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差別に泣いた友人

私はラッキーなのか、鈍いのか、人種差別に遭った事は数回しか無い。
特に近年はいろんな差別に関して関心が寄せられているし、イギリスでも差別はあるものの、差別を受けたら警察にリポート出来るなど防衛手段もあるので、泣き寝入りする事も無い。
私が行っていた大学もあらゆる差別に対して厳しく禁じているルールがあったので、私だけでなく留学生たちもLGBTの友人達も快適に過ごすことが出来ていた。

私が一番強烈に明らかな差別を受けたのはニュージーランドに滞在していた頃である。もう25年以上昔で、今はそういうことは無いのかもしれない。
当時、私はニュージーランドの南島のとある語学学校へ通っていた。
クラスメイトは日本人、韓国人、台湾人、インドネシア人などが多かった。
私は韓国人の友人が多く出来て、みんなでご飯食べに行ったり、旅行に行ったりしていた。

ある日、学校帰りにクラスメートの韓国人のH君とご飯を食べにPizza Hutへ行った。
お店は混んで居なかったが、ウェイトレスは私達を完全に無視し、後から入ってくるお客さんを席に案内した。
何度声を掛けても完全に無視。
私達は呆然と入り口で立ち尽くしていた。
私は「ああ、これがアジア人差別というヤツか」と思った。

たまたま奥のテーブルにニュージーランド人の友人が居て、私達に気が付いた。
「こっちおいでよ!一緒に食べようよ!」と言ってくれた。

でも、私は「ありがとう!でもゴメン。私達はここでは気分悪くて居られないから出るね!またね!」と言って、店の外に出た。

私は胸糞悪かったが、横で大柄なH君が涙をポロポロ流しながら「僕、こんなことされたの人生で初めてだ!なんでだろう。。」と泣いていた。

私はH君を引っ張って、タウンのチャイニーズレストランへ連れて行った。
時間的にお客さんは殆どいない店の中でH君はまだ落ち込んで半泣きだった。
私はいろいろ食べ物を注文して、テーブルに大きなチャーハンが運ばれてきたのを覚えている。

「H君、世の中にはあのウェイトレスみたいな人もいる。全ての人が良い人なわけじゃ無いよ。でも、全ての人が差別するわけじゃ無い。こういう事もあるって分かっただけでも経験だと思おうよ。」と慰めて、二人で黙々とご飯を食べた。

この当時、学校にいろんな人が居て、あからさまに私の事を嫌う韓国人の生徒もいた。
そして、昔から馴れっこではあるが、私に対してイライラするらしい日本人のクラスメートもいた。
日射しが厳しいニュージーランドで、帽子を被って歩いていた私に「帽子なんて被ってみっともない!」と言い放つ人や、「あんたの英語は下手くそだよね!」と面と向って言う人やら、私を人嫌いにさせる要素を沢山持った日本人が何人もいて、私のメンタルはナイロンザイルのように強くなっていった。

それでも楽しくニュージーランドでの語学留学を終え、日本に帰ってきてからも韓国人の友人達とはずっと仲良しで、お互いに韓国と日本を行き来していた。

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(セスナ機で氷河の上の雪山に降り立った時。後ろのパイロットのおじさんにセスナからあんまり離れないように!氷河の割れ目があるから、落ちたら100年くらい発見されないぞ!と脅された)

ある時、ソウル市内で友人達と待ち合わせをしていた時のことだった。
私と友人がおしゃべりをしていたら、お爺さんがズカズカと向ってきて、日本語で「あんたは日本人か!」と聞いてきた。
突然のことで驚きながらも「はい、そうです」と日本語で答えてしまった。
すると、そのお爺さんは「お前達、日本人が戦時中に何をしたか分かるか!」と突如大声で怒鳴り始めた。
私と一緒にいた友人は日本語が分からないので、何が何だか分からない。
そのお爺さんは友人に向って「お前も日本人か?」と日本語で怒鳴り始めた。
友人は韓国語で答えたので、お爺さんはまた私に怒鳴り始めた。
私も友人も怖くなって、まだ待ち合わせ中の友人は現れていないが、とにかくそこから走って逃げた。
この経験で私は韓国での根強い反日感情を学ぶことが出来た。
そして、あのお爺さんのように流暢な日本語が話せるまでに当時の日本が強要した歴史についても、ちゃんと学ぼうと思った。
誤解が無いように言っておきたいけど、何度も韓国行っているが、こういう目にあったのはこの時のたった一度である。

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殆どの人達はみんな優しくて、ある時は友人達が仕事に行っている間、友人の一人のお母さんが私をソウル郊外へドライブに連れて行ってくれて、昔の旅籠?をリフォームしたレストランで沢山ご飯を振舞ってくれた。ここで食べたサワガニのキムチは忘れられない。
私の拙い韓国語では意思疎通が難しかったが、それでもいろいろ案内してくれて説明してくれた。
一番仲良しの子のお母さんは私が荏胡麻のキムチが好きなのを覚えていて、その友人が日本に遊びに来るときも、ロンドンに遊びに来る時もタッパーいっぱいに漬けた荏胡麻のキムチを持たせてくれた。
とても優しいオモニ達なのである。

イギリスに住むようになってからは、酔っ払いがギャーギャー差別用語を喚いていたのを除けば、あからさまな差別にあったことは無い。
少なくてもロンドンでは一度も無かった。
しかし、ニュージーランドの経験から、いつも心の中では少し警戒はしていた。

ヨークシャーに引っ越してきてからのことである。
ある日、仕事から帰ると自宅の前で男の子が二人遊んでいた。
年齢的には10歳か11歳くらいと思われる。
その子達は私の顔を見ると話しかけてきた。
「あなたはアジア人なの?」
私は「そうだよ」と答えると「どこから来たの?」と聞いてきた。
だから「日本だよ」と答えた。
すると「ふーん。。」と言って、その場から去ろうとした。
私は咄嗟に「ちょーっと待って!」と呼び止めた。
「あなた達、人に聞くだけって無いでしょう?私も質問するよ!あなた達はどこから来たの?」
するとまず一人の子が「僕はイギリス人。。」
続いて、もう一人の子が「僕はブルガリア人なんだけど、イギリスで育ったから半分イギリス人なんだ。。」
私は「じゃあ、改めて、はじめまして!」と言ったら、今度はちゃんと挨拶をして去って行った。

それから1ヶ月もしない頃、地元ではなく隣市のリーズ郊外の大型スーパーへ買い物に行った時のことだった。
スーパーへ入る早々、私はトイレに行った。
するとトイレの入り口で多分お母さんを待っていると思われる、これまた11歳くらいの男の子がいた。
そして、私の顔を見るなり、「ねぇ、アジア人なの?」と聞いてきた。
私は、ありゃ、またか。。と思った。
このスーパーのある地域はアジアと言っても、インドやパキスタンの人々が多く住んでいる地域だった。
でも、この子は明らかに白人のイギリス人だ。
私は「そうだよ」とちょっとぶっきらぼうに答えた。
その子が「どこなの?」と更に聞いてくるので「日本だよ!」と答えた。
すると、突然「えー!日本なの!うわぁ、めちゃクール!」と騒ぎ出して、ビビった。
その子は「僕は日本に行ってみたいんだ!」と続けた。
だから私は「じゃあ、大きくなったら日本に行ってみてね!この国とは違う物がいっぱいあるよ。自分の目で見ておいでね!」と言った。
その子は「うん、大きくなったら絶対行くよ!」と目を輝かせて言った。

イギリスは移民の国だ。
沢山の国々から人々がやってきて住んでいる。
元々からいる白人のイギリス人の中にはそれを快く思わない人も少なからずいる。
でも、大半はみんなお互い過干渉せず、でも必要な時は助け合って生きている。
差別は悪という考えを持っている人も多いので、人種に関係なく良好な友人関係を続けている人も多い。
私個人の友人関係を見ても、地元イギリス人もヨーロッパ出身、アジアにルーツがある子達もみんな人種など気にしたことも無い。

日本語で書かれたEU離脱に関する記事へのコメントで「イギリスはEU離脱したらやっと国内の移民を排除できるし良かったね」という内容で書かれているものがあった。
日本の感覚で考えてはいけないと思う。
この国は移民で成り立っている。移民が居なくなったら、国の機能も麻痺してしまう。大体、この国に一体どれくらいの日本からの移民がいるのかさえ恐らく知らないのだと思う。

世界的に加熱する差別問題。
BLMもLGBTも日韓や日中相互のヘイトスピーチやヘイトアクト、人間の偏見や、どこからやってくるか分からない根強い憎しみを全てを解決できる日は来るのか、来ないのか、今日もニュースを見ながら考えてしまうのだ。

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Nonnie
読んで下さってありがとうございます💝