![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150450879/rectangle_large_type_2_f8e94decfe9187a7eba4665ed506c239.png?width=1200)
4年遅れの出産祝い
連休前に帰省をして、施設にいる母との面会や、それがらみの用事をすませると同時に、恒例のお墓参りをしてきた。
実家のお墓参りはなぜかちょっと早くて毎年10日。
それに合わせて、少しお盆より早めに帰省することにしている。
実家は隣にあるお店のご夫婦がこまめに風をいれてくれたり、時々仏壇にお花を飾ったりもしてくれる。
この隣家とは、数十年来の付き合いで、親戚よりよほどお世話になっている関係だ。
我が家より10歳ぐらいずつずれた感じで、お隣のご夫婦には男の子3人 我が家は両親と祖母、兄と私の5人。
私は記憶がないのだけれど、早くになくなった隣のおじさんを「とうちゃん」と呼んでいたらしい。ちなみに父のことは「おとうさん」である。
小学生の時は隣のお店に入りびたり、面倒をみてもらっていた。
そのうち、3人兄弟の長男にお嫁さんが来た。今ものすごくお世話になっているのはこのご夫婦である。
ご夫婦の間には3人の女の子が生まれ、お店が忙しかったので、今度は三姉妹が我が家ですごしていた。
私と12歳違いの長女に始まり、二女、三女と学校から帰るとまだ小さい赤ちゃんがざぶとんで寝ていたり、おもちゃで遊んでいたり、当時我が家にはお子様グッズが大量にあった。
私が子供がいないのに、子守が得意なのは、このあたりが影響している。
私は18で家を出て、上京し、10年以上後には三姉妹も家を出たのだけれど、それぞれ帰ってきたら、隣の家に挨拶に行く、そんな関係だった。
「とうちゃん」と呼んだ人の奥さんは「かあちゃん」ではなく「おばちゃん」と呼んでいたが、2011年の震災が来る前に亡くなったけれど、葬儀には日帰りで慌ててかけつけたものだ。
長女のこどものうち、3番目はこの直後に生まれている。その子ももう中学生になった。
二女は独身で仕事をがんばっている。
三女はバツイチの男性と結婚。両親は心配したらしいが、とてもしあわせそうで、子供にも恵まれた。
その子が生まれたのがちょうどコロナにあたっており、当初、実家に帰省すると言っていたのができなくなって、その際に準備した我が家のお祝はそのうち会えたらとしまってあったが、その後会う機会もなく時が過ぎていた。
三姉妹も帰省しているのだけれど、わたしとは時期がずれていたり、同じ日だけれど午前にこちらが東京に戻り、向こうが午後に実家に到着したりと、三女だけでなく、なかなか皆に会えぬまま、様子だけは奥さんに聴くという日々を過ごしていたのだ。
ところが、今回ようやっと、私が久しぶりにちょっと長めに滞在し、そのうちの最終日が隣の家の法事と重なったため、なんとかスケジュールがかみあって、久しぶりに会えるかもとなった。
ただし、最終日の昼前にこちらは家を出てしまい、最終日の昼はあちらは法事のため、果たして会えるのかな~と思ったので、件のお祝いは事情を言って奥さんに渡しておいた。
結果的には、最初に三女、夜わざわざ8時過ぎに長女、そして翌日の朝二女が立ち寄ってくれて、全員と会うことができた。
コロナの前からなので、数年ぶりだが、いったいいつが最後か思い出せないぐらいである。
みんな変わりないねとお互いに言い合いながら、以前は存在していなかった三女の娘(ママそっくり)とご挨拶。
まったくものおじしない子で、初対面で私とハイタッチし、さくさくと靴をぬいで、2階にあがりたいと訴える。
危ないよと言ったが、大丈夫といいはるので、落ちないように後ろにつきながら階段を登っていくと満面の笑みでご満悦だった。
長女の娘も3人いて、我が家で遊んだことがあり、そもそも三姉妹がいたときのことなど思い出し、母に合わせたらどんなに喜んだろうと思う。
奥さんが時々施設にいる母に会いに行ってくれるのだが、先日の面会の際に、三女の娘の七五三の写真をもらい、とても喜んでいた。
4年越しになったお祝いの表書きは母自身が書いたもので、それを話したら、みんなちょっとしんとなった。
あの時はまだ、なんだかんだと言いながら、元気だったと思う。
今の母は字を書くのは難しい状況になってしまった。
今回はもちろん、会えたらいいなと思っていたのだけれど、自分以上に、三姉妹が会いたいと思ってくれて、時間を割いてくれていたのに驚いた。
三つ子の魂ではないが、やはり、小さいころを一緒に過ごしたというのは大きいのかもしれない。
長女が小学生になるときに家を出たので、いろいろな具体的な相談などを受けたわけではないのだけれど、ちょっと離れた距離で、故郷の思い出と結びついているそんな感じなのかもしれない。
なんにせよ、4年越しのお祝いが渡せて、すっきりした私なのであった。