私の「孤独」とウィニコットの「孤独」そして「孤独を楽しむ」ということ
「独りでいる能力」というのは、Dr.ウィニコットが語ったように、単に孤独を恐れたり、ひきこもりのように人を避ける状態とは異なる。
それはむしろ、安心して自分自身と向き合い、自分の内面を探求できる能力。
この能力は、情緒的な成熟と密接に関連しており、他者との関係性の中でも、とくに最初期の母子関係にその源があるとされています。つまり、幼いころに母親の存在を感じながらも、自分自身で安心して過ごせる時間が、後々の「独りでいられる能力」へとつながっていく。
「孤独を楽しむ」という概念も、この「独りでいられる能力」に通じる部分がある。
人生の中で、誰しもが孤独を感じる瞬間はあります。しかし、その孤独を「仕方ない」と受け入れたり、逆に「生まれてきてよかった」と感じるためには、ある種の精神的な成熟が必要だと思う。
これは孤独を避けるのではなく、その中で自分自身を見つめ、深い洞察を得るということです。
私が以前仕事に没頭していた時に「孤独を抱えるチカラ」を感じていたのも、同じようなプロセスかもしれません。
忙しい日々の中でも、心のどこかで自分だけの空間を持ち、その中で自己と対話していた。こうした経験は、単なる孤独感ではなく、より豊かな精神世界を築くための基盤になる。
つまり、Dr.ウィニコットの「独りでいる能力」「孤独を楽しむ」という感覚は、どちらも人が精神的に成長し、自分自身と向き合う力を持つことの大切さを示しているといえるでしょう。孤独は時に厳しいものですが、それを恐れずに、むしろその中で安心して過ごせる力を持つことが、人間にとって重要な成長の一環であると言えます。
このように考えると私の過去の経験も、Dr.ウィニコットの理論と深く関わっているように感じる。
孤独を抱えながらも、それを乗り越えたり、あるいは楽しんだりする力が、私の中にも既に備わっているのかもしれない。
精神医学的には、孤独は「社会的孤立」と「主観的孤独感」という2つの側面で捉えられる場合がある。
社会的孤立とは、他者との物理的なつながりが少ない状態を指しますが、必ずしも孤独感を感じているわけではありません。一方で、主観的孤独感とは、たとえ他者と一緒にいたとしても、心の中で深い孤独を感じる状態。
Dr.ウィニコットの「独りでいられる能力」の話も、実際には主観的な孤独をどう受け入れ、そこから成長していけるかという視点に近い。
この能力が発達していると、孤独な時間でも安心感を持ち、自分の内面を見つめたり、創造的な活動に集中することができるとのこと。
では,どのようにしていけば大人になってもその能力を得られるのかを次回に書いてみたいと思います。
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