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父から未来の君へ

<はじめに> 未来の君へ 

この文章を読んでくれている時、君は中学生だろうか、高校生だろうか。それとも成人して、社会に出て働いているくらいの年齢だろうか。

この文章を書き始めたのは西暦2024年11月、第一稿を書き終えたのは2025年2月。私は53歳。これまでの人生や社会生活を支えてくれた知恵と学び、実行してきた工夫を書き残しておきますね。

現時点でのAIや量子コンピュータの動向については書いていません。10年後20年後にどれくらい発展しているか、私には予想がつかないからです。
その一方で、人間の本質はここ数千年、あるいは数万年変わっていません。ですので、人間の本質に関わることや、未来も価値を失わないであろう古典から学んだことを書いておきます。

もし君が私よりも有利な状況で社会生活を始めることができたら(そうなることを願っています)、私よりずっと高みに昇ることに役立つでしょう。

もし君が私と同じくらい不利な状況に追い込まれてしまったら、生きのびるために役立つことでしょう。なぜなら、私は人生の落とし穴や回り道については経験豊富だからです。

たとえば、私は学校に行かなくなったことがあります。高校3年の11月半ばから。いま不登校になっている子供たちから見れば、むしろ遅いほうかもしれませんね。
大学受験は不合格、そのまま浪人。予備校には3日だけ通ったが行かなくなり、その後は受験勉強も大学受験もせず引きこもり。
3年の引きこもりの後、1年4ヶ月ほど工事現場で働いてみたものの、力尽きて無職に戻る。さらに6年5ヶ月ほど引きこもってから、ホテルレストランのウェイターとして社会復帰。その後は何度か職場や職種を変えながらも、途切れることなく働き続けています。

人生の落とし穴に落ちたり、大きく遠回りをしたり。それでも生きのびて、命をつなぐ。そのための助けや支えになったと実証済みのことを書いておきますね。

【著者の略歴】

西暦1971年生まれ

1988年11月中旬 高校3年生、学校へ行かなくなる(出欠を取らなくなった時期から)
1989年03月 高校卒業(出席日数は足りていたようだ)

 引きこもり3年
 工事現場で1年4ヶ月働く
 引きこもり6年5ヶ月

1999年12月 ホテルレストランのウェイターとして社会復帰
 ※その後、職場や職種を変えながらも、途切れることなく働き続けている

2014年 結婚
2022年 子供が誕生

【使用上のご注意】

かなり個人的な内容を含んでいるため、予告なく記事を非公開にしたり、全部もしくは一部を有料記事に切り換えることがありえます。

この文章は第一稿のため、今後は加筆・修正するかもしれません。

あらかじめご了承くださいませ。(2025年2月14日)


01)思い込みより事実を選ぶ 

アメリカの天文学者、カール・セーガン氏の科学教養番組「コスモス」が、私が9歳くらいの頃に日本でも放映され、夢中になって観ていました。
その中に、ヨハネス・ケプラーの逸話が出てきます。ケプラーは、地動説の確立に大きく貢献した天文学者の一人です。
ケプラーは、神の創造した宇宙は美しい、そのため惑星の軌道は完璧な円に違いない、と信じていました。
ところが火星の天体観測の動きと、ケプラーの円理論から導いた軌道計算にはどうしてもズレが生じてしまいました。
そこで、ある時ケプラーは(真円ではなく)楕円軌道で計算してみたんですね。するとピッタリ観測結果と一致したのです。

この研究は、ケプラーの第一法則『惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道上を動く』として結実しました。
※真円は焦点が中心の1つだけ、楕円は焦点が2つあります

実のところ、惑星の楕円軌道は、ケプラーの信念や美意識には反していました。それでもケプラーは最終的に観測結果、すなわち事実を優先したのです。科学番組コスモスのケプラー編は、最後にこんなナレーションが流れたと記憶しています。

「捨てがたい大切な幻想よりも、厳しい事実を選ぶ。それこそ、科学の心なのです。」

私は天文学者にはなりませんでしたが、この言葉は当時から40年以上たった今でも、心に焼きついています。

10代後半から50代の今に至るまで、いくつもの難題や人生の落とし穴に直面してきました。
逆境を克服する第一歩は、現実を直視し、ありのままの事実を理解することです。
人間には思い込みや願望があるので、
・そんなはずはない
・そんなことありえない
・そうあってほしくない
と目の前の現実を否認しがちです。
しかし、壊れた車を直そうとする時、どの部品が壊れているかを知らずに修理することはできませんよね。
同じように、心や人生を修理するには、どのように壊れているかを見極めて、対策を立てて実行する必要があります。

現実を直視し、厳しい事実を選ぶ。それが、逆境を克服する足がかりとなります。

02)物事にはマイナス面とプラス面が両方ある

私が中学生の頃、実家のリビングには中国の古典書(の日本語訳)がたくさん並んでいました。
孫子、呉子、韓非子、老子、菜根譚、史記、三国志正史、十八史略などなど。全部は思い出せませんが、実際はもっと多かったはず。漢詩は無かったかもしれません。後年になって私の父に聞いてみると、実際に読んだのは半分ほどで、残りは飾ってあっただけのようです。
私は片っぱしから読み始め、実家にある中国古典は全部読んでしまいました。今ではもう、書かれていた内容は断片的に覚えているだけですが・・・

なかでも、司馬遷の「史記」には強く影響を受けています。
史記は、古代中国の伝説である五帝時代から始まり、夏、殷、周、春秋戦国、秦、漢(前漢)までを記した歴史書です。

私が特に影響を受けた部分を要約してみますと・・・

春秋戦国の戦乱期は約500年続きましたが、紀元前221年に秦の始皇帝が古代中国を統一。しかし、始皇帝は紀元前210年に死去。その後は各地で反乱が起こり、統一帝国としての秦は15年で滅亡してしまいます。

秦のあとは、劉邦が紀元前202年に再び中国を統一し、漢王朝を打ち建てました。
漢の劉邦が紀元前195年に死去したあとは、正妻の呂后とその一族が実権を握ります。呂后一族は宮廷闘争に明け暮れ、反対派を弾圧したり残酷に命を奪ったりしました。
その一方で、権力争いに熱中するあまり、万里の長城などの建設で大がかりに民衆を動員することもない。その間、民は平和な暮らしを楽しんだそうな。

初めて読んだ時、かなり衝撃を受けました。権力闘争に熱中し、反対派を理不尽に粛清するのは、マイナスの出来事です。
けれども、民衆が平穏な暮らしを楽しんだのはプラスの出来事ですよね。

私の両親は、物事や人間の一面だけを見て否定しがちな人でした。(その態度は、長男である私や、私の弟にも向けられました)

ところが司馬遷は、一見マイナスの出来事にも、プラスの側面を見出して史記を書き残しています。
どうやら物事には、マイナス面とプラス面の両方があるらしい・・・

私たちはマイナス面が多い状況を逆境、プラス面が多い状況を順境と呼んでいますね。
でも実際のところ、たいていの逆境には少しはプラス面があり、順境にも思わぬところにマイナス面が隠れていたりします。

中国古典のひとつ「淮南子」に書かれている『塞翁が馬』という逸話も有名です。
国境の砦近くに、道理に通じた老人が住んでいました。
ある時、老人が飼っていた馬が、隣の胡の国へ逃げてしまいます。
人々は気の毒に思い、老人を慰めました。
ところが老人は言いました「このことは幸運をもたらすかもしれない」。
数ヶ月後、逃げた馬は胡の国の駿馬を連れて戻ってきました。
人々は馬が増えて戻ってきたことを祝福しました。
ところが老人は言いました「このことは災いをもたらすかもしれない」。
老人の家は良い馬が増えていきます。老人の息子は乗馬を好み、
ある時、馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
人々は気の毒に思い、老人を慰めました。
ところが老人は言いました「このことは幸運をもたらすかもしれない」。
その1年後、隣の胡の国が大軍で国境の砦を攻めてきました。
多くの若者たちが弓矢をもって応戦しましたが、
砦近くに住む人たちは10人中9人が命を落としてしまいます。
しかし老人の息子は足を骨折した後遺症のため戦いに参加できず、
結果として、息子も父親も命が助かりました。

現実には、災いと幸運が交互にやってくるとは限りません。
災いばかりが続くこともあるし、たまには幸運が連続する時期もあります。
大切なのは、幸運のなかに災いの種が隠れているかもしれないと用心すること、災いのなかにある小さな幸運の種を育てていくことです。

03)人はなぜ学ぶのか 

学校に通っていて「なぜ勉強するのだろう?」と疑問に思ったことはないでしょうか。
私は少年の頃、疑問に思いました。自分の両親にも質問してみましたが、受験勉強しておかないと後が大変だとか、将来のために学歴が必要と言われ、心の底からは納得できなかったと記憶しています。

勉強について、学校制度と学びそのもの、両方の側面から考えてみましょう。

近代の教育制度は、国民国家が兵士や工場労働者を育成し、国力を強化するために整備されました。

日本では1872年(明治5年)に「学制」が公布され、初めて近代的な学校教育制度が導入されています。ただし、当時の就学率は低かったようです。
1886年に「小学校令」が制定。義務教育期間は4年間とされました。
1900年には義務教育の無償化が実現し、就学率が高まっていきます。
1907年には義務教育が6年間に延長されました。

日本は1945年(昭和20年)に、第二次世界大戦で敗戦。
1947年には日本国憲法の施行に伴い、教育基本法と学校教育法が制定。小学校6年と中学校3年の義務教育制度が正式に導入されました。
1950年代には経済成長とともに就学率がほぼ100%に達し、義務教育制度は日本社会に定着しています。

敗戦後の日本は、経済の復興に全力を注ぎました。経済復興の労働力を育成するために、義務教育制度は大きな役割を果たしています。

小学校と中学校は義務教育ですが、高校と大学は義務ではありません。
しかし敗戦後の経済高度成長期には、中学校卒業より高校卒業、高校卒業よりも大学卒業のほうが、就職や収入が有利になる現実はありました。

日本で受験勉強に熱心な家庭は、母親が教育熱心で、父親が家庭に無関心、というのが典型的なパターンです。

私の実家は、教育ママが2人いるような家庭でした。父親のほうがむしろ教育熱心。私は小学校5年の夏休みから半強制的に中学受験の勉強を開始。覚えが悪いと、父親から頭を殴られました。ちなみに、人間の頭は殴ると記憶力が向上するようにはできていません。
3つの私立中学を受験して、2つ合格。東京にある中高一貫の私立学校へ進学。中学の成績は、同学年250人中、70番から80番くらい。高校1年の初めはもう少し順位が上がり、そこをピークに高校では成績が急降下。高校を卒業する頃には、受験勉強どころか日常生活に支障が出るレベルで心が壊れていました。
私の場合、勉強させられることは向いていなかったようです。

話しを戻しますと、日本の経済力は、おそらく1989年(平成元年)頃が勢いのピーク。当時は株価や不動産価格が高騰し、バブル経済という言葉があったくらいです。
そして1990年代初めにバブル経済が崩壊。1993年以降は大学を卒業しても就職難となりました。この傾向は2005年くらいまで続き、1970年から1984年くらいに生まれた人たちは氷河期世代ともいわれています。

私は1971年生まれなので、氷河期世代なのでしょう。けれど大学へ行っていないし、高校を卒業してから計9年5ヶ月の引きこもりがありました。個人レベルで必死に生きのびて、世代を気にしている余裕は無かった、というのが正直なところです。

古来より、勉強や学問には、
「試験で学校や職場に登用される」「立身出世の手段」としての側面と、
「知らないことを知る」「真理の探究」という側面がありました。

いったん学校という枠を外して、学びそのものについて考えてみましょう。

人間には知らないことを知りたいという欲求が備わっています。
狩猟採集時代なら、おそらくは部族で移動しながら、移動先でどこに水場や狩場があるのか、何が食べられて何を食べると毒なのか。危険な場所はどこか、危険な害虫や猛獣はいるか。知ることが個人や部族全体の生き残りに直結していたでしょう。
農耕が始まると、いつ種を植えて、どんな手入れをして、いつ収穫すればいいのか。実りをどのように調理するか、保存するか。
時代が変わっても、知ることが生存に関わる本質は変わりません。

私は生きのびるために学ぶことは必要だと考えています。そして今は、知らないことを学ぶのが楽しいです。

恐竜研究で世界的に活躍している小林快次さんは、勉強と研究は違う、勉強はすでにある答えを教え込まれる、研究は自分で答えを作り出す作業だから楽しい、と語っています。

人間の基本設計として、自ら関心を持って学ぶことは楽しいのです。

やらされる勉強が私には向いてなかったとはいえ、今になって振り返ると、中学受験の勉強にはプラス面もありました。
小学校の国語・算数・理科・社会を徹底的にマスターしておいたことです。
特に、読み書きと算数は、どんな仕事でも必要ですし、自ら学ぶ時にも役立ちます。

君が学校に行っても行けなくなっても、読み書きと算数はしっかり身につけておきましょう。
そして、自ら進みたい道のために、受験勉強という手段を活用するのは、立派な選択だと思います。

人間から学ぶ。本や教科書から学ぶ。自然や宇宙から学ぶ。学び続ければ生きる道はあると、これまでの人生経験から私は信じています。

04)答えを出せなくても決断する時がある 

インド発祥のボードゲーム、チャトランガはヨーロッパに伝わってチェスになり、日本では将棋になったと言われています。

将棋の対局(対戦)では持ち時間があり、一手を指すごとに無制限に考えることはできません。限られた時間を有効に使い、指し手を選択する必要があります。

将棋プロ棋士の米長邦雄さんは著書「人間における勝負の研究」のなかで、次のように書き残しています。
〈考える順番としては、
1)問題の意味は何か
2)答えは何か
ここでわからなくなったら、
3)自分の力で答えが出せるか
と考えてみる。
そして最後に「無理だ」という結論が出たら、あとは自分なりの勝負哲学で決断する以外にありません。〉

将棋のような完全個人競技では、自分一人で考えて指し手を決めます。他人に助言を求めることはできません。今の時代なら、対戦中にAIを使うことも禁止です。

将棋のような個人競技ではなく、チームで仕事をする場合なら、自分以外のメンバーに助言を求めることができます。
しかしチームのリーダーともなれば、他人に助言を求めつつも、最後は自分一人で決断するしかありません。

また、人生の分かれ道での選択は、本人が決めたほうが良いでしょう。その人の人生について責任を持てるのは本人のみ。親でさえ(指図はできても)究極のところ責任は取れないからです。

私は高校を卒業してから3年ほど引きこもり、生きる意味についても考え抜きました。けれども、私の頭では結論が出ない。3年近く考えても生きる意味が分からず、一生考えても分からない可能性が高い。あと2週間くらいで21歳になる時に、分からないなりに生きると決めました。
それから30年以上、生き続けています。

05)メモを書く 

私は高校卒業から3年ほど引きこもったあと、1年4ヶ月だけ工事現場で働きました。肉体労働を5ヶ月、現場監督の見習いを11ヶ月です。
現場監督として仕事を教えてくれた清水四郎さんは、仕事始めの時に、胸ポケットに入るくらいの小さな手帳を用意してメモを取れ、とアドバイスしてくれました。
人間が一度に暗記できることには限度がありますよね。教わったことや気づいたことをメモに書いて、復習したり反復することで、仕事をより確実に覚えていけます。

実のところ、考えたことを紙に書くことは16歳くらいから始めていました。当時はB5版のレポート用紙に書きなぐっていましたね。

ところで、メモを書くことには記憶に定着しやすくなることに加えて、もう1つ利点があります。
人間が頭の中だけで考えることには限界がありますよね。一生懸命に考えているつもりでも、同じ場所の迷路をぐるぐる回ってるだけ、ということはよくあるのです。
教わったこと、気づいたこと、考えたことをメモに書く。書いたものを見て、また考える。考えたことを書いて・・・というサイクルを回していくうちに、思考を整理し深めていけます。

人間はなかなか自分を客観視できませんが、自分が書いたものを読むことは難しくありません。

私がメモを書くときのルールは簡単です。
○日付を書いて
○教わったこと、気づいたこと、考えたことを書く
○本や記事から印象的な言葉を書き写すときは、著者名などをあわせて書く
・・・それだけです。

日付が入っていると「あの時こんなことを教わったり、考えていたんだなぁ」と振り返ることができます。

私は長らく、シンプルなメモ帳タイプで、胸ポケットに入る小さなサイズの手帳を愛用していました。
日付が入って1日1ページのタイプではなく、メモ帳タイプに手書きで日付を書いて使います。日によって少ししか書かなかったり、1ページで収まらないくらいたくさん書くこともあったからです。

もし君がメモを書くとしたら、私が使ったのと同じような手帳である必要はなく、君が気に入ったデザインや形式の手帳を選ぶと良いでしょう。

また、人間には書き言葉が得意な人もいれば、絵を描くことや話すことが得意な人もいます。その場合は、イラストを描いたり、ボイスメモでも構いません。大切なのは、外部装置を使って思考を頭の外に出してみることです。

私はここ数年、紙の手帳の代わりに、スマートフォンのメール下書きにメモしています。1ヶ月や2ヶ月分を自宅のパソコン(パーソナルコンピュータ)にメール送信して、テキストファイルに貼り付けて保存。パソコン内のテキストファイルなら、日付やキーワードで検索が容易です。
その一方で、キーボード等による電子機器の入力よりも、手書き文字のほうが脳を刺激してくれる、という説もあります。紙の手帳を使うか、電子機器を使うかにも唯一の正解はなく、君の好みや状況によって使い分けると良いでしょう。
ちなみに私がスマートフォンのメモに切り替えたのは、左手に手帳を持って右手で書くと両手がふさがるのに対し、スマートフォンなら片手で入力できるからです。

また、インターネットでは多くの人たちが情報を発信しています。
しかし、君がメモを書き始めてしばらくは、誰にも見せなくていい。親にも見せなくていいです。ある程度の量がたまってきたら、メモに書いた中から取捨選択して発信してみてはいかがでしょうか。

06)人生が私たちに問いかけている 

ヴィクトール・エミール・フランクルは、ユダヤ人の精神科医・心理学者です。第二次世界大戦の時期にナチスによって絶滅収容所へ送られ、奇跡的に生還したという壮絶な体験をしています。
絶滅収容所ではメモを書くことさえ禁じられていましたが、フランクルはいくつもの小さな紙片に速記記号をびっしり書いて、収容所内で起きたことや考えたことを密かに記録。そのメモと深い考察をもとに、「夜と霧」などの著作を残したのです。
私が「夜と霧」を読んだのは25歳の時ですが、最も影響をうけたのは次のような一節でした。

「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」

フランクルのように、強制的に絶滅収容所へ送られて九死に一生を得るような凄惨な体験でなくても、私たちは希望が見えなくなる時があります。
・人生に期待できることは何もない
・今までやってきたことに何の意味もないのではないか
・そもそも、この世の人生に生きる意味なんてあるのか
といった絶望的な心境ですね。

私が人生に期待できることは何もない、と絶望している時、私という視点から人生を見ています。
フランクルは、人生が私たちに何を期待しているのか、すなわち人生という視点から私たち一人ひとりを見る、という考察をしているんですね。

また、絶滅収容所でいつ命を落とすか分からず、自由の大半を奪われた境遇でさえ、「何を思い、どう振る舞うか」は人間に残された最後の自由だとも述べています。

私たちが人生に何も期待できないと絶望している時でさえ、人生は私たち一人ひとりに対して「何を思い、どう振る舞うか」を期待して、見守っているのかもしれません。

ここからは私なりの解釈ですが、『人生が問いかけていることは何か』と仮説を立てて応答していく、ということを20代半ばから続けてきました。

もちろん、人生に対して「何を問いかけているのですか?」と語りかけても、何ひとつ言葉を返してはくれません。
ですが、何らかのシグナルが来た、と受け止めることはできます。

たとえば、ほぼ同じ時期に複数の人から同じ作品を勧められたら、私は「呼ばれている」と受け止めます。

作家の村上春樹さんが長編小説「1Q84」を発表した頃、2人の知り合いから読むことを勧められました。私にとって2人とも知り合いですが、その2人どうしは面識がない。つまり、ほぼ同時に2人とも勧めてきたのは偶然です。
私は本をそこそこ読むものの、小説はあまり読みません。しかし、呼ばれているな、と解釈して、村上春樹さんの小説を読んでみることにしました。
調べてみると、村上春樹さんの作品は数多い。長編小説だけでなく短編集もあるし、海外の小説を翻訳もしています。とても全部は読み切れません。そこで、長編小説だけに絞り込んで読むことにしました。
当時の最新刊だった「1Q84」を読み、次はデビュー作の「風の歌を聴け」まで戻って読む。そこから年代順に長編小説だけを読み進めて、再び「1Q84」を読んでみました。4ヶ月ほどかかったでしょうか。
村上春樹さんの作品世界は、一言で要約することを拒絶するような奥深さがあります。読んでいる間は作品世界に没入して、このまま物語が終わらなければいいなあ、とさえ感じる。されど長編小説とはいえ、どこかで必ず終わりを迎え、余韻を味わう。活字だけで構成された物語なのに、言語化しにくい余韻です。
ここからは私の推測ですが、村上春樹さんは表現したいことをキャッチコピーのように言い切るのではなく、表現したいことの周囲を丹念に描写して、浮き彫りにするような手法を取っておられるのかもしれません。

これは1つの例に過ぎませんが、ほぼ同じ時期に複数の人から同じようなメッセージを受け取ったり、何年か前と同じような問題にぶつかったりすることがあります。その時は「これは自分にとって何か課題があるのかな?」と、静かに考えてみることにしています。

07)心の構造を知っておこう 

私たちには心があります。心の基本的な構造を知っておきましょう。

潜在意識や無意識という言葉を、君も聞いたことがあると思います。
潜在意識の理論は、心理学者のフロイトやユングによって提唱されました。私たちがふだん意識しているのは心のほんの一部(顕在意識)で、心の大半は潜在意識あるいは無意識によって構成されています。

顕在意識と潜在意識を氷山にたとえてみると、
氷山の水面上、全体からは約10%が顕在意識。
氷山の水面下、全体からは約90%が潜在意識。

私たちがふだん意識していない潜在意識のほうが、むしろ心の本体と言えるかもしれません。なお、潜在意識は本人がなかなか認識できないだけで、顕在意識の感情に絶えず影響を与えていますし、態度や行動にはダイレクトに反映されます。
また心理学用語では、心に何らかのブレーキをかける際、顕在意識の場合は抑制、潜在意識の場合は抑圧と言います。抑制なら、心にブレーキがかかっていると本人が意識できますが、抑圧だと本人が意識していないところで(無意識のうちに)ブレーキがかかってしまうのです。

さらにユングの理論では潜在意識を、個人的無意識と集合的無意識の2層に分けました。
個人的無意識は、顕在意識の下に広がる経験や記憶を含む領域。
集合的無意識は、全人類に共通する普遍的な経験や象徴を含む領域。

作家の村上春樹さんは、物語を書く過程を「地下二階まで降りる」という独特な表現で説明しています。日常的な感覚や思考ではなく、内面的な深層に分け入って物語をくみ上げる。「地下二階」とは、潜在意識のさらに深い層に位置する領域で、そこには言葉にするのが難しい感覚や未知なるイメージが眠っているそうです。

08)心に栄養補給 

人間の体を維持したり成長させたりするには、炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、カルシウムなどの栄養素が必要です。そもそも、ずっと食べていないと空腹を感じ、何かしら食べたくなりますよね。

体の空腹と比べて、心の渇きは自覚しにくいですが、人間は心にも栄養が必要な生き物です。
また、生きていれば心が痛んだり、あまりに苦しいと心が壊れることさえあります。心を治すためにも、心に栄養補給が必要です。

心に栄養を補給して、心を支える方法を思いつくままに書いてみますね。

安心できる場所で、おいしい飲み物や食べ物を味わう。良い食事は、体だけでなく心も満たしてくれます。

海や川、山や緑などの自然に触れる。夜なら、月や星を見上げてみる。人間もまた自然や宇宙の一部です。

いつもと違う場所に行ってみる。
学校や職場からの帰りに、ふだんと違うルートを通るくらいでも気分転換になります。時間が許すなら、遠くへ旅行に行くのもいいでしょう。

素晴らしい作品を味わう。
物語や古典、ノンフィクションなどを活字で読む。歌や音楽を聴く。マンガを読む。ドラマや映画を見る。演劇やダンスを観る。美術品を鑑賞する。
たとえ作品や表現がすぐに理解できなくても、なんか凄い!と心が動けば豊かな肥やしになります。

ところで日本では、芸術や芸能で活躍している人たちが、ご自分の仕事を「世の中に無くてもいい仕事だけど」と謙遜している言葉を見かけることがあります。
確かに、芸術や芸能によって、体の空腹が満たされたり、ケガが急に治ることはありません。
しかし、心に栄養や活力を与えるという意味で、芸術や芸能もまた、世の中に必要な仕事です。むしろ、人類が農耕や牧畜を始める前から、芸術や芸能は存在してきました。

心を支える方法に話しを戻しますと、スポーツ観戦。
サッカー、野球、バスケットボールなどなど。また、オリンピック中継を見ると、世の中にはたくさんのスポーツがあることに驚かされます。
テレビやインターネットで中継を見るのも良いですが、スタジアムなどへ行って現地で観戦するのも興奮しますね。
将棋や囲碁なども頭脳スポーツと言えるかもしれません。私は将棋が好きで、プレイヤーとしてはアマチュア初段くらいで弱いのですが、将棋観戦は30年以上続けてきました。解説があれば指し手の意味は分かりますし、トップクラスのプロの戦い方には、仕事や人生に応用できる学びがあるのです。

さらに、心と体は連動しているので、体力で気力を支えることができます。
最も簡単なのは、歩くことです。応用としては、山歩きやサイクリングもいいですね。水泳や筋トレも良いでしょう。
寝る前や朝起きた時に、10分でも15分でもいいからストレッチや軽い体操をしておくと、疲労回復や体調維持に役立ちますよ。

そして、一番パワフルなのは、好きなことに打ち込むことです。1日15分でもいいから、自分の手や体を動かして、好きなことをやってみる。
仕事にするのでなければ、必ずしも得意でなくて構いません。
心を支えるのであれば、好きであれば十分です。
何が好きなのか? その答えは君の中にあります。自分自身の体や心の健康を損なうことでなければ、他人の生命や尊厳を害することでなければ、好きなことは何でもいいと思います。
私の場合は、歌を聴くだけでなく、歌うのも好きです。ボイストレーニングは月15日から20日程度を、22歳くらいからずっと続けてきました。心が壊れてしまった状態から立ち直ってきたのは、3割くらいは歌のおかげかもしれませんね。

09)インターネットやエコーチェンバー 

現代では、インターネットは欠かせない社会基盤の1つになっています。
インターネットが民間に普及し始めた当初は、使用する端末はパソコン(パーソナルコンピュータ)が主役。その後はスマートフォンが登場し、パソコンを上回る普及ぶりとなっています。
将来的には、眼球の網膜に情報を照射したり、さらには脳神経に情報を直接送信したりして、スマートフォンさえ不要となる未来が訪れるかもしれません。それでも、情報通信を用いて人間どうしが相互につながる本質は変わらないでしょう。

インターネット通信販売の巨大企業、アマゾンを創業したジェフ・ベゾスは、事業を発展させる秘訣として以下の3つを挙げています。
1つ目に顧客の声を聞くこと
2つ目に発明すること
3つ目にパーソナライズすること

顧客の声を聞くこと、発明することは、どんな事業でも普遍的に大切なことです。
パーソナライズ(個別対応)については、インターネットの特徴を示す、卓越した視点だと思います。
実際の店舗では、訪れる顧客ごとに店内の表示を変えたりはできません。
アマゾンのインターネット画面では、顧客ごとにお勧め商品の表示を変化させています。顧客の購買履歴、どんな商品や画面を検索したのか、などを分析して自動的にお勧め表示を変化させるのです。

私がこの部分を書いている2025年1月現在、
インターネットではSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に多くの人々が参加しています。SNSは人々が情報を共有し、交流するためのプラットフォームとして普及しました。アカウントだけ持って閲覧だけしている人もいれば、1日にすごい数の投稿をする人もいます。
10年後20年後には、SNSは今よりさらに影響力を強めているかもしれないし、逆に各国が規制をかけて今ほどは使えなくなっているかもしれません。

SNSのインターネット画面もまた、パーソナライズされています。ユーザーが検索した言葉、再生した動画、どんな投稿をしたのか、他のユーザーにどんな反応をしたのか、などを分析して次のお勧めを提示。ユーザーのアカウントごとに表示画面を変化させ、滞留時間が長くなるように設計されているのです。

SNSなど多くのアプリ(スマートフォンなどのアプリケーション)は、広告モデルを採用しています。ユーザーが無料で利用できる代わりに、利用履歴や関心に基づいた広告を表示。特定のターゲット層に効率良く広告を見せるため、効果が高まると言われています。

マーケティングという言葉を、君も聞いたことがあるでしょう。
広い意味でのマーケティングは、商品をお客さんに売るための戦略と仕組み作り。
狭い意味でのマーケティングは、商品を知ってもらい、買ってくれそうなお客さんを集めるための広告や宣伝。
私はそのように理解しています。

話しを戻しますと、SNSの運営会社はユーザーをたくさん集め、商品を売りたい会社や個人事業主に、広告枠を販売することで収益を上げているのです。登録したユーザーの数が多く、ユーザーがアプリを使用する時間が長くなるほど、広告枠が高く売れる構造なんですね。

さらに、広告モデルによる無料プランと、有料プランを併用したフリーミアムモデルもあります。有料プランでは広告を表示させず、プレミアム機能を使えて、ユーザーは月額料金を払うような仕組みです。

ただし、多くのユーザーを巻き込む大規模なプラットフォームは、有料プランのユーザーからの収益だけでは、アプリの開発費やデータサーバーの維持費などをまかなうことは難しい。無料プランで多くのユーザーを集め、広告枠を販売する必要は、やはりあるのです。

広告収益によって成り立つSNSは、ユーザーの数や使用時間を増やすことを優先する傾向があります。結果として、情報の質や社会への影響が軽視されてしまうのです。
ユーザーの関心に基づいてコンテンツを推薦する仕組みが、同じような傾向の情報ばかりを表示させるため、知らず知らずのうちに接する情報が偏ってしまう。ユーザーは自分の思い込みや意見が強化されやすくなります。同じような思い込みを持つ人々が集まり、自分たちの意見が繰り返されて増幅し、異なる視点が排除されていく。異なる視点を持った人間どうしの、敬意ある対話を阻害するリスクが高まります。
この現象が、エコーチェンバーです。

エコーチェンバー現象にも、プラス面とマイナス面の両方があります。

SNSや動画サイトなどで、検索する言葉、閲覧するページ、フォローする相手を注意深く選ぶ。そうすれば、ありのままの事実を理解するのに役立つ情報や、心に栄養を補給してくれるような文章や作品に出合うことさえも不可能ではありません。

その一方で、怒りのエコーチェンバーと言えるような危険な現象もあります。
ユーザーごとにどんな画面を表示させるのか、自動的に選別する設計をアルゴリズムと言いますが、怒りを助長するアルゴリズムもあるからです。
人間にとって怒りは強い感情なので、怒りにかられて投稿したり反応したり論戦したりすると、SNSを使用する時間が長くなります。そうなれば、広告枠が高く売れるようになる、という図式です。

自分や大切な誰かの生命や尊厳が踏みにじられた時、怒りの感情を熱源として状況を打開していく。それは人間として大切なことの1つです。

問題なのは、誰かに何かに怒りを刺激されて、哀れな生贄に集団で寄ってたかって侮辱の言葉を投げつけること。誰かと罵り合いをえんえんと続けたりすることです。
怒りは強い感情なので、怒りにかられた投稿や反応を続けていくと、心がだんだん怒りに乗っ取られていきます。最初のうちは理由があって怒っていたつもりが、やがて怒るために理由を探すようになる。しまいには、理由をでっち上げてでも誰かに怒りをぶつけてしまう。

もし君が怒りを感じたら、生命や尊厳を守るための怒りなのか、何かに怒りを刺激されて扇動されているのか、どこかで立ち止まって心の声を聴いてみると良いでしょう。

私は今までのところ、SNSで侮辱や誹謗中傷の集中攻撃を受けたことはありません。
しかし世の中には、SNSでものすごい数の悪口雑言を浴びて、自ら命を絶ってしまった痛ましい事例がいくつもあります。
もし万が一、君がインターネット上で集団から悪口雑言を投げつけられて、心が壊れそうだと感じる時が来てしまったら。思い切ってスマートフォンやパソコンの電源を切りましょう。SNSのアカウントはいきなり削除しなくてもいいけど、スマートフォンのアプリは消してもいい。

君がこの文章を読んでくれている時代にスマートフォンが存在せず、脳神経に情報を直接送信しているなら、外部との通信を遮断するモードが装備されているはず。通信を一時的に制限して、自分の脳と心を守りましょう。

一時しのぎではありますが、脳にとっては見なければ無いのと一緒です。

現実世界で包囲されて四方八方から砲撃されたら逃げ場はありません。
されどインターネットは電子的な仮想空間。命を縮めてしまうくらいなら、インターネット画面を見ない、いっそスマートフォンなどの電源や通信を切る、そのほうがずっとマシです。

インターネット画面のパーソナライズ(個別対応)は、そもそも顧客中心主義を実現するために開発された技術でした。
ところが巡りめぐってエコーチェンバーのような現象を生み、人々の分断と対立を加速させる歯車を回すのは、歴史の皮肉ですね。

さらに歴史をさかのぼると、新聞やラジオ、テレビなどのマスメディアは、多くの人たちへ情報を一方向で伝える力を持っていました。
インターネットは、地理的な制約を超えて人々が双方向でつながる利点があります。パソコンやスマートフォンなどの情報端末により、個人でも情報を発信できる点も画期的でした。

私もインターネット上の交流から始まって、現実社会でもお会いしたり友人になったことがあります。

現実社会だけで他人と向き合うと、まず外見や年齢、立場や肩書などが目に入りますよね。
インターネットでお互いの投稿や記事をよく読んでいる間柄だと、何を好きなのか、どんな考え方なのか、大事にしていることは何か、お互いの内面をある程度まで理解できています。
ですので、インターネット上の交流から始まって、現実社会でもお会いしてみると、実際に会うのは初めてなのに「初対面の気がしないね」という感想になることが多いのです。
また、通常の初対面なら開示しない、深い思考や心象風景について話し合えたこともあります。

不完全な人間が作ったインターネットもまた、不完全な仮想空間です。現実社会とは異なる危険や落とし穴があります。
それでも、古代人が火を使いこなして生活を一変させたように、インターネットもまた現代人の可能性を拡張してくれる技術と言えるでしょう。

10)セールスの技術 

西暦2025年現在、地球上の大半の国や地域は「市場経済」によって運営されています。私たちの多くは何かを売って収入を得て、自分では作れないものを買って生活しているのです。
また、個人の収入や会社の利益、あるいは商品やサービスを買った代金などの一部が税金として徴収され、政府や地方自治体といった公的機関が運営されています。

遠い未来に、人類全体に食べ物や生活必需品が十分に行き渡って、お金で売り買いする必要が無くなり、贈与だけで成り立つ文明が構築されるかもしれません。しかし、私が生きている間には実現しないでしょう。

日本語では「売る」「販売する」「セールス」は、ほぼ同じ意味の言葉です。また「営業する」は販売行為を含みつつ、より広い活動全般を意味しています。

研究者が研究資金を獲得したり、非営利団体が寄付金を集めたりするのは、(販売行為ではないものの)営業活動と言えるでしょう。

市場経済で生きていくには、広い意味で売ること、あるいは営業活動が必要なんですね。

私は高校を卒業して3年の引きこもり。その後、1年4ヶ月ほど工事現場で働いたものの、力尽きて無職に戻る。さらに6年5ヶ月ほど引きこもってから、ホテルレストランのウェイターとして社会復帰。
ホテル勤務を3年ほど続けてから転職し、それから20年以上、主に「売る」ことで生計を立ててきました。

工事現場は建設業、ホテルはサービス業。その次は、売ることを経験して身につけておこうと考えたのです。

アメリカ映画では、周囲から「アイツは何でも売る」と言われている、自信満々の登場人物がいたりします。
私は正反対のキャラクターかもしれません。人見知りはしないものの、もともと内向的で、押しも強くない性格です。

小学校からの友人に、転職してセールスの仕事をしていると打ち明けたら、かなり驚いていました。子供の頃の私を知っているだけに、意外だったんでしょうね。ちなみに本人にとっても意外です。

もともとセールス向きでなかった人間が、メシを食える水準には到達しました。ですので、売れなかった状態から売れるようになる方法はお伝えできると思います。

君はどんな時に、商品やサービスを買いたくなるでしょうか?

商品の利点 ≧ 払える値段

だと感じた時ですよね。

そして常に、冷静に論理的に判断しているでしょうか?
欲しいから買うのではないでしょうか。
そう、人間は感情で動く生き物。お客さんは「感情で買う」のです。

感情で買うお客さんに対して、どのように売れば良いのでしょうか。

3つのポイントと、5つの手順があると、私は考えています。
1つ1つ説明していきますね。

セールスのポイントは、
1)熱意 2)利点 3)信用 です。

ポイント1)熱意
お客さんの感情を動かすには、売る側にも熱意が必要です。
扱っている商品が素晴らしいと思えて、熱心にお客さんへお勧めできるのが理想です。逆に、仕事だから仕方なく売ってます、みたいな雰囲気の店員さんから買いたいとは思わないですよね。

私は国産メーカーのパソコン直販窓口で9年くらい働いていました。F社が2年半、N社が6年半です。部品を買ってきてパソコンを自作するくらい好きだったので、商品に対して熱意を持てました。しかも(自作パソコンと違って)メーカー製パソコンならサポート窓口もあるので、お客様にとって安心です。

商品に対してあまり熱意を持てない場合でも、何らかの熱意を持てば、やっていけます。
○売ること自体が好き
○売れるようになりたい
○チーム内の競争で売上1位になる
○いっぱい売って、お金をたくさん稼ぐ
○生きていくために結果を出す
などですね。

上記の中には、利己的な動機も含まれています。一時的には、利己的なエネルギーでも構いません。自分自身を駆り立てるには、それなりの熱量が必要だからです。
ただ、利己的なエネルギーは石炭を燃やすようなもの。火力は強いけど、周囲に煙やススをまき散らす。どこかのタイミングで自分以外の人に目を向けて、利他に気づいたほうが周囲を味方につけて長続きするでしょう。

ポイント2)利点
熱意は、利己的なエネルギーでも構わないと書きました。
しかしお客さんには、売る側の都合は関係ないですよね。お客さんはお客さんの都合で商品を買います。特に、個人客や会社オーナーは自分の財布からお金を出すので、なおさらです。
商品やサービスが、お客さんにとって、どんな利点があるのか。その利点をどのように伝えていくのか。売るために理解しておきましょう。

商品知識を身につけることは、当然のことながら必要です。

新人のうちは、商品知識がどうしても足りません。大切なことは、お客さんに対して、知らないことを知っている振りをして答えないことです。知識が足りない部分は、後で調べるなり、先輩に聞くなりして、改めて回答しましょう。
商品知識が身についてくると、今度は知識を長々と話してしまう落とし穴があります。お客さんは売る側の演説を聞きたいのではありません。お客さんから質問された時、商品知識が10あるとして、10全部を話すのではなく、重要な1や2をかみくだいて分かりやすく伝えるほうが大事です。

さらに、思考を整理するために、商品選びのポイントを3つくらいにまとめてみましょう。

たとえばパソコンのような電子機器の場合、選ぶポイントは
1)性能 2)値段 3)安心感 ですね。
性能については、インターネットやメールができれば十分なら、高性能である必要はありません。ゲームや動画編集を楽しみたいなら、CPU・メモリ・グラフィックボードなど高性能が必要です。
値段については、お客さんが払える範囲内かどうか。あるいは競合メーカー、他の店舗や通販サイトとの比較です。値引きしてはいけない場合もありますし、値引き交渉が必要なこともあります。
安心感については、製品が壊れにくいかどうか、使い方相談などサポート窓口が充実しているか。あるいはブランドイメージなどです。

また、メーカーによって性能や信頼性に大きな差がない電子機器の場合、デザインが決め手になることもありますね。

ところで、若いうちは実感しにくいと思いますが、世の中にはお墓を売る仕事もあります。
お墓選びの主なポイントは、
1)お墓参りのしやすさ 2)値段 3)好みや雰囲気
となります。
自宅から車で片道1時間以内、できれば30分くらいの距離だと、お墓参りしやすいです。お客さんによっては自家用車を使えず、電車やバスでお参りする人もいます。その場合、車なしでもお参りできる立地かどうかも大事になります。
値段については、お墓のサイズや種類が多くあるので、ご予算に応じた提案が必要です。お墓にかけられるお金はお客さんによって大きく異なります。
そして好みや雰囲気は、数字で表しにくい要素です。実際にお墓がある場所を下見してみて、雰囲気が気に入るかどうか。日当たりや眺めは良いか。ペットを飼っていたお客さんなら、ペットも一緒に埋葬できるかどうか。足腰の弱ったお年寄りでもお参りできる平坦な場所か、それとも傾斜がキツイか。現地を見て初めて実感できることも多いです。

このように、商品選びの基準を整理しておくと、お客さんにとっての利点を伝えやすくなります。

ポイント3)信用
売る側の熱意が感じられて、商品の利点も納得できた。それでもお客さんには、商品を買う前に「お金を払って本当に大丈夫かな?」と少し不安が残ります。高額の商品であれば、なおさらです。
売る側の熱意と、お客さんにとっての利点に加えて「信用」があってこそ、お客さんはお金を払って商品を買います。

商品を扱う会社への信用。全国に名の通った会社はやはり有利です。また、大きな会社でなくとも、長く続いている会社も安心感があります。創業して日の浅い小さな会社でも、創業者が有益な情報を発信し続けて、ファンを獲得しているケースもありますね。
セールス担当者への信用。熱意があり、お客さんの要望に耳を傾け、商品の利点をしっかりお伝えできる。さらに商品の弱点も説明して、それでも利点が上回ることをお伝えしていく。

商品を扱う会社やセールス担当者への信用が、不安を上回った時に、お客さんの感情は商品を買うほうへ傾くのです。

セールスのポイントは、
1)熱意 2)利点 3)信用 だとお伝えしてきました。

実はセールスは単独で成り立つのではなく、マーケティングと連動して、車の両輪のように機能しています。
広い意味でのマーケティングは、商品をお客さんに売るための戦略と仕組み作り。商品を売る仕組みの一環として、セールスがあります。
狭い意味でのマーケティングは、商品を知ってもらい、買ってくれそうなお客さんを集めるための広告や宣伝。

それでは、買ってくれそうなお客さんに対する、セールスの手順に移りましょう。

セールスの手順は、
1)ご挨拶
2)傾聴と質問
3)ゴール設定と提案
4)クロージング
5)ご契約
となります。

順を追って説明していきますね。

手順1)ご挨拶
お客さんに対して通常、セールス担当者は初対面からスタートします。
常連さんやリピート客もいらっしゃいますが、ここでは初対面について書いてみますね。
マーケティングの手法によって、初対面のご挨拶はアウトバウンドとインバウンドに分かれます。アウトバウンドは、セールス担当者からメールを送ったり電話したり、資料を郵送したり訪問したりすることです。インバウンドはその逆で、お客さんからの問い合わせを受けることになります。

アウトバウンドは、セールス担当者のペースで活動できますが、どれだけ丁重にご挨拶しても断られることは多いです。
インバウンドは、最初はお客さんのペースで始まります。商品に関心を持ったお客さんが問い合わせてくれる場合もあれば、商品の購入と関係ない問い合わせが混じることもありますね。

アウトバウンドとインバウンドの両方に共通することは、初対面のご挨拶でお客さんに悪い印象を持たれてしまうと、そこから挽回するのはまず無理だということです。
実際の対面なら、服装や身なりを整えて清潔感があること。電話なら、声のトーンや言葉の聞き取りやすさ。メールなら文面や文体。お客さんにとって信頼感や親しみやすさがあると良いでしょう。

手順2)傾聴と質問
セールストークという言葉があります。実際には、お客さんに話をまくしたてて売れるものではありません。むしろ、お客さんの声に耳を傾けることが大事です。
お客さんの表情、仕草、声のトーンなどをさりげなく観察する。
お客さんの話をさえぎらずに聞く。相槌を打つ。お客さんの話が長くなったら「○○と△△ということですね」のように要約して返す。
商品選びのポイントを頭の中に思い浮かべながら、売る側から質問して、お客さんが求めているものを明らかにしていく。お客さんから質問されたら、分かることは即答し、その場で分からないことは調べてお答えします。
また、話すペースやスピードも大事です。頭の回転が速く、早口で話すお客さんに対しては、こちらもテンポ良く回答していきます。高齢のお客さんに対しては(耳が遠くても)聞き取りやすいように、ゆっくり話しかけると良いでしょう。

3)ゴール設定と提案
お客さんの好み、望むこと、商品にかけられる金額などを聞き出したら、自分(自社)が提供できるものと一致する部分を探します。お客さんが求めているものを満たし、自社にとっても利益となるゴールを設定していきましょう。
その上で、商品の構成やお値段について具体的に提案していきます。
この段階でたとえば3パターンの提案をして、どれもお客さんに響かなかったら、お客さんが求めているものを十分に聞き出せていない可能性が高いです。傾聴と質問に戻り、お客さんが何を求めているのか掘り下げていきましょう。
提案がお客さんに響いていると感じたら、次のクロージングに移ります。

4)クロージング
お客さんが商品を買う意思決定に向けて、提案を絞り込んでいく段階です。
もし3パターンの提案をしていたら、2つか1つに絞り込んだり、提案の構成を手直ししたりします。
また、お客さんが本気で買うことを考え出すと、不安材料や反論も出てくるものです。1つ1つ丁寧に回答して、ご安心頂けるようにします。

クロージングの段階で、値引きが必要になることもありますね。
まず、商品を扱う会社の方針として、値引きできない場合とできる場合があります。値引きできる場合も、時期によって少ししか値引きできなかったり、いつもより大きく値引いても売り切りたい時期もあるのです。
お客さんに対しては、値引きするからご検討ください。ではなく、値引きするので今月ご契約ください、あるいは今日お決めいただければ、のように購入時期を早めるために値引きを使いましょう。

商品の構成や値段が決まってきて、お客さんのほうから「それでお願いします」と言ってもらえるのが理想です。

お客さんが商品を買う意思決定をしたら、ご契約の手続きに移ります。

手順5)ご契約
商品の購入やご契約の手続きは、システム上の入力で完結することもあれば、契約書に手書きする場合もあります。どちらにせよ最後の詰めですので、内容や金額を1つ1つ確認しながら慎重に進めていきましょう。
また、セールスの多くは契約しただけで終わりではありません。契約後に事務処理や発注、入金確認などもあります。
最終的には、お客さんにご満足いただけるのがゴールです。

セールスの手順は、
1)ご挨拶
2)傾聴と質問
3)ゴール設定と提案
4)クロージング
5)ご契約
だとお伝えしてきました。

君はもうお気づきでしょうか?
5)「ご契約」を「交渉成立」に置き換えたら、この手順は(脅迫や暴力を使わない)あらゆる交渉ごとや合意形成に応用できます。
結局のところ、人間どうしのコミュニケーションですからね。

私は必ずしも一流のセールスパーソンではありません。
ですが、一流の人たちを何人も目の前で見てきました。

セールスに向いている人は、
○売ることが好き
○競争が好き
○お金が好き
この3つのうち2つ、あるいは全部を満たしています。

私の場合は、
○売ることは必要
○競争はなるべく避けたい
○お金は必要なぶんあれば良い
という価値観です。(上記の3つとも満たしてないですね)

これまで経験した職場で、年間売上1位を達成したことはありません。
月間1位なら何回かありました。トップ争いをしてしまい、一流の人と競り合うと、負けても勝っても迫力や凄みをひしひしと感じます。

逆に、お金や売ることに対して嫌悪感や拒否感を持っている人もいますね。何か汚いものだと感じておられるのかもしれません。
これは能力よりも価値観の問題だと思います。売ることに嫌悪感があるうちは、セールスの仕事をしないほうが賢明かもしれません。

私はお金や売ることが汚いとは思っておらず、シンプルに必要だと考えています。その一方で、お金や競争や売ることが好きな人と比べて、迫力と欲望の強さが劣ることも事実です。

そうした劣勢を、私は「イメージを現実化する」工夫で補ってきました。

イメージの主な系統は言語と映像。私は言語を用いることが多いです。
言語を用いる手法だと、
○時期 ○内容
をメモに書く。頭の中で唱える。あるいはその両方です。

たとえば、月間売上の個人目標が1000万円だったとします。商品の平均単価を考えると、契約1件だけで達成することはまず無い。となれば、契約件数と金額を積み上げていくしかありません。
私の場合は、今月は300万円→500万円→750万円→1000万円、のようにイメージを刻みます。
夜寝る前と、朝起きた時に、頭の中で繰り返し唱える。また、スキマ時間でも頭の中で唱えます。
夜寝る前と朝起きた直後は、顕在意識と潜在意識の境界があいまいになっているので、イメージを潜在意識に浸透させやすいのです。

応用編として、会社から命じられた目標数字と、自分が達成できそうな売上数字が大きくズレてしまう場合があります。
目標数字にどうにも届きそうにない。その時は、誰にも言わない自己目標を設定して(たとえば月600万円)、密かにイメージして達成するようにしてみます。
目標数字を超えてさらに伸びそうな時は、やはり自己目標を設定して、行けるところまで行ってみましょう。

仕事の結果は必ずしもコントロールできません。しかし、結果をイメージして、自分やチームが取り組むプロセスをコントロールすることは大事です。

イメージを現実化する工夫は、セールス以外にも使えます。

私は1999年の9月末に、
○1年以内に
○経済的自立 + 歌のトレーニングを続けるための時間と費用
という目標を立ててメモに書きました。引きこもりから社会復帰しようとしていた頃です。また、自分を支えるためにも歌は必要でした。
1999年12月末にホテルレストランのウェイターとして社会復帰。その後は収入からなるべく貯金して、2000年の秋には使用枠が少額ながらクレジットカードを初めて作成。自分名義でインターネット回線を契約しました。

2025年現在は「時間とお金を稼いで、子供が独り立ちするまで育てていく」ことをイメージしています。

話を戻しますと、メモやイラストを書く、頭の中で唱えたり映像を思い描く。イメージを潜在意識に浸透させることで、現実化しやすくなります。
なんでも実現するわけではないけれど、深く強くイメージすることで現実化の確率が上がるのです。

さらに別の角度からも、仕事のコツを書いてみますね。

クリエイティブディレクターの佐藤可士和さんは、著書「佐藤可士和の超整理術」の中で、
1)整理する
2)切り口を見つける
3)問題解決
という思考プロセスを述べています。

これは、デザインやブランド構築といったクリエイティブな仕事だけでなく、セールスにも応用できる考え方です。
そう気づいてから、仕事をしていて迷いが生じる時や、行き詰まった時に、まず「整理」するようになりました。

机にある紙の資料や、パソコンのデジタルデータを整理する。
ちなみに私は、デジタルデータならファイル名を工夫したりフォルダ分けして整理できますが、紙の整理はとっても苦手です・・・

自分がどんな案件をかかえているのか、それぞれの進行状況はどうなっているか。今月はどれくらいの売上が見込めるか。目標まで足りないとしたら、具体的にどれくらい足りないか。
スケジュールは埋まっているか、逆に空きすぎていないか。
見積作成、事務処理、各種申請など、やり残しがどれだけあるか。
記憶だけに頼らず、一覧を作って「見える化」しておくと良いでしょう。

このように整理していくと、今の状況をどんな切り口で打開すれば良いのか見えてきます。
○まず案件数を増やす
○関心があるお客さんに、次のステップへ進むよう働きかける
○ご予算があるお客さんには、より価値の高いお買い物をしていただく
○事務処理がたまり過ぎているので、あえて外出しない日を作り、後回しにしておくと危ない事務処理をまとめて終わらせる
などなど。

切り口を見つけて実行していくことで、現状を打開する問題解決につなげていきます。

私はもともとセールス向きの性格ではなく、おそらく今も基本仕様は変わっていません。それでも、あの手この手で工夫すれば、やりようはあるものです。市場経済では、売ることができれば生活していけます。

気をつけることがあるとしたら、扱う商品が合法かどうか、売る価値があるかどうか。私はこれまで、非合法の商品を売ったことはありません。合法だけど売る価値がない商品や事業だと判断して、来月からの収入の見通しがないまま仕事を辞めたことは2回ありました。(辞める時は「御社の商品に売る価値がないからです」とは言わず、別の理由をでっち上げましたが)
無収入になっても半年から1年くらいは生活できる貯金をしておくと、こうした時に自分の価値観を貫くことができます。

セールスの技術は、価値ある商品を売るために使いましょう。

11)状況と目的、有効な方法 

地球上で、日本は地震の多い地域のひとつです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、宮城県の三陸沖でマグニチュード9.0の地震、東日本の太平洋岸を広く襲った津波、さらに福島の原発事故も加わり、日本の歴史上でも最大級の被害となりました。
自衛隊を始めとする公的機関は献身的な災害救助を行い、民間でも多くのボランティアが被災者支援に乗り出したのです。

そうしたボランティア団体の1つに「ふんばろう東日本支援プロジェクト」がありました。
代表の西條剛央さんはメタ認知理論である「構造構成主義」の提唱者。当時は早稲田大学大学院の講師で、哲学と心理学を教えていました。

ふんばろう東日本支援プロジェクトは、3000ヶ所以上の避難所や仮設住宅への物資支援や、2万世代以上の個人避難宅に家電を届けるなど、50を超えるプロジェクトを実施。最盛期には3000人を超えるスタッフが運営に関わっていました。

私は岩手県宮古海岸の清掃や、陸前高田市の仮設住宅にパソコンを届けるなど、少しだけ末端で参加。仕事の合間に無理なく駆けつける程度でしたが、中核メンバーの不眠不休の働きぶりを驚嘆して見守っていました。

ふんばろう東日本支援プロジェクトの目的は「被災された方々が自立した生活を取り戻すサポートをすること」だと、代表の西條剛央さんは繰り返し表明しています。
支援は手段であり、被災者が自立して生活していけるようになることが目的ということです。これは被災者支援に限らず、子育ても含めて、他者への支援に広く応用できる考え方だと思います。

また「方法の有効性は、状況と目的に応じて決まる」原理をもとに、現地で刻一刻と変わる被災者の状況に対応して、その都度、有効な方法を編み出していきました。
そのため、当初は避難所への物資支援から始まり、やがて50を超えるプロジェクトへと拡大していったのです。

そして、団体の存続を目的化することなく、2016年9月には支援基金が解散して、ふんばろう東日本は活動を停止しました。

状況と目的に応じて有効な方法が決まる、というのは普遍的な原理です。

勝利の方程式という言葉がありますが、人間はどうしても同じ方法にこだわりがちです。それが一度はうまくいった方法なら、なおさらです。しかし、状況が変化したのに頑なに同じ方法を続けていたら、敗北の方程式になりかねません。

今はどんな状況なのか。この先どんな状況へと変化していくのか。
自分(たち)の目的は何か。
状況と目的に応じた有効な方法は何か。どのように実現していくのか。

人生や仕事の分かれ道に差しかかった時、私はメモに書き出して考えるようになりました。たまたまボランティアに参加して、大いなる学びを得たことに感謝しています。

12)逆境を切り抜ける 

逆境はマイナス面が多い状況、順境はプラス面が多い状況ですね。
私のこれまでの人生はだいだい逆境だったかもしれません。順境は少なく、あっても期間が短かったように思います。

逆境を克服したり、切り抜けるために有効だった考え方や心構えを書いておきますね。

将棋プロ棋士の大山康晴さんは著書「背水の陣で生きる」のなかで、次のように書き残しています。
〈局面を悪くしたと率直に認めることにする。仮に数字であらわすと、マイナス5であったとする。その場合、急いで勝負に出ることはせず、いかにしてマイナス5をマイナス4にしようかと考える。一か八かの無理な勝負の仕掛けは自滅する例のほうが多くなる。
仮に最初のマイナス5がキズが大きすぎて、とうていマイナス5を消すことができないとわかっていても、なんとかしてマイナス3にしよう、マイナス2にしようと頑張り抜く。〉

また、将棋プロ棋士の米長邦雄さんは著書「逆転のテクニック」のなかで、次のように書き残しています。
〈不利なときの指し方。相手より勝っている点を見つけ、その勝っている点を伸ばすように指し手を工夫していく。そうすれば苦しくても勝負形にはなるはずだ。勝っている点がなければ、それをこれから作り出す作業をしなければならない。〉

私が上記の本を読んだのは10代の後半だと思いますが、人生の指針に大きく影響しています。

ゲーム理論によると、将棋は完全情報ゲーム。偶然が入り込む余地はありません。局面の均衡を保つのも、悪い手を指して局面を不利にするのも、相手の悪い手をとがめて局面を有利にするのも、すべて自分次第です。

人生は自分の過ちで局面が不利になることもあれば、自分が悪くなくても不利な局面に追い込まれることがあります。
ですが、不利になった時の基本的な考え方は、将棋と共通していますね。

ここからは私の考えや解釈ですが、逆境は心理的に苦しいけれど、自分から崩れないことがとても大切です。
自暴自棄という言葉があります。苦しいと自棄(ヤケ)を起こしたくなるのが人情です。しかし、苦しい局面でヤケを起こして自滅すると再起不能になりかねません。

巨大地震や津波など、大自然の前では人間はあまりに無力です。また人間どうしでも、力関係に差がありすぎて、自分一人の力では対抗しきれず押し潰されてしまうこともあります。

それでも、自分で自分を見捨てない。

もしマイナス99まで追いつめられたら、ギリギリで踏みとどまる。
一発逆転を狙わずに、マイナス98までもっていく。次はマイナス97、マイナス96と少しずつマイナスを減らしていく。深海からゆっくり浮上していくイメージです。
マイナス99をマイナス90まで持ち直したとする。その瞬間は相対的にプラス9、苦しみが和らぐので嬉しい。でもしばらくすると、やっぱりマイナス90だしなぁ、と再び落ち込む。逆境を克服していく過程では、こうした気分のアップダウンはつきものです。

少しずつマイナスを減らす努力を続けていくと、深海から海面に浮上するように、マイナスがゼロになったと実感できる日が来るかもしれません。

順境はプラス面が多く、選べる手段も豊富なので心理的に楽です。しかし、選択肢が多いなかで最善の道を決断する必要があるため、技術的には意外と難しい。
逆境はマイナス面が多く、心理的には苦しい。しかし、有効な手段がそもそも少ないため、技術的には易しいのです。マイナス面が多いなかで踏みとどまり、数少ないプラス面を生かしましょう。

人間はどうしても他人と自分を比べてしまう生き物です。自分が逆境に追い込まれ、落とし穴の底から遠い空を見上げている時、他の人たちはどんどん先へ進んだり、活躍したりしています。
少しの差なら抜き返せばいい。けれど大差がついてしまうと、比較そのものが無意味になってきます。

私の場合、生きる意味が分からないまま生きると決めた日を基点として、自分自身を乗り超えていくことにしました。

別の表現をするなら、生まれ持った資質や生まれ育った環境をどこまで超えていけるか、ということですね。

50歳を過ぎて思うのは、苦しみそのものに意味はなく、苦しみにどう対処したかが重要、ということです。苦労した人間が偉いということはなく、苦労が少ない人間がダメということもありません。
人間は他人と自分を比べてしまいますが、自分の苦労と他人の苦労を簡単に比べないことは大切な心構えです。平常に生きているように見える人が、実は人知れず重荷をかかえていることもありますからね。

また身の回りに、秘密を守り、安易に他人を裁いたり助言せずに話しを聞いてくれる人がいるなら、ただ話しを聞いてもらうだけでも心が和らぐこともあります。

ところで、不登校や引きこもりを経験しないで済めば、それに越したことはありません。しかし、いろいろな条件が重なって不登校や引きこもりになってしまい、そこから社会参加を目指す場合の注意点や工夫についても書いておきましょう。
私は高校3年の最後のほうで学校に行かなくなり、卒業してそのまま引きこもりになったので、不登校から学校に戻る方法は語れません。
引きこもりから社会に参加する方法は、経験から語れます。とはいえ、私の経験はもう古い。君がこれから生きる時代とは大きく異なるでしょう。ですので、時代が変わっても、あまり変わらないと思われる部分について書いてみます。

不登校や引きこもりになっているということは、心や体にダメージがある状態ですよね。体に病気や大ケガがあれば、まず治療に専念しましょう。心は目に見えないけれど、心に大きなダメージがあると日常生活にも支障をきたします。また、ダメージが深刻だと回復に長い時間がかかるものです。
働くことは心身に負担がかかります。働く以前に、食べる・風呂に入る・眠るなどの日常生活が問題なく送れるようになり、(足腰の故障がなければ)30分から1時間くらいは散歩できる状態になることを目指しましょう。

心身がある程度まで回復してきたら、働き先を探します。知り合いなどに紹介してもらえるのが理想ですが、自分でイチから探すしかない場合もあるでしょう。
私の場合は、高卒の学歴で、何の肩書もない。技術も経験もない。という状態から自分で探しました。人手不足で、そこそこ給料が出る分野を狙います。人手不足なら未経験でも雇ってもらえる可能性があり、あまりに給料が安いと生活していけないからです。
自分一人が生活していけるようになることが当面の目的だったので、社会の役に立っている仕事であれば何でもいいと思っていました。

君がこの文章を読んでくれる頃には、2025年現在よりも日本の人口はさらに減少し、慢性的に人手不足となっていると予想されます。狙いをつけた分野が、単なる人手不足なのか、給料が安く待遇が悪いから人手不足なのか、事前に調べておくと良いでしょう。逆に、あまりに給料が高いと、何か裏があると用心したほうが良いかもしれません。

働き始めた時のちょっとした工夫も書いておきます。

始業時間よりも30分以上早く職場に着く。職場の人たちの一部は、中途採用の新人に対して、やる気があるのか、いつまで続くのか、と疑いの目で見ています。早めに出勤するとなじむのも早い。親切な人は始業前にあれこれ話しかけてくれたりします。(良い見本ではありませんが、私は仕事に慣れてくると始業時間の10分くらい前に出勤するようになりました・・・)
年下の先輩や上司に頭を下げる。中途採用で入ると、先輩が年下だったり、上司が同年代や年下だったりすることはよくあります。職場に入って最初の半年は、自分の小さなプライドを捨てて、仕事を覚えることが最優先です。
教えてくれる先輩を見極める。職場や仕事に少し慣れてきたら、この分野ならこの人に聞こう、と選り分けていく。さらに、どんなタイミングで質問したら気分良く教えてくれるか、その人の傾向やクセを把握しておくとなお良いです。

上級編としては、ある人に教わったことですが、
「部下をうまく使うことは誰もが考える」
「上司をうまく使うことが大事です」
とのこと。私はいまだ、この域には達していません・・・

がんばって働いていても、気持ちがストンと落ち込むこともあります。理由があって落ち込むこともあれば、すぐに理由が分からないけど落ち込んでしまうこともある。そんな時のちょっとした工夫も書いてみます。
寝る前に、洗面所などの鏡を見て、ニコッと笑ってみる。笑顔の表情筋をほぐしておく。笑顔になって、今日はいい一日だったと脳に信号を送る。私は25歳くらいから、ほぼ毎晩、寝る前に続けてきました。
また人間は気持ちが落ち込むと、姿勢が前かがみになり、視線もななめ下を向きがち。意識して、ななめ上を見上げてみましょう。夜なら、月や星を眺めてみましょう。

自分一人の力では、あるいは人間の力ではどうにもならないことはあります。しかし、たいていの逆境には活路があるものです。

現実を直視し分析し理解する。
対策を立てて実行。
検証して軌道修正しつつ、やりとげる。

この世には落とし穴も回り道もあるけれど、生きていく道はありますよ。そして道端には綺麗な花が咲いていて、遠回りしたからこそ見られる景色があるかもしれません。

<あとがき> 答えは君の中にある 

最後まで読んでくれてありがとう。それとも「まえがき」と「著者の略歴」を見たあとに、すぐ「あとがき」を読んでいるのかな。どちらでも大丈夫だよ。
私が「あとがき」を書いている2025年2月現在、命を縮めるような大きな病気にはかかっていません。日本人の平均寿命は2023年で男性が81.09歳、女性が87.14歳だそうです。あと30年近く寿命がある計算になりますが、これはあくまで平均値。50代60代で命を落とすことはあり得るし、逆に100歳くらいまで長生きしてしまうかもしれません。
人はいつか必ず死にますが、いつ死ぬのか分からない。私には君に残せるほどの地位も財産もないけれど、これまでの人生を支えてくれた学びや工夫は書き残しておこうと考えました。

そして、生きていくための学びや工夫を書いてきましたが、生きる目的やテーマについてはほとんど書いていません。
君が生きる目的やテーマは、君の中にあるからです。親といえども教えたり押しつけたりできる性質のものではありません。自ら気づいたり見つけたりして、生涯をかけて向き合うものなのです。

文章は言葉の連なりに過ぎません。人間の知性には言語知と身体知があります。たとえばセールスの技術のうち、言語知が占める割合は半分くらいでしょうか。残り半分は実践を重ねて身体に覚えさせるものです。

思いつくままに書いてきましたが、1つ2つでも、君が生きていくのに役立つ内容があるといいな。また、若いうちに読んだことは、その時に理解できなくても、30歳や40歳を過ぎて実感と共に理解できることもあります。

君がこの文章を読んでくれた時、私がまだ生きていたら(そして受け答えできる状態だったら)、遠慮なく質問してください。お答えさせていただきます。

いつか私がいなくなっても、君がたくましく楽しく生きていけますように。


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