学校に戻る
生まれ変わった記念に、文章を書くことにした。
と書くと、何やら急に、スピリチュアル臭が漂う気がするが、気にしない。
なぜなら生まれ変わったからだ。
小さなお店をやっているので、これまでも、ブログやインスタで、お店の宣伝のために色んなことを書いてきた。
けれど、全然関係ないことも書いてきた。
そしてその記事のほうが反響があった。
今だから言えるのは、私は何か書くこと、アウトプットすることがどうやら好きなのに、言い訳がないと書けない程に自意識過剰だった。いや、今もだ。
お店の宣伝で仕方なく書いてるんだよねぇ〜、本当は恥ずかしいんだよねぇ〜、と誰に言うわけでもなく、自分自身に言いながら書いていた。滑稽。
そう、今だから滑稽とわかるんだけど、少し前まで必死だった。それこそ滑稽なほどに。
何に必死だったのかと言うと、おそらく、本当の自分を隠すこと、正確に言うと、隠しつつ、少しは見せることに。
なんて高等な芸当!
だから疲れていた。
日々、高等な芸当をしながら生きていたので。
それが、隠さなくてよくなった。
なぜなら、その、なんだか隠したいような気がするモヤモヤに関連していそうな対象が死んだからだ。
じゃなくて、永眠したからだ。
永眠。
この表現を、知っていたはずなのに、なぜか使えなかった。先日とある人のインスタで見かけて、そうか、尊厳を持った「死」の言い方はこれだ、と思った。
なので、永眠したからです、と今なら書ける。
永眠したのは父である。
個人的に何かひどいことをされたとかドラマチックな話ではないし、死んでみて…じゃなくて永眠してみて改めて思い至った尊敬の感情もあるので、そんなに期待せずに読み進めて欲しい。
けれど、確実に、なにかが、解決した。
死ってすごい。
たまに父のことを考えると鼻がツンとする。
涙目にもなる。
全然会っていなかったのにこうなんだから、仲の良い親子は大変だと思う。これくらいしか悲しませないというのが、父の最後の優しさにすら思えてくる。
死んでから(永眠してから)(しつこい?)のほうが父を色濃く感じる。もともと私は父に似てるのだ。
それで父が勧めていた道に、いつのまにか戻ってきた。戻って来れた。Back to school.
40も過ぎて久しぶりの学生証を手にした。
父に見せたかったな。
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