21日から23日までのひとり旅(1日め)

認知機能の衰えた母75歳に、なくしたものは娘に全部盗まれただの,、やれ飯がまずいだの、家事のやり方が気に食わないだの、帰郷して半年近くもなると、20人以上も一人暮らししてきた人間が親と暮らすってマジで拷問なんだなあって思ったよ。

職場の人になにげなく、相談してみた。「母親、うるさくない?」と聞いたら、

「私、家では、〈うん〉、か、〈はぁ〉、か、〈へえ〉しか言わないから」

って言っていた。この人、会社じゃすごく気が利くし、丁寧にしゃべるし、ものすごい優しいのに、家に帰ったらさぞきれいに受け流しているんだろうなと思って、

「私も今日からそうする」

と言って大笑いした。

母親はコンプレックスが強い人なので、人を見下げることでしか心の平穏を得られない。子供の頃は散々手こずったんだけど、結局私の姉たちも全員家を出て行ってしまった。

これ以上、母に人格を壊されたくないからだ。

子どもが産めないことを馬鹿にしたり、脚が短いとか、鼻が低いとかとにかく母は見た目や女としての機能にこだわる。私もやがて夕飯を食べたら、お風呂に入って母親と話をしなくなっていった。

東京でひとりであのまま死んでりゃよかったのだ。

そう思って涙が流れた。

その時、もう一人の自分が現れて言った。

「それは違うぞ。帰ってきて、コロナワクチンを病院へ持って走ったり、接種券の封筒づめを手が真っ黒になるまで詰めた私、すごかったじゃないか」

本当に救いたかったのは、東京の学童にいた子供たちだったのに、自分だけ帰ってきて、ワクチン打って、死にたい死にたいって言いながら、一生懸命人を助けたじゃないか。

死んでる場合じゃないんだぞ。コロナに、政府に、大勢の人間が殺されているなかで、一刻もはやく一人でも命を救いたかった。それが私なりのコロナへの仕返しだったから。

でも、このままでいるのは限界だ。私は用意周到に旅の準備を進めた。できるだけ旅費を安くあげるために、でかおむすびを3つも作り、漬物もつめこんだ。水筒に麦茶を入れ、ペーパードライバーのくせに、車のひとり旅に出たのだった。

とにかく1日めは逃走犯のように逃げた。音楽も聴かず、飯もろくに食わず、走って走って逃げた。半休ですでに大目標であった

「仁淀川と四万十川を見る」

ことは達成してしまったのだ。四万十川の温泉にもつかり、ローソンの駐車場で2,3時間仮眠を取ったあと、夜中の間中走りまくった。

友達が教えてくれた「龍とそばかすの姫」に出てくる「龍虎衝立図」を、見に行くのだ。夜中に誰もいない街をさまよって、ようやく県立歴史民俗資料館の近所に着いたときは、もう夜も開けそうになっていた。