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ファッションは対話だ~映画「ディオールと私」を観て~
私は舞台裏に弱い。
ちょっとのぞき見趣味なのかもしれない。
そもそもカウンセラーや心理師などというものは言ってみれば、人の心をのぞき見する職業の最たるものだと思う(笑)
まあ、それはともかく、ショーや舞台、イベントができるまでなど、舞台裏を見るのは、ものすごく好きで、そういったドキュメンタリーや映画などを見るのも、大好きである。
特に好きなのは、ファッション関連。ファッションショーができるまでとか、モデル業界の裏側とか、自分に全く縁がないのだけれど、すごく興味がある。
というわけで、「ディオールと私」もすぐ飛びついた。
ディオールと私 : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)
![](https://assets.st-note.com/img/1674377066049-ku3m3zJ2IL.png?width=1200)
ディオールと私は2012年に新しくディオールのデザイナーになった、ラフ・シモンズという若手デザイナーの最初のショーができるまでを追っている。
ディオールのショーというのはオートクチュール、一着ずつ手作りをして作られた洋服のショーだが、ラフはこれまでオートクチュールの経験がない中でそれに挑戦する。
伝統あるディオールのブランドという重圧の中での、彼とディオールというブランドの初体験を追った映画なのだ。
タイトルにした
「ファッションは対話だ」というのは映画の中で、ラフがスタッフと対話を重ねながら、デザインを作り上げていく過程を説明するのに出てくる言葉である。
その過程はお互いを尊重しつつ、新しいものを生み出していく楽しさに満ちていて、観ていて、ドキドキするほどうれしくなる。
だが、映画の中の対話はそれだけではない。
実はこの映画が対話そのものからできている。
映画の中ではディオールの記録映像が挿入され、クリスチャンディオール本人の自伝が引用される。
タイトルの「ディオールと私」はブランドの創始者と現代の後継者ラフを指すものでもある。ラフは作品をつくりながら、創始者ディオールと対話をしていく。
またディオールという言葉は、オートクチュールの真髄でもある、100人以上いるお針子たちを指す言葉でもある。
魔法の指を持つ彼らを始めとしたスタッフと、ラフの対話でもあり、オートクチュールとプレタポルテの対話でもあるのだ。
映画はまさに、お互いに未知の存在同士が言葉だけでない対話を通して、互いを理解し、一つのものを作りあげていく様が描かれる。
また随所に挟まれる昔のディオールのドレスは見事なまでに美しく、圧倒的な力を放つ。
そして対話の結果生まれた、ラフの新しいディオールもまた、職人芸の詰まった、芸術品である。
オートクチュールのショーではデザイナーが最後に出てくるのが通例だが、かたくなに拒んでいたラフが最終的には出ていくところがクライマックスとなる。
これもまた、対話をする中でそれぞれが、折り合いをつけた結果なのだ。
美しさと好奇心から観た映画だったけれど、思いもかけず、対話の集大成のような映画だった。
カルチャーとカルチャーのぶつかり合いの結果として、目を見張る美しい作品が生まれていく。
日本人はなかなかこういったことが苦手な気がするが、ファッションの世界やアートの世界はもう、文化の混合は当たり前で、いかにいいものを作るかという視点で動いているせいか、やりやすいのかもしれない。
いずれにしても、ファッションに興味がある人はもちろんのこと、対話を勉強してる人にも、美しいものを観たい人にも、ふぜひおすすめしたい映画である。