分を改善していくこと。その友人に
「人間はそう簡単に変わるものじゃない。あなたはずっと昔から変わらない」
そうも言われました。
これ、私もずっと長い間、信念として同じように思っていたんです。ぎょっとしました。彼女は過去からきた私そっくりなのです。
私はいま ひとは かわることが できると しんじています。
なぜなら いま わたしは ぜんぜんしらないせかいに とびこんで
あたらしいぼうけんをはじめ じぶんをかえたからです。
一度「この人はこういう人だ」と、思い込んだらその考えを変えられないのは相手の方だと思っています。
じぶんはかわりました。
と、まわりに知ってもらう必要はもう私にはありません。
世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る(坂本龍馬)