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被害者体質の盲点(2):正しさの攻撃

正義の罠:裏切られた被害者の怒りと防衛機制

ヨガスクールのストーリー:

養成コースが始まって3ヶ月が経った頃、私は衝撃的な事実を知ることになりました。Aさんが他の生徒たちに私のことを「期待外れだった」と話していたのです。さらに、私が支払った高額なコース料金の大部分が、実際の講習内容とは関係のない経費に使われていたことも分かりました。

この事実を知った時、私の中で何かが崩れ落ちる感覚がありました。それまで必死に応えようとしてきたAさんの期待は、実は私を利用するための演技だったのです。深い裏切られ感とともに、激しい怒りが込み上げてきました。

「許せない。絶対に許せない」という思いが私を支配し、Aさんの行為を公にしたい、SNSで告発したい、という衝動に駆られました。この怒りは、まるで私の存在価値を守るための盾のように感じられました。

正義感とは何か?

正義感とは、社会的な規範や道徳的な価値観に基づいて「正しい」と信じる強い信念です。しかし、この感情には複雑な心理的メカニズムが隠されています:

正義感の二面性

正義感には以下のような二つの側面があります:

  • 表の顔:社会正義の実現や他者の権利を守ろうとする建設的な力

  • 裏の顔:自己の傷つきや無力感から目を逸らすための防衛機制

防衛機制としての正義感

特に被害者体質の人々の場合、正義感は以下のような防衛機制として機能することがあります:

  • 自己の傷つきや無力感を、怒りや攻撃性に変換する

  • 被害者という立場から「正義の執行者」へと自己イメージを転換する

  • 自己否定の痛みを、他者への批判エネルギーに置き換える

正義感の落とし穴

このような正義感は、以下のような危険性をはらんでいます:

  • 自分の感情や傷つきと向き合うことを避ける手段となる

  • 他者を攻撃する口実として利用される

  • さらなる自己否定や孤立を引き起こす

正義感による攻撃衝動は、実は以下のような防衛機制(反動形成)として機能していました:

  • 自分の無力感や傷つきから目を逸らし、怒りに変換する

  • 被害者という立場から正義の執行者という立場に自己イメージを転換する

  • 自己否定の痛みを、相手への攻撃エネルギーに置き換える

この正義感による攻撃衝動は、傷ついた自己を守るための防衛機制です。しかし、この反応に従うことは、さらなる自己否定の連鎖を生む可能性があります。

正義感による攻撃衝動がもたらす自己否定の連鎖

防衛機制としての正義感

正義感による攻撃衝動が防衛機制として働く理由:

  • 傷ついた自尊心を一時的に回復させる効果がある

  • 無力感や屈辱感を「正しい怒り」に転換できる

  • 被害者という立場から能動的な立場へと自己イメージを変換できる

自己否定の連鎖が生まれる理由

しかし、この攻撃衝動に従うことで以下のような連鎖が発生します:

  • 攻撃的な行動の後に必ず訪れる後悔や罪悪感

  • 「こんな行動を取る自分はダメな人間だ」という新たな自己否定

  • 他者からの反応や評価を過度に気にすることによる不安の増大

  • 自分の感情の正当性を疑い始め、さらなる自己不信に陥る

根本的な問題が解決されない理由

この連鎖が続く背景には:

  • 本来向き合うべき自身の傷つきが置き去りにされる

  • 一時的な感情の発散で終わり、真の癒しに至らない

  • 他者を否定することで、自己の価値を確認しようとする不健全なパターンが強化される

見過ごしていた違和感の正体

さきほどのストーリーに戻りましょう。


今になって思い返せば、たくさんの警告サインがありました。

最初のうち、Aさんは私の些細な質問にも丁寧に答えてくれましたが、次第にその回答が曖昧になっていきました。「それは今は気にしなくていいわ」「そういう細かいことを考えすぎるのはよくないわね」と、具体的な説明を避けるようになっていったのです。

養成コースの内容についても、不自然な点がありました。他の生徒たちは私より短い期間で進度が進んでいき、私だけが追加レッスンを要求される状況でした。その時も「あなたは特別だから」という言葉に甘え、違和感を無視してしまいました。

休日の練習要求も、徐々にエスカレートしていきました。当初は月に1回程度でしたが、やがて毎週末を要求されるようになり、その理由も「あなたのためを思って」という抽象的なものばかり。仕事との両立で体調を崩しそうになっても、「本気でインストラクターを目指すなら、それくらいの覚悟は必要よ」と言われ、疑問を感じながらも従っていました。

最も見過ごしてはいけなかったのは、Aさんが他の生徒たちと私を比較する際の、あの独特の表情でした。「〇〇さんはここまでできているのに」と言う時の、どこか満足げな様子。今思えば、それは私を操作することに喜びを感じている表情だったのかもしれません。

直感は私に警告を発していたのです。しかし、「先生の期待に応えなければ」という思いが強すぎて、その警告を無視し続けてしまいました。自分の感覚を信じることができていれば、もっと早くこの状況から抜け出せたのかもしれません。

次回は、正義感の裏側にある「反動形成」という防衛機制について詳しく解説します。なぜ私たちは傷つきや無力感を「正しさ」に変換してしまうのか、その心理的メカニズムに迫ります。

※このマガジンは、NPDの被害に苦しむ方々の回復を支援することを目的としています。

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