思い出になってきた

最愛の旦那さんを亡くし、喪失感で落ち込んでいた。

その後、どう立ち直ればいいのか、どう乗り越えればいいのかをずっと考えながら過ごしてきたんだけど、昨日ちょうど亡くなって半年目となったことに気づいたとき、ふと思ったんだ。

「あれ、そういえば半年目だ」

って。

そういえばというくらい、少し意識が抜けていたのだ。


それまでは、あと何日で何か月目だという風に、日にちをとても意識しながら生きていたから、今回は少し戸惑った。


良く「思い出だけで食べて行ける」という言葉を耳にしたことがあって、それってどういう状況なんだろうと不思議に思っていた。

だって、喪失感でいっぱいで、思い出すたびに泣けていたから、逆に食欲も落ちていってたんだ。

思い出だけじゃ食べてゆけないよ~って思ってた。


でも、昨日ふと気づいた。


思い出しても寂しくなくなってきた?


これってどういう心境の変化なんだ?


そんなとき、ある恋愛心理カウンセラーさんのブログに書いてあった言葉に目が留まった。


「保温体質の女」

という言葉だ。


どういうことかというと、上に書いたように保温体質の女は、思い出だけで食べてゆけるのだ。

書かれてはなかったけれど、想像すると、保温体質の女の反対は「依存体質の女」ということだと思った。


つまり、旦那さんがいないと生きてゆけないタイプだろう。

恋愛においても、彼氏からの連絡頻度や会ってくれる回数なんかで愛情をはかるような感じかなぁ?


振り返ってみると、私は旦那さんと暮らしていたけれど、精神的に依存してはいなかったと思っている。

お互いにひとりの時間をちゃんと作ることができていたし、相手に求めるものって、それほど頻繁でもなかった。


愛されているという実感はとてもあったので、不安はなかったのだ。


愛されていたという事実。

愛で満たされていたという事実。


そうなのだ、事実としてわたしは満たされていた。


つまり愛が私の中に保温状態としてあるわけだ。


旦那さんはいきなり逝ってしまったので、かなりショックだったし、その喪失感はものすごかったけれど、それは当たり前の感情だと思う。


依存ではないと思う。


たぶん、半年たって旦那さんのいない日常を、現実として受け入れることができてきたということかな。

精神状態が、安定してきたのかもしれない。


そういえば、最初の結婚が離婚に終わったときも、また離婚する不安というものは何もなかったなぁ。


だからこそ再婚したんだけど、同じように最愛の人を亡くす不安というものがずっとあるならば、もう恋なんてしないと決意するのかもしれない。


人はいつか必ず死ぬのだけど、死ぬのを怖がったり、また人の死に目にあったりするのが嫌だと思ってしまうと、そこまでに行きつく過程での楽しいことや幸せなことさえ否定してしまうことになる。


旦那さんと一緒に暮らした日々は、嫌なこともたまにあったものの、全体的に見れば、とても幸せな日々だった。

老後になるまで、その日々が続くと信じていたから、早すぎた死にショックが大きかったのは仕方ないと思う。


だけど、幸せだったのは真実。


そしてまた、思い出は思い出として心にしまっておける自信も、少しずつついてきたように感じる。


これまでは、旦那さんがしてくれたものと同じような、似たような日常を求めていたところがあったけれど、これからは、新しい形の幸せを生み出してゆくことに決めようかと思う。


これからもきっと、心が揺らぐ日は来るだろう。

そして、きっと、揺れてもいいのだと思う。


私のペースで、ゆっくりと丁寧に、これからの日々を生きてゆきたい。

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