ついに80年の時を超えて「故郷」済州島へ。~私の人生初済州島日記1日目~
2022年7月末、人生で初めて済州島へ行きました。
済州島は私にとって特別な場所であり、すごく大切な場所です。
それは、曽祖父母が生まれ育った場所であり、私にとってもうひとつの「故郷」だから。
曽祖父母は1940年代前半に済州島から大阪へ渡ってきたとみられています。
曽祖父母が済州島に居たのはもう80年以上も前の話です。
正直、もう済州島に親戚なんていないだろう…。当然のごとくそう思っていました。
しかし、自身のルーツを辿っているうちに、なんと曽祖父母の兄弟たちは日本に渡らず済州に残っており、その子孫たちが今も済州島で暮らしているという衝撃の事実が判明しました。
済州島に住む、顔も知らない、会ったこともない親戚についての情報収集、そしてコンタクトを取ることから始まり…
ついについに曽祖父母が生まれ育った済州島の地を訪れ、その親族たちに会う日がやってきたのです。
前日はワクワクとドキドキであまり寝れませんでした。
私の人生初めての済州島。
その記録をここに残したいと思います。
*最初に言っておくと今回の済州島日記シリーズはかなり長いです(日毎に分けたのにめっちゃ長くなって本人もびっくりしています)。もはや私の日記帳です😌ただ、済州島のおすすめスポット等も写真と一緒に沢山盛り込んでおりますので最後まで楽しく読んでいただけたら幸いです😌
*悩んだのですが、後半部分、プライバシーを考慮して有料noteにさせていただきました。興味のある方にだけ読んでもらえたらと思います。いただいたお金でまたハルマンに会いに行かせていただきます。理想は月に1回、おばあちゃんに会いに行くのと同じような感覚で済州島に帰ることです🥲
<Day1>
ついに「故郷」済州島へ
朝の4:00。
本当は4:30に起きようと思っていたのですが、うまく眠れなくてふと4:00に目が覚めました。
私にとっては記念日になるであろう今日という日。
可愛い服を着て、丁寧にメイクをして。
朝早くの飛行機を予約したため、家を出たのは6:00前。
「ついにこの日が来た」
そんな気持ちでキャリーバッグを握り締め家を出ました。
約半年ぶり、韓国に来た時ぶりに空港へ。
国内線なのになんとなく海外に行くようなそんなワクワク感があって。
飛行機の中では、周りの人はみんな寝ている中、私はワクワクでいっぱいで、どの瞬間も見逃したくないということもありずっと起きていました。
ソウルから済州島まではたったの50分。
チケットも、通常時には5,000円くらいで行けるらしい(私は夏休み期間だったので片道1万円近くした)。
ワクワクソワソワしているうちに、機内の窓から済州島が見えてきました。
第一印象は、正直なところ
「?!?!え?すごい!!ビルが全然ない!!すごい!!緑だらけだあ〜!!!え、てか済州島めっちゃでかいな?!もっと小さなこじんまりした島かと思ってた!」(20年間大阪育ち)
だったのですが、しばらく眺めているうちに
「私の大好きなひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんはこの島から来たんだ。この海を渡ってきたんだ。なんだか感慨深いなあ。」
と感動してきて少しウルっときました。
あっという間に到着。
さあ、いよいよ私の人生初の済州島訪問が始まります🌴
予定が大狂い…!とりあえず이호태우(イホテウ)に行ってみようか🐎
済州島のハルマンから
「とりあえず到着したら電話ちょうだい〜!当日にならないと何もわかんないから、そのタイミングで会えそうならその日会うことにしよう〜!」(済州島のゆるゆる自由マインド)(好き)
と言われていたのですが…
なんと空港について電話をしてもハルマンが電話に出ない…😅
ということで予定が大狂い(笑)
しかも…なんと、この時トラブルで1名が飛行機に乗れず…!
1人ソウルに置いてきぼりになっていた状態で、現場はてんやわんやでした😅
ま、これこそが旅行の醍醐味だよねえとか言ったりしてましたが(笑)
どうしようか…となっていましたが、とりあえずどうしようもないな、済州島らしいことするか!!海行くか!!(全員鬼のポジティブ)ということで이호태우(イホテウ)へ行くことに💐
イホテウはこちらに見える馬の形の灯台が有名な場所!
空港からも車で10〜15分くらいで到着します✈️
済州島で初めて(近くで)見た海。
海ってこんなにも透明になることができるんだというほど透き通っていてそれはそれはとても衝撃を受けました…!(大阪ではこんな綺麗な海、まあ見れません😅)
自然を見て、こんなにも癒されている、感動していると感じたのはいつぶりのことでしょうか。
いや、なんなら人生で初めてかもしれません。
同じ景色なのにずっと「うわぁ🥹🤍」と海を見つめる私を見て、若干オンニオッパたちはひいていました(笑)
そのくらい美しさに感動したんです…!
海に感動した後は…あれ、私たち朝早くに来たから朝ごはんも食べれてない…お腹…空いたね?!ということでお昼ご飯を食べに✨
済州島1食目、何を食べたかと言うと…
@513텐동
天丼です😌
いや日本食かい!って思ったでしょう?私も思いましたよ(笑)
だけど、ソウルと違って流石は済州島。
海鮮がほんっとうに美味しい🥹
同じ天丼なのにとても美味しくて感動しました。
しかも可愛いわんちゃんまでいました…!
ご馳走様でした😌
というタイミングでソウルに取り残されていた1人が無事に済州島に着いたとの連絡が…!
急いで空港にピックアップしに行きます🛻
良かった〜😌
で、とりあえず今日はどうしようかと車内で作戦会議していたところにハルマンから電話が…!
「今どこにおるの?夕方会いにおいでよ〜!」
と…!
ということで私の本籍地がある서귀포시(西帰浦市)の方へ🚙(スケジュールガン無視です)
夕方まで何しよう?元々気になっていたみかん博物館へ🍊
済州島といえばみかんがとってもとっても有名な場所で、実際島民の家にはみかんの木がかなりの確率で植えられているほどなのですが、そのみかん、実は日本から来たものだそうです。
そんな歴史について学ぶことができると書いてあったので行ってみたのですが…!
展示の中心は本当にみかん好きのみかん好きによるみかん好きのためのみかんの解説といった感じでして、在日に関する展示はほんっとにちょこっとでした🥹🍊
しかし、みかんスイーツを楽しめるカフェもありましたし
体験館なるものがあって、みかんの足湯も体験することができました♨️
韓国に住んでいると普段足でさえも浴槽に浸かる機会がないのでとても気持ちよかったです🤭
ということで、さあ!いよいよハルマンに会いに行く時が来た!
足湯でリラックスし、いよいよハルマンに会いに行く時が来ました…!
電話でとあるお店(済州島名物黒豚のお店)に来るよう言われたので、そこに向かいます。
行く道で念のためコロナの簡易検査をしました。
陰性…!良かった😌(全員陰性でした)
ついにお店につきました…!!
緊張とワクワクと…。
お店に着くと優しそうなおばちゃんが…!そう、ハルマンが迎えてくれました!!
私を見るや否や
「マスク外してみんさい、うん、うちの長女によう似とるわ〜☺️」
とひと言。
私はというと、初めて会う方だったのに、どこかで会ったことがあるような、直接血の繋がりはない方なのにどこか「親戚なんだ」と感じるようなそんな不思議な気持ちでした。
とりあえず、ごはん食べていきなと言われ…そのお店がハルマンがお仕事をされているお店だということを知ります(笑)
じゃじゃーん!!済州島名物黒豚(흑돼지)です🥓
とってもジューシーで脂もしっかり乗っているのに、重くなくてすごく美味しかったです😭✨
ハルマンはというと働いている最中だったようで、仕事をしながらも時々私たちのテーブルに来てはにこにこと私たちが食べている様子を確認し、世間話をしてくれました😌
途中で日本から持ってきたお土産をお渡ししたところ、すごく喜んでくださって私まで嬉しくなりました🥹
しかし、私たちは食べているし、なによりもハルマンは働いているし…ということでここではあまりお話ができず😅
残念だなぁ…と思いながら食事を終え、お店を出たところ…
「22:00くらいに仕事が終わるから、そのあとうちにおいでよ」
とお誘いをいただきました…!
22:00以降にお家にお邪魔するなんてありなのか…?!と思いましたが…これもきっと済州島ゆるゆる自由マインド(知らんけど)…!
お言葉に甘えてまた夜にハルマンのお家でお会いすることにしました。
ハルマンのお家へ🍹
少し宿泊先で休んで、お仕事が終わったというハルマンの家に向かいます。
韓国では目上の方のお家に行くときにはジュースセットを買うのが定番だそうです🥤(オンニ、オッパたちが教えてくれた)
ジュースセットと言われて、日本育ちの私はお歳暮のセット(あの百貨店とかでよく見るやつ)みたいな感じなのかな…?と思っていたのですが、なんとマートやコンビニで普通に売っている普通のジュースセットを渡すそう…!
韓国では基本的に儒教的な文化や社会的・経済的背景があることが影響していると思うのですが、基本的にはお金を持っている歳上が奢ることが基本です。
ということもあり、韓国社会では「若者が目上の人のために少しでも気持ち程度でもお金を使った」という事実が重要らしく、ジュースセットを渡すことが一般的だそうです…!
意外なところで新しい韓国文化を知りました😌
という感じで行く途中でジュースセットを購入し、ハルマンのお家へ。
ハルマンは私の本籍地(昔の家)にはもう住んでおらず、今は本籍地の近くの別のお家で子ども(私の父母世代)と一緒に住んでいるそうです。
大きな綺麗なお家で、入るやいなや段ボールいっぱいのみかんが目に入ってきました(笑)(この後たくさんいただきました)
「ようやく遠い親戚とゆっくりじっくり話をする瞬間が来た」
少しドキドキしてきました。
ハルマンから初めて聞いた衝撃的な話たち
なんせこうして日本(大阪)と済州島の親戚が繋がりを持つのは80年振りのことです。
何から話そうか…。いや、何から話せばいいのだろうか…。
そんなことを考えていたら、ハルマンが
「まず気になるんだけど、どうして手紙を送ろうと思ったの?どうして済州島まで来ようと思ったの?」
と話を切り出してくれました。
私は、(一応手紙にも簡単に書いたのですが)アイデンティティについて葛藤していく中で前々から自分のルーツが気になっていたこと、自分のルーツを辿ってみたかったことを話しました。
とりあえず私たちはかなり遠い親戚なので、除籍謄本を元に作った簡単な家系図を見せながら私たちの関係、曽祖父について説明をします。
「もしかして曽祖父について知っていらっしゃったりしますか…?」
と聞いてみたところ、なんとよく知っているとの回答が…!
ハルマンは私と直接血のつながりがある人ではなく、私の曽祖父の弟の息子のパートナーの方です。(遠い)
なのになぜそんな遠い親戚のことまで知っているのか。
それはシオモニたち(旦那さんの家族=つまり私と血のつながりのある親族たち)から亡くなる前に今まであった話を全て聞いていたからだそうです。
そこからは、シオモニたちが話してくれたこの家にあった全ての話をハルマンが私にひとつひとつ話してくださりました。
そこで衝撃的な話を聞かされます。
在日コリアンとして感じた罪悪感
ハルマンはこれまで大変苦労して生きてきたそうです。
今も朝は海女として海に潜り、夜になれば飲食店でパートをしているんだとか。
というのも、ハルマンの旦那さんは、実は40代という若い歳で亡くなられています。そのことは除籍謄本にも記載されているため知っていました。
その旦那さんについて、ハルマンが教えてくれました。
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