
#27 ひとりより仲間といた方が自分らしくいられる。
知っている人しか知らないHappy First(https://happyfirst.co.jp/)のコミュニティ運営のお手伝いをしているものです。
Happy Firstはサッカー監督の石原孝尚さんが始めたオンラインスクールです。石原孝尚監督についてはこちら。
ひとりより仲間といた方が自分らしくいられる。
みんな、「自分らしくいよう」とすると一人になろうとする。
でも、僕は「仲間」がいるから自分らしくいられると思うんですよね。
と、いう石原さんの話を聞いた頃の私は、
それはそれは、誰とも深い話したくなくて、
誰にも私の心に触れてほしくないと思っていて、
笑顔を作ってその場を一生懸命やり過ごして、
誰も心の中に近づけないように、
本当に必死だったように思います。
今だから言えますが、
ほとんどの人が、ことが、
キライでした。
家でひとり、布団に入れる時が一番幸せでした。
布団に入るとじんわり涙が出てくる。。。
そんな毎日を何年過ごしただろうな〜、
と。。。振り返ると、もう20年近く、
そんな感じで、心が軽くなる日なんて
来ないんじゃないかと思っていた。
とにかく、どうしてこんなに、、、
と思うぐらい、大きくて辛い出来事が多かった私は
本当に話したいことを人に話すと
だいたい引かれる、というか、
分かってもらえないことの方が多くて。
心の中に、いつも重たい大きなアプリが
ずっと起動しているのに、
こなさないといけないタスクを、
CPUをめいっぱい使ってやっていた。
毎日、ほんと、そんな感じでした。
RADWINPSの棒人間という歌の歌詞を
聴いた時に、これは私のことだと思って
自然と涙が溢れていたなぁ。。。
僕は人間じゃないんです。
本当にごめんなさい。
そっくりにできてるようで、
よく間違われるのです。
不思議なもので、Happy Firstに関わって、
いろんなことがあったのだけど、
それでも、そんなに疲れなくなったのは確かで。
誰かといることが、苦痛でなくなってきている。
まだまだ、ひとりの方がラクで、
ひとりでいたいと思うことの方が多いのですが
それでも、少なくとも、
人といることが、「キライなこと」では
なくなっていて。
誰かといて、居心地がよいな、とか、
楽しいな、と感じられることも
時々出てきて。
あの私が、と思うと、、、、
それは、本当に、すごいことだと思う。
どうしてそうなったのか、
いつか、自分の人生をひとつひとつ、
言葉にできたらいいなぁ。
まだまだ、思い出すと涙が止まらないことも、
いつか、いつか、私のような思いを、
誰かがしないように・・・。
自分にとって大きなことや、辛い出来事を
言葉にするって、そんなに簡単ではなくて。。。
いつか、できるのだろうか。。。。
ここからまた、頑張らないといけない、
というか、どうしてもやらないといけないことがあって。
それは、また何かに向かっていくもので、
傷つくこともある道である。分かっている。
でも、そこに行くと決めたので、行くのである。
迷いながら、行きつ戻りつ、もう、行くのである。
誰がなんと言おうと、もう、行くのである。
それはもう、私の道なのである。
不思議なもので、Happy Firstを通して、
居心地の良さを感じてから、
今、また、孤独が怖くない。
仲間といるのも、キライじゃない。
こういう感覚は、私の人生において、初めてである。
「仲間」を通して知る自分らしさとは、
比較することで気づけるというか、
そういう類のものかと思っていた。
石原監督のいうこの言葉の本質は、
「比較」ではなく「リスペクト」だろう。
この記事を書いていて、そう感じた。
2024年年末。
こうして、少し、気持ちが書けたことに感謝です。
来年は、このnoteに、文字起こしだけでなく。
少しずつ、気持ちや、私がHappy Firstに出会ってからの物語も
書けるといいなと思う。
でも、それには痛みがきっと伴うので、いつも気が進まない。
ただ、本当の夢というのは、自分と同じ痛みを抱える人を救うことで自分も救うことなのだと知った。
少しでも。
ひとりでも。
同じ痛みを感じる人が、ひとりではないと思えるといい。
その時に、その人も私も、救われるのだろう。
そのために、苦しいことがたくさんあったんだろう。
痛みを、笑顔に変えられる人になりたいなぁ。
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※Happy Firstは、なでしこリーグ史上初の四冠監督であるサッカー監督石原孝尚が主宰するオンラインコミュニティです。
▶︎石原孝尚著「足りなくてありがとう」
▶︎Happy First及び石原孝尚の公式HP
Happy First note担当 Nonoyama
2019年11月ぐらいからHappy First School の前身の石原塾に参加。
中学生で、父の人生をかけた選挙を経験。軽く人間不信になる。
23歳生死をさまよう交通事故、顔面8箇所折り、右鼻をなくし歯を2本折る。
その後、大手広告会社にて営業職となる。
与えられた目標は常に達成し月間、四半期、通期など何かしらMVPを毎年受賞。5年ほど勤めた後、息子の発達障害を機に退職。医療系の資格をとり、医療業界へ。田舎の病院で、たくさんのお年寄りを看取る。
現在、Happy First の運営をできる時にボランティアでお手伝いしながら、バスケのコーチ、発達障害のお子さんの相談、地方議員などを務める。
「人生とは命が尽きるのを耐えて待つもの」だと思ってやり過ごすように生きてきたが、Happy Firstに出逢って幸せになることを願いながら生きていこうと思うようになってきた。
趣味:バスケ、歌うこと、絵を描くこと、非言語的なこと全般と、焚き火や、園芸、土いじりや、植物観察。最近はつる植物の収集にはまっている。(水分の多いつるが好き)