ノウゼンカズラの咲いた夏
私はイギリスに住んでいる為、東日本大震災は経験していない。
何も出来なかった当時の事は今も鮮明に覚えている。
これはその3年後に起こったちょっと不思議な出来事である。
両親の実家は山形にあって、子供の頃は毎夏冬は祖父母のところで過ごすことが多かった。大抵は母の祖父母の家で過ごしていた。
祖父は背が高く声が大きく、山形訛りが聞き取りづらくて少し怖かった。
怒られている訳では無いが目線の遥か上から大きな声で言われると身体がキュッと強張った。
祖母は祖父とは正反対に小さくて、でも声は大きくいつも優しかった。
祖父母の家は沢山の変わった物が溢れていて、幼かった私はおもちゃ箱の中に入ってしまったような感覚だった。今でも大事にしている祖父から貰った古い宝箱のような形をした木製の小さな箱にはmade in Polandと書いてある。
庭は沢山の草木が生えジャングルさながらで、一角に大きな栗の木が沢山実をつけていたのを覚えている。
祖母の飼っていたダルマインコと遊ぶのがいつも楽しみであった。
祖母は私達が帰る時、いつも涙を流していたので別れが辛かった。
祖父は私が中学生の時に亡くなった。祖母はそれから約20年後に亡くなった。
祖母が亡くなった時、私は既にヨークシャーで暮らしていた。妹から連絡を受けて一人で泣いた。秋の夕暮れの暗い部屋で白いカサブランカの花だけが妙に光って見えたのが印象的だった。ユリは大好きだが今も白のカサブランカだけは部屋に飾れない。
植物が大好きだった祖母は、よく私の父に株分けした蘭や植物をあげていた。
父は大事に持ち帰り、自宅の庭に植えた。
だから、実家には祖母の家と同じ植物が沢山あった。
その中にノウゼンカズラという落葉性蔓科の植物があった。
毎夏にオレンジ色の花を沢山付けるようになった。弱毒があると言われれば、そうかなと思うようなオレンジ色だった。
2011年3月11日は休日で私の誕生日直前だったので実家に電話した。
イギリスと日本の間には時差が9時間ある。
実家に電話をする時にはいつも日本時間の夜8時頃にしている。
しかし、何故かこの時は日本時間の夕方6時前に電話を掛けた。
普通に呼び出し音は鳴るが誰も出なかった。まぁ、まだ夕方6時なら買い物にでも出掛けているのかもしれないと思った。
しかし急に物凄く胸騒ぎがして咄嗟にテレビを点けた。目に飛び込んで来たのは津波で流される家々だった。
震源地は実家に近く、実家は海から2kmくらいしか離れていない。
もしかしたら私はもう孤児になってしまったのかもしれないと思った。
いや、こういう時に冷静な父のことだ、母を連れて逃げているに違いないとも思った。
実家の近所に住む妹の携帯電話に何度掛けても繋がらなかった。
日本中で安否を気遣う電話を掛けまくっているので繋がり難いと想像出来た。
その時点では停電で水道も全て止まっている事はテレビやインターネットから情報は得ていた。
そうしているうちに福島原発が津波で壊れ火災が起きて放射能漏れしている報道が流れてきた。
停電の被災現場では何が起きているか分からない筈だ。
両親と妹家族の安否もまだ確認できず、いくら電話を掛けても暫くは繋がらないだろうと思っていた。
ところが、一瞬妹の携帯に電話が繋がった。家の中は壊れたガラスが散乱しているし余震が続いているので車の中に避難しているということだった。
近所に住む両親の無事も確認出来た。電話が切れないうちに早口で福島原発の被害状況と放射能漏れの件を伝えた。そして電話は切れた。
それから5日ほどは連絡が付かなかったが、とりあえず安否を確認出来ただけでも運が良かった。
実家は幸い津波は免れたが、築30年の家の損傷は酷く、続く余震の中で倒壊の恐れもあったため取り壊して新しい家を建て直すこととなった。
詳しいことは分からないが、震災後の安全対策として実家の土地の検査が行われた結果、地盤強化が必要と審断されたそうだ。
その為、地面を深く掘り起こしコンクリートを流し込んで地盤強化をした上に妹家族と住む耐震設計の二世帯住宅が建てられた。
新居が完成するまで両親は近くの庭付きの貸家に住んでいた。
新しい家は二世帯住宅なので庭のスペースが少しか取れない為、父は最小限の植物−小さな木や薔薇等だけを一時的に貸家の庭に植えた。
新しい家は二階に住む妹家族とは玄関も別に作り、お互い干渉し合わない程度に距離を保って住んでいる。
父は狭い庭に薔薇やハーブを植え、白薔薇を壁に這わせ、ラベンダーが沢山咲く小さなイギリス庭園を作った。
家の中には狭いながらもコンサヴァトリー風な小さなサンルームのスペースを最初から作ってもらい、そこへ室内用植物を育てている。
両親の要望で一階の両親の住居スペースは完全洋式、部分的にイギリス仕様になっている。
震災から3年後の冬、十何年かぶりにお正月を日本で過ごす事が出来た。
実家の新しい家では勝手がわからず、私は完全なお客さんであった。
サンルームには見事な蘭の花が咲いていた。
父が言うには、その蘭は何十年も昔に山形の祖母から貰ってきたものであると。
この10年間は全く咲かなかったそうだ。ところがその冬は急に沢山の花を付けていた。それだけでも驚きであったが、次の父の言葉は更に驚きであった。
「お婆さんに貰ったノウゼンカズラあったでしょう?あれが夏に咲いたんだよ!」
父は貸家へ引っ越すときに僅かな植物しか持って行かなかった。
その中にはノウゼンカズラは含まれていない。ゆえに、庭にも植えてはいない。
実家の土地は何メートルも掘り起こし、コンクリートを流し込んで厚く固めた上に新しく土を運んできて更地にしたそうだ。
しかし、ノウゼンカズラが咲いた場所は、元の家の庭のノウゼンカズラが植えてあった場所と同じところだったそうだ。
しかも新築されてから3年目のことである。
今でも毎年夏になるとノウゼンカズラがオレンジの花で庭を彩っている。
ああ、お婆ちゃんも一緒にいるんだなぁと嬉しく思うのだ。