家族とは幻
母が亡くなって三回忌も済んだ。でもまだ言葉では表現できない気持ちに押しつぶされそうになる。
まるで「じゃあね」と手をふってどこかに行くように、すっとあっさりといなくなってしまった。
悲しい、寂しい、会いたい、というよりも
心細さというか、子供のころ迷子になった時に似た不安感。
取り残されたような孤独感。
置いてきぼりにされた怒り。
そんな気持ちがミックスして
突然、虚無感が襲ってくる。
いや、実際は「すっ」といなくなったわけではない。数か月の闘病生活を一緒にすごした。ずっとそばにいられた。でも最後を待つだけの溺れる人を救えずにただただ見ているだけの日々はあまりにも残酷だ。母は一体何を考えて過ごしていたのだろう。
父が亡くなった時、私はまだ若く自分の未来が明るく、これほど落ち込まず、深くも考えずにただ前に進んでいた。
でも、父も母も亡くなってしまった今、家族とはいったい何だったんだろうと考える。神様が与えてくれたチーム。
そのチームで笑ったり、協力しながら、時をともにし、
そしていつかはみんなそれぞればらばらになって何もなくなる。誰も参る人のいない墓はいつか無縁仏とされるのだろう。
一緒にテーブルを囲んで食事をした日々は何だったんだろう。旅行や楽しい思い出の写真も誰も見ない。そのうち、後継ぎがいない我が家はこんな家族がいたという事さえいつか忘れられてしまうのだろう。
子供のいない義叔母が亡くなった時、義姉はさっさと家や
家財を売却した。空っぽになった義叔母の家を見たとき、
凄く不思議な気持ちだった。
この家では何十年も義叔母夫婦が住み、そこに家族や友人が
集まって食事や、パーティをしたことなど忘れて、この家は新しい家族を迎えるのだ。私に引っ越しの経験があればそんなことを考えないのかもしれない。
実姉は実家を我々の帰国時の家として残してくれるという。
母のいない実家で過ごすのは思った以上に辛いものだ。
誰も見送ってくれない実家から鍵を閉めて帰米する時いつも涙が出てしまう。
姉や夫ともあとどのくらい一緒にいられるのだろう。
それを考えると人生は儚い、そして、今、周りにいてくれる人々をとても愛おしく思う。家族や友人を大切にしたい。
すべては幻。