小さな生き物から命の尊さを学んだ息子の成長にほっこりした話
ある夜、そろそろ寝ようとリビングの明かりを消そうとした時だった。
「うわっ!ヤバイ!!」
いつもは冷静な夫が慌てている。
ただ事ではないその様子に「何があったのか?」と私が聞くと、夫は悲痛な面持ちで答えた。
「デメキンが死ぬかもしれない・・・。」
その言葉に、小学2年生の息子と4歳の娘は金魚鉢に向かって走った。
息子は目に涙を浮かべてじっとデメキンを眺め、娘は金魚鉢の周りに手を当てて「元気になれ!」と念力を送っている。
4年前の保育園の夏祭り、3歳だった息子が「どうしても飼いたい!」と言って持ち帰ったデメキンだ。
金魚すくいに挑戦したものの、息子は1匹も釣れなかった。
しかし保育園側も金魚が残っては困るので、好きな金魚を持ち帰らせてくれた。
息子が選んだのは、真っ黒なデメキン。
そして、他にも5匹ほど赤い金魚を頂いた。
この4年間で、最初は6匹いた金魚も徐々に天に召され、残りはいよいよ2匹となり、ついにデメキンの番がやって来たのだ。
「明日の朝には天国に行ってるかもしれないから、最後のお別れをしてから寝なさい。」
夫にそう言われ、息子はスンスン泣きながらデメキンにお別れし、その夜は眠りについた。
翌朝、デメキンは死んでいた。
目を覚ました息子は、金魚鉢を覗き込みデメキンの死を静かに受け止めた。
そして、泣きながら一人で子供部屋に閉じこもって、ゴソゴソと何かを始めた。
なかなか出てこないうえに、静かすぎる・・・。
夫は少し心配になり、子供部屋のドアをそっと開けて様子を伺った。
「なんか知らないけど、手紙を書いてるみたいだよ。」
夫婦で不思議に思いながらも、その日はデメキンを私の実家の庭に埋めに行くことにした。
そして午後からは、気分を変えるべく川遊びに行った。生きている私達が、いつまでも湿っぽくしているのは良くない。
その日はたくさん遊んで、美味しいスイカを食べて気持ちよく眠った。
数日後、デメキンの死から立ち直った息子が、例の手紙を見せてくれた。
これは・・・手紙なのだろうか?はたまた日記なのか?
じっと紙を眺めて何も言えずにいた私に、息子は解説を始めた。
「これは僕がデメチャンに書いた手紙だよ。寝る前にお祈りするために書いた。」
息子は小学生になってから、読み書きを始めた。
そのため小学校受験では自分の名前を書けず、手を上げて試験監督の先生に「僕は字が書けないので、代わりに書いてください。」と申し出た過去を持っている。
小学校に入学すると、息子は周りの友達と比べて読み書きが下手なため、文章を書くことに苦手意識を感じていたようだった。
それでも大好きだったデメキンには、気持ちを届けたくて手紙を書いたのだろう。
大人の私にはちょっと書けない文章だ。
さらによく見ると、後から付け足した文章と平面図がある。
「川にいたキャンはしてない」
金魚の埋葬をした日は、家族で川遊びに行ったことを記録したかったのだろう。
いつもならキャンプ場で川遊びをするが、その日は午後からおばあちゃん家の近くで川遊びだけ楽しんだ。そのことが息子にとっては重要だったと思われる。
「おばあちゃんのいえにうえた」
翌年にはデメキンがわさわさと生えてくるかのような絶妙な表現。
おばあちゃんの家の庭の平面図を書き、デメキンを埋めたポイントまで記録している。
この文章はちょっぴりヘンテコだけど、今の息子にしか書けない貴重な文章に違いない。
7歳の彼の感性は大人の私よりずっと純粋で、人間である自分と小さなデメキンとの関係がものすごくフェアに感じる。
デメキンとお別れして10日後、夏休みに入った息子は学童のお友達からカブトムシをもらって帰ってきた。
よくよく見ると、そのカブトムシはオスだというのに角がなかった。
「この子はね、怪我して角がなくなっちゃたんだよ。」
その学童のお友達の家にはものすごい数のカブトムシがいるらしく、その日は学童の友達全員にプレゼントしてくれたらしい。
数あるカブトムシの中から、息子はわざわざ角を無くしたカブトムシを選んだという。
実は昨年、息子は1日で15匹もカブトムシを捕まえ、喜んで家で飼育をしていた。しかし、夜中に1匹のカブトムシが飼育ケースから脱走し、部屋を飛び回り怪我をして後日死んだことがあった。
息子はその死んだカブトムシを埋めた時に、他の生きているカブトムシも全て森にかえした。
今回、息子が怪我をしたカブトムシを連れて帰ってきたのは、自然の中にいるより長生きさせられるかもしれないと思ってのことのようだ。
それがたとえ小さな金魚でも、カブトムシであっても同じこと。
そして息子はちゃんと小さな生き物たちから、命の重さや尊さを教えてもらっている。
新しく家族になったカブトムシの名前は「カブちゃん」。
我が家で幸せに長生きしてくれることを、息子と同じく願っている。