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ノルウェイの森の緑になれたのか

20代半ば、どこかの商社マンと合コンした時に(40代半ばの今、我ながら恥ずかしい書き出し)、

風変わりだけどカッコいい

と初対面で思った人がいた。

なんせ昔のことなので詳しくは思い出せない。
(つまりなんの進展もなかった)

が、はっきりと覚えているのは、彼が

ノルウェイの森に出てくる緑が理想です

と自己紹介していたことである。

一応文学部だった私と親友とで、ノルウェイの森というか、いわゆる「村上春樹にハマる時期」を経ていたので

それ私です…!

とうっかり名乗り出そうになった。
(出ときゃよかった)

今となっては詳しくは思い出せないノルウェイの森。みどり、だったか、緑だったか、検索してしまったほど忘れていた緑(漢字だったみたい)。

当時付き合っていた男性(経済学部)に、ノルウェイの森って結局何が言いたいんだろ、と言ったら

自分に同情するなってことでしょ

とひと言で言われて、私は文学(部)少女を気取っていたけれど何も読み取れていないんだと自覚した。

主人公が、先輩であるナガサワ?永沢?長沢?(緑と同様に漢字調べよ)さんに言われた、自分に同情するのが1番みっともない、だか、自分に同情するのは下劣な人間のやることだとか、そんな春樹っぽい一行が、確かにあった。

色んな解釈があるのでしょうが、私はとても納得した。腑に落ちた。

というか、それをしばらく自分の座標にしたほど、衝撃的だった。

私は自分に同情してたのか…と、会ったこともない村上春樹さんにカウンセリングされたような気分だった。

何をしていても心が晴れなかったり、心が荒むのはなぜなのか?ずっと分からなかったが、自分のせい、ひいては自分の「癖」のせいだったのだと、ガーン、という顔がぴったりなあの感じで、思い知った瞬間だった。

これが読書の醍醐味というものなのかな。
(しっかりして文学部)

その、共に春樹にハマった親友の、ゼミの先生は、小説には無駄な一行なんてないんだからね!というのが口癖で、その親友とよくその先生のモノマネをしてゲラゲラ笑っていたのだけど(くだらない男に引っ掛かるんじゃないよ!というのも先生のモノマネの鉄板のひと言で、つまり熱い先生だったんだよね)、その後、そのモノマネを、作家の江國香織さんの前で披露する機会に恵まれ(急展開)、それを見た江國さんが

素晴らしい授業を受けたんだね
本当にその通りなのよ

と、これまた解をくださった。
(本当にそんな、細かすぎてというか知らなすぎて伝わらないモノマネを大先生に見せてごめんなさい)

今度は村上春樹のように小説を通して何万人相手の、勝手な解釈(というか当時の彼氏の解釈)ではなく、透き通るような江國さんの生の声で、それまで少しほろ酔いな感じの江國さんだったのに(一緒にお酒を飲んでいた)、急に少し真剣な顔をして、私だけに教えてくださったのだ。

あのゼミの先生にお知らせしたい!

と一瞬思ったけど、やっぱそこまでの熱意は全然なく、その友達だけにお知らせした。女子大生の頃に戻ったかのようにキャーキャー盛り上がった。

緑は村上春樹の奥さんがモデルだとかいうのを聞いたことがある。

真相はもちろん分からない。
が、もしあの小説の緑が今歳を取って生きていたなら、といわんばかりに、てきぱきと家族のお惣菜を作る日々を送っている(確か緑はお母さんの代わりに学生の頃から家事をやっていたよね?)。

最近、本を読めていない。
村上春樹の最新作はもちろん、1985だか1984だか、話題作も読めていないし、この数字もきっと正確ではない。

コロナが流行り始めた頃に貸してもらったペストが3ページ目で止まったまま、コロナがもう第五類とやらになる展開を迎えている。

やれやれ。

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