vol.2 学校に行けなくなった中学生とイブラヒムのこと
この時の事を思い出すと、涙が出てくるnote担当の野々山です。
イブラヒムの持っているアルバムを作るまでの物語・・・
1年経ってようやく少しまとめてみようと思えました。
何のことやらわからない皆さん!(そんな皆さんばかりですよね(笑))
イブラヒムプロジェクトの概要は、こちらの加納さんの記事をご覧ください。
そうそう、加納さんは最近、東京新聞さんの取材も受けていました。
今日は、その裏で動いていて…
これまであまり経緯はご紹介してこなかった、イブラヒムが持っているアルバムの話です。
2020年10月30日 HappyFirstでのイブラヒム講演会
HappyFirst内でイブラヒムの講演会が行われたのは、
2020年10月30日。
この記録を見ると、この時点で28名の参加者がいたようです。
そして、私はこの時、中学校2年生の長男を誘っていたようです。
そうして、講演会は大盛況で・・・
イブラヒムの話、素晴らしい通訳さんのお話・・・
どれも、平和な日本では想像もできない話。
そして何より、イブラヒムがとっても喜んで話してくれているのが伝わってきました。
この時、中学校2年生だった彼(息子)は、夏休みの少し前から学校に行かなくなっていました。
学習障害を抱えて生きていて、これまでも色んなことがあったので、学校に行かなくなる日もどこかで覚悟はしていました。ただ、本当に、朝、ポロポロ涙を流しながら行けなくなる姿を見ると、「行きなさい」とは言えませんでしたが、どうしていいかもよくわかりませんでした。
今思えば、私たち親子はこの時結構、いっぱいいっぱいだったように思います。学校は休んでも、サッカーの練習には行けていたことが救いだったようにも思います。
そんな息子を誘ってみたものの、本当に講演会に出るなんて思ってもみませんでした。
この時はまだ、誰も彼の名前も知らなくて。
石原監督も「やすつぐ」(本当はさくなり)と、全然違う名前で呼ばれていました(笑)
それでも、良かった。
学校では聞けない話を、聞かせてあげたい。
ただただ、それだけでした。
イブラヒムを応援するグループができた
この講演会の後、2020年の年末だったかと思います。イブラヒムを応援するグループが立ち上がりました。その時、石原監督からこんなメッセージを頂いたのでした。
能力が高いだなんて、思ったこともない母でした。。。
文字を覚えられない、上手に書けない、学校社会でディスレクシアの子は本当に生きづらくて。小学生の頃から、「できないならできるまで繰り返しやればいい」そんな先生の対応にも、傷ついてきていました。
息子も、私も、もう戦う元気もなくなって。
私が左手で漢字練習帳を書いて、宿題を代わりにやって持たせていました。
彼は私にとって、守ってあげないといけない存在でした。
「能力が高い」
あの子のことをそんな風に、言ってもらったのは初めてでした。
イブラヒムを応援するグループが出来た時・・・・
この子がメンバーに入るなんて、思ってもみませんでした。
・・・・続く
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