観察の基礎知識②「溶け込み」
フィールドワークをするときの重要な論点に、「観察者自身の存在をどうするか?」があります。フィールドワークの最大の目的は、観察対象のありのままを事実として(まず解釈を差し挟まずに)観るというところがあり、そう考えると「観察者自身の存在」は、ありのままの状態を変えてしまうわけです。インタビューの限界はそこにあって、「インタビュアーという存在が、そもそもありのままの状態じゃないじゃん」というわけです。ただ、無にすればいいってものではなくて、段階があると言われておりまして、
存在感レベル1:溶け込み
周囲の人々と同じように振る舞い、なりきる。
「違和感の発生源」になるべくならないようにする。
気分はエキストラさん。
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存在感レベル2:参与観察
そこでの活動に参加する。
例えば喫茶店でのフィールドワークなら「コーヒーを注文してみる」みたいなこと。
でもまだ「個別の人間」として識別されたり意識されるレベルではない。
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存在感レベル3:取材、インタビュー
明らかに個体として存在しているし、その場での普段の営みから
対象を逸脱させにいく行為。
という感じかなあ、と自分は整理していて。ついついいきなり「レベル3」から入りたがる人が多いんですが、もうその時点で「普段の営み」のモードじゃないんですよね。それに一度レベル3にギアを入れてしまうと、レベルはもう下げられなくなってしまう。なので、「自分という観察者の存在」を自覚的にコントロールしていけるかどうか、って結構大事だったりします。
ついつい自分の存在や、それが周りの人間の振る舞いに影響してしまうことを忘れがちなので、このことについて考えると人っていかに、世の中において純粋に一人で存在しえないんだなあ、なんて考えます。