なんかずれてる
大きくなるにつれて気づいてきたことやけど、なんかずれてる。自分おかしい。何がおかしいんやーってずっと思ってたけどやっと気づいたから残しとく。
自分がずれてる最大の要因は、自分がどーでもいいって思うことに対して大体の人はどうでも良くなくて、自分がどうでも良くないと思うことに対して大体の人はどーでもいいって思うことにある。
例えば、誰かが自分の悪口を言ってたのを知ってしまったとして、私はどーでもいいって思うけど、みんなはどうでも良くないって思う。また、頑張って勉強して進学校行ったんやしいい大学目指した方がいいよ!勿体無いから!っていわれても私にとったらそんなことどーでもいい。でもみんなはどうでも良くない。
逆の例えをいうと、お店で袋入りますか?って聞かれたとして、いらないです。って答えた人をみると、大丈夫です、の方が優しく聞こえるのになって思う。でもみんなはたぶんそんなことどーでもいいし、なんなら袋入りますか?って聞いた店員さんからしてもどーでもいいこと。また、バタバタと忙しい時、これしといてほしいです!って言ってる人みると、これしといていただけますか?って言ったら優しいのになって思う。でもみんなはどーでもいい。
こんな感じのズレを毎分毎秒感じながらいると、ほんまに自分っておかしいんやな、ずれてるんやな、ってつくづく思ってやるせなくなる。
更に、この人ズレてるって思ったとしても、自分はそんなことどーでもいいけど、大体の人がズレてる人がいることをどーでもいいと思わない。そこに対して熟考するし、たまに攻撃もする。心底理解ができない。いっつもなんでそんなに他人に興味あるんやろう?と思ってたけど興味を向ける部分が違うんやろうな。自分は、最低限1秒でも関わることのある人に対して、誰も不快な思いがしないように小さな言葉遣いや行動にいちいち気をつける。それは好かれたい、とかそんな興味に関することじゃなくて、まんべんなく、できる限り多くの人が穏やかな気持ちで平和に傷つかず、イライラせず過ごせたらいいな、と漠然と思うから。その、他人への小さな思いやりの心は持っているつもりでおるけど、だからと言って興味があるかと言われたら一切ない。だから小さな思いやりを持って関わった相手に嫌なことをされても一切気にならない。興味がないから。ただ、みんなそうやって小さな思いやりを持てば全員幸せやのになーとか思いつつ、嫌なことされて癇癪を起こす人とかをみると、なんでそんなに癇癪起こすほどその人に興味あるんやろって思し、嫌なことする人に対しても、嫌なことをするという嫌な労力を他人に向ける原動力はどこにあるんやろって心底思う。 なんかこう言ってると自分が心底嫌なやつというか、他人を見下してるみたいに見える。でもそうでもない。見下すとか見上げるとかいうほども興味がない。大切なのは友達だけ。それだけ。少し大切な人ももちろんおる。それは友達だとか年齢性別関係のないたくさんの存在。
そのだけ完璧に大切にしてるから、友達に嫌なことをされたらなんでそんなことをするきになったのか気になるし、自分がなにをしたせいでそうなったのかを教えてほしいし、全力で謝って改善する。そのくらいには、大切な人たちへの関心はある。それ以外はどーでもよくないか?そんなことないんやろうなー。なんか。わからん。
ズレてる人達を客観的に見て、ただ、へーーとだけ思えるものってある。今泉力哉監督の映画とか特にそう思う。ほんまに社会の全てがあんな世界やったらどれだけ平和かと思う。ありそうでない、ファンタジーにみえる。もしあれが今泉力哉監督の周りで起こってる環境なんだとしたらただひたすらに羨ましいな。現実的に考えればあんな平和な世界はなかなか難しくてファンタジーに見えるはずなのに、なんだか世界のどこかで起こってる小さな小さな誰かの日常の瞬間にも見えて、救われる。
さよならポエジーの音楽もそう。今泉力哉監督の映画よりもうだいぶ現実的か。でも活力がある。暗さの中に尖りがある。大好きな歌詞で、「悲しいだけで味気の無い車中泊に1人 月の瞬きを数えるだけの生活はもう金輪際だ」ってあって、心底暗い表現にも美しさがあって、最後に、そんな生活は金輪際だっていう尖りがある。救われる。今泉力哉監督の映画が私の中でぷかぷかしたポジティブやとしたら、さよならポエジーは地に足がついてる。全部勝手に私にとって。もちろん今泉力哉監督の映画が地に足ついた自分に思うひともいる。でも私はもっと現実っぽい人間やからそう。どちらも自分の違う部分に心底響き渡る。今泉力哉監督の映画はちょっと背伸びした自分。さよならポエジーの音楽は等身大の自分。「俺は薄情な暮らしの中の凡人さ」って歌詞もああ、めっちゃ現実の中に生きる自分やなって思う。自分は地元関西やし地元大好きやし、さよならポエジーも関西やけど、いや、だからかもやけど、さよならポエジーは東京みたいな現実で踏ん張るための音楽としてそばにあるんよなー。
なんかずれてるってことを端的に残したかっただけやのについつい好きなもの達についてまで書いてしまった。こうゆうところもずれてんかな。まあいいか。ずれてる自分を肯定してくれる人と見守ってくれる人と自分のことを大切に、小さくてもいいからつくればいいか。